2021年4月23日金曜日

『桜の塔』の第2話を観た。もう観なくていいかな、と思った

2021年4月23日 金曜日


一日中晴れ。



§º一人の人間の飯の種になっているその人の才能は、馬子にとっての自分の馬と同じ。喩えとしてではなく、そのままの意味で同じ。だから、才能で食っている人間と、馬で食っている人間は、才能に「食わせてもらっている」人間であり、馬に「食わせてもらっている」人間。本当に「価値」があるのは、才能であり馬である。人間は彼らの「ヒモ」に過ぎない。しかし、それでいいのだし、それが人間の生(せい)の理想なのだ。



警察組織の『白い巨塔』をやっている『桜の塔』の第2話を観た。もう観なくていいかな、と思った。というのは、広末涼子が演じる刑事の人物造形がデタラメだから。玉木宏演じる幼馴染のキャラクター「上条(かみじょう)」)の「暴走」を止めようとして、現役刑事が無断で拳銃を持ち帰り、いつ父親が出てくるかもわからない自宅に呼びつけて、会話の隠し録りをしながら(バレるけど)、挙げ句の果てに拳銃を突きつけて「改心」を迫る。そんな人間が刑事をやっているのかと思ったらゾッとした。しかし、ドラマの中では、もっとも常識的な刑事という立ち位置を与えられている。だからデタラメなのだ。あらゆる手段を使って警察のトップに昇り詰めようとする玉木宏演じる上条を筆頭に、他のキャラクターは、権力争いに明け暮れる「ネジレタ」連中ばかり。広末涼子演じる女刑事は、その「ネジレタ」連中の正反対側にいる「マッスグ」な人間のはず。なのに、「第2話」で上条に対して行ったことを見ていると、他の誰よりも一番何をやらかすかわからない(行動が読めない)「アブナイ」人間。


もしかしたら、本当に、そうなのかもしれない。すなわち、広末涼子演じる女刑事こそが、上条の父親を自殺に追いやった(らしい)[警察組織の「巨悪」]の側の人間であることが、最終回あたりで「露見」するのかもしれない。ま、知らんけど。


そもそも、相手に拳銃を突きつけて「昔のあなたに戻って」的なことを言うのって、別れ話を持ち出された女(男)が相手に向かって「別れるぐらいならここで死んでやる!」と叫ぶのと思考形式が同じだろう。だから、おもちゃを買ってもらえない子供が、その場に倒れて手足をバタバタやって泣き叫ぶアレと同じ。


もう一つ。「悪」の道を進む上条が、第二話で早くも、広末涼子演じるキャラに対してexcuseを表明してしまって、オヤオヤとなった。まあ、今時のテレビだね。作り手の腰が引けてる。


椎名桔平に免じて、あと一回だけ観てみるかな。



§ºNHKの場合、 NHK一つを信頼すれば済む。一方、民放テレビの場合は、スポンサーとテレビ局の二つを信頼しなければならない。しかも民放テレビのスポンサーは番組ごとにコロコロ変わる。[信頼できる・できない]の基準でNHKを退け、民放テレビだけを見ている連中は、やっぱり、知能が低いのだろう。


そうではなく、頼んでもないのに勝手にカネを請求するのが怪しからんと言ってNHKを毛嫌いする連中もいる。それはまるで、子供のいない連中が、母子家庭のために投入される分の税金は払わないと言ったり、自動車を運転しない人間が、高速道路の建設費や維持費に使われる分の税金は払わないとか言ったりするようなもの。そういう連中は、NHKを興行団体かなにかだと勘違いしている。NHKは[政治権力・警察権力・社会圧力・伝統圧力などのいわゆる「共同幻想」]に対する監視機関なのだ(十全に機能しているかどうかは別にして)。レンタルビデオ屋の進化形に過ぎないAmazon Prime VideoやNetflixとは根本から違う。でも、「カネを請求するのが怪しからん」系の連中は、NHKは[申し込んでもないのに勝手に請求書が送られてくるAmazon Prime Video]のようなものだと思っている。



有吉弘行・夏目三久結婚記念の一夜限りの「怒り新党」を面白く観た。マツコがガンバッタ。