2021年4月3日 土曜日/晴れのち小雨
原作版『ナウシカ』の世界の全体の構造は単純。
1)今生きている我々のような「元からいる人間」の科学技術が高度に発達する。と、同時に、人間同士の諍いも絶えず、地球の環境破壊も深刻度を増す。
2)当時の知的エリートたちが、そのような「病んだ」人間文明を「リセット」するために、「巨神兵」たちを使って「世界を終わらせる」=「火の七日間」。
3)当時の知的エリートたちが「事後」のために用意したのは以下の三つ。全て、「もとの地球生命と地球文明」の復活のための事前準備。
a)それまでに蓄えた人間の知識と、「平和的な人類」を生み出す「種」を保存管理した「人工生命体」=「墓所」
b)破壊された環境を「元どおり」にする(浄化する)役割を果たす、人工生命。すなわち、王蟲をはじめとする腐海の住人たち(腐海の植物と虫たち)
c)破壊された環境に対して一定の耐性を持つように遺伝子操作れた人類=改造人間=人工人間=遺伝子操作人間。彼らに(a)の「人工生命」=「墓所」を維持管理をする役割を担わせる
しかし、(c)の遺伝子操作人間(改造人間)の一人であるナウシカによって、「オリジナル」の人間たちの目論見(浄化後の復活)は阻止される(=ナウシカによる「墓所」の破壊)。
まあ、ただこれだけのこと。
なぜ、「ただこれだけ」というのかをいかに述べたい。
作品内でナウシカが言っている通り、生命の出自は生命の価値とは関係がない。しかし、それは、ナウシカが(ということは宮崎駿が)言うように「全てが同じく尊いから(なんせ、生命に対する侮辱だとか言ってる)」ではない。そうではなく、生命は全てが等しく無価値だからだ。つまり、純粋な知性現象の立場からすれば、地球46億年の歴史の中で「自然に」誕生した元々の人類も、その人類たちが作り出したナウシカたち人工人類も、共に、無価値。無価値であることに、出自は関係ない。まあ、無価値というのは少し言い過ぎかもしれない。存在意義や潜在的な価値はあるが、その時点では、あるいは、それそのものには、真に価値があるとは言えない、と言いなおすべきか。
純粋な知性現象の視点から見た場合、高度な知性を持った生命現象は、原料を仕込んだばかりの醤油やワインの桶や樽のようなものだ。純粋な知性現象の立場から見た場合、[「墓所」の「樽」]と、[ナウシカの「樽」]は、どちらにも完成した醤油もワインも入っていないという点で、無価値だし、どちらか一方を破棄しなければならないとなったときにどちらが破棄されたとしても、特に違いはない(問題もない)。「墓所」とナウシカ、どちらの樽にも、醤油やワインになる可能性はあるからだ。
原作版『ナウシカ』は、舞台が大仕掛けで、見慣れない異形の生物なんかもたくさん出て来て、一見、なんかトテツモナイコトが起きているように見える世界だけど、「事実」は[生命現象にお馴染みの単なる生存競争]が最後の最後まで繰り広げられているだけ。そんなものは別に今に始まったことではないし、取り立てて大騒ぎする様な「大事件」でもない。鳥類vs.哺乳類、ネアンデルタール人vs.クロマニヨン人、アメリカ先住民vs.アメリカ移住民、宿主vs.寄生者…実に「見慣れた」光景。そこに、登場人物たちの口を通じて、生命教信者特有の陳腐な理屈が語られているだけ。
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§º「誰も聞いていない森で倒れた木は音を出すのか?」問題の究極形は、「虚無」の問題になる。
「音」というのは、空気の振動に対して、[感覚器を持った「知性」]によって作られる「体験」なので、当然、「誰も聴くものがいない=知覚できる存在がいない」状況で木が倒れても「音」は「しない」。
しかし、その「奇妙さ」から言えば、「虚無」は、「誰もいない森の木の倒れる音」の比ではない。「虚無」はその定義から「物理的に存在しない」ものである。先ほどの「音」の場合は、誰も聞いていなくても(だから「音」は存在しなくても)、木が倒れれば、空気の振動という客観的な物理現象は存在している。しかし、虚無は、知覚と認知能力を持った知性がその場にいようといまいと「常に存在しない」。なぜなら、(繰り返すが)、虚無の定義は「時空間すら存在しない状態」だからだ。
「虚無」の場合、「物理的に何も存在しない」のだから、その「存在しない理由」は、「誰も聞いてない森の木の倒れる音」のそれとは次元が違う。「音」が「存在する/存在しない」の問題は、所詮「知覚からの認知」の問題である。「虚無」が「存在する/存在しない」の問題は、「知性」それ自体に対する「呪い」とでも言うべきものだ。「知性」は、もれなく「虚無」という自身のドッペルゲンガー(しかも邪悪な)を見る。
逆に言い直してみよう。「虚無」という概念が、我々「知性現象」に馬鹿馬鹿しい虚構のようにはどうしても思えないのは、我々が現に「知性現象」だからだ。うん、これでも通じない。通じないのは分かる。なにかもっとウマイ言い方が思いつたらまた書こう。