2021年4月7日 水曜日/晴れ
§º「虚無」が物理現象としては存在しない[単なる「純粋概念」]であることがわかった以上、物理現象としての「無限」を考察しなけれならない。なぜなら、空間の尽きるところが「虚無」であり、時間に尽きるところが「虚無」なのだから、物理現象としての「虚無」が存在しないのなら、「無限」として物理現象を受け入れざるを得ないのだ。
今も言ったように、「無限」には二つある。空間的無限すなわち「無限大」と、時間的無限すなわち「永遠/永久」だ。無限に広がる宇宙と、永遠に続く宇宙である。
しかし、なにか、馬鹿げている。
そもそも、空間と時間は、時空間という一つの現象の[ふた様の見え方]に過ぎない。ここに、物理現象としての「無限」のバカバカしさを解くカギがある。気がする。
物理現象としての「無限」を受け入れると、[絶対的な「いつ」]と[絶対的な「どこ」]は放棄しなければならない。ちょうど、グリニッジという任意の基準を想定しない限り、地球上での絶対的な東西を放棄せざるを得ない様に。
空間的無限には、大きなヒントがある。またしても地球だ。地球の表面を這いずり回る者にとって、地表は無限である。どこまで言っても「地の果て」は現れない。すなわち、地表を這いずり回っている限り「虚無」にたどり着くことはない。このばあいも「虚無」は存在しないのだ。地表はどう考えても無限に思える。しかし、地球の外から見れば、地表ははっきりと有限である。この「見せかけの無限」が、物理現象の「無限」を「祓う」ヒントだろう。同様に「見せかけの時間的無限」もありそうな気がする。
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『戦場のメリークリスマス』をPrime Videoで観ている。結局、(教授が「サンスト」であれこれ報告していた)公開当時から今までの間、映画を初めからおしまいまでちゃんと観たことは一度もないように記憶している。今、開始から40分ほどまでを観たが、「学芸会かよ」と思った。大島渚って、過大評価されてたんだなあ。教授の演技は観てられないし、たけしの演技だって、まあ、今も同じあの感じで、観てるとちょっと尻がもぞもぞする。
映画は、元祖(?) BL映画。たけし演じるハラ軍曹は、本物の戦争で戦争ごっこをやってるメンタル小学生の軍人。あと、教授演じるヨノイの上官は「シェケナベイベー」の内田裕也だった。
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§ºいわゆる「恋愛相談」は、たとえば「街中で急にトイレに行きたくなったらどうしたらいいですか?」という相談と同類。当事者にとっては実際切実だが、所詮は、単なる「家事」を上手くこなすコツについての相談。恋愛ドラマというのは、この「恋愛相談」に対して、例え話を持ち出して「答えている=一定の回答を示している」創作物だから、まあ、熱心に見れば見るほど、時間を損した気分になる。ちょうど、「洋服ダンスの整理のコツ」とか「油汚れの落とし方」とかを紹介してる番組にうっかり「引っかかって」しばらく観てしまったときのあの気分。