2021年4月9日 金曜日/晴れ
『戦メリ』視聴メモ。ハラ軍曹は「小学生男子」、ヨノイ大尉は「中学生男子」。小学生男子よりも中学生男子の方が、人間として「愚か」なのを、その場所を通ってきたオトナなら全員知っている。
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録画してあった『アーヤと魔女』をようやく見た。Eテレで偶然見かけた、事前情報も背景情報も一切ない「外国製」のちょっとおもしろい、しかし2周は絶対にしない(時間の無駄遣い)CGアニメを観たときの感覚。まあ「子供用のオモチャ」だよね。
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§ºいや、「安楽死法」や「尊厳死法」が成立しない理由は簡単で、今の世の中の圧倒的多数が生命教信者だからだよ。かつての(今も?)カトリックの国で、離婚が法的に認められなかったのと同じこと。
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§º人間のことを、地球上の生命の中で、最も価値のある、あるいは特別な地位にある、あるいは進歩した生命だとする認識は誤りである。生命としては、人間と(たとえば)ミジンコは、価値も地位も進歩度合いも同じである。優劣はない。知性現象の観点から見たときにのみ、人間は、他の生物の知性現象としての側面を大きく引き離している(大きな優位性をもつ)といえる「だけ」である。
例えば、生産能力が全く同じ100人の工場労働者を『美人コンテスト』(水泳大会でもいいけど)に出場させると、100人の間で結果に違い(優劣)が出る。その『美人コンテスト』の優勝者のことを「100人の中で一番優秀な工場労働者である」と評価するのは(誰にでもわかる)誤りだ。人間を地球生物の「頂点」とみなすのは、それと同じ誤り方。
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§º「なぜ、この広い宇宙に我々以外見当たらないのか」問題についてのちょっとした考察。
宇宙の他の場所に存在するかもしれない知性現象を探し当てたり、それらと実際に接触できたりするほどに、その知性と科学技術を発達させた知性現象は、そもそも、自分たち以外の知性現象には関心を持たない。この宇宙で、知性がどのように「自然発生」し、その後どのような経緯を辿って「発展」していくかを、「成熟」した知性は既に知り尽くしているからだ。それはちょうど、成人男女が、小学生のための「性教育」の授業に参加する必要性をまるで感じないのと同じこと。
宇宙に話を戻すと、逆にも言える。「なぜ、この広い宇宙に我々以外見当たらないのか」と本気で考え、気になってしまうような知性現象は、例えば、他の知性現象との恒星間での通信や接触をできるような、知的レベルでも、技術レベルでもない傾向がある。もちろん、双子惑星に生まれついて、「すぐ隣」に[別の星の生命現象]が存在するという場合は、地球で言うところの、アポロが月面に到着したときの技術レベルで「第三種接近遭遇」は可能。しかし、その「隣の星の知性現象」は、「隣の大陸の知性現象」と、実質さほど変わらないかもしれない。だって、同じハビタブルゾーンの惑星の生命現象が媒体なのだから。
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§º「虚無」を祓うのは簡単。「There is nothing.」という云い回しをするのと同じ「脳の思考法」「知性の癖」が生み出したものが「虚無」だから。本当に厄介なのは「無限」「永遠」「永久」の方。現にこの宇宙が存在している以上、これらを「ただの幻=純粋概念」としてあっさり切り捨てるわけにはいかない。現に見当たらないものについて、それが「有る」理由を説明できなければ、あっさりと「実際にはない」と言い切ることはできるが、「現に目の前にあるもの」について、それが消えて無くなる理由を思いついたとしても、それは可能性に過ぎず、あっさりと「いずれ必ず消えて無くなる」とは言い切れない。「虚無」は「ない」場合に、知性の合理性を「安心」させるが、「無限」は「ない」場合も「ある」場合も、知性の合理性を脅かす。知性すなわち思想にとって、「虚無」は疲れ目の霞程度のものだが、「無限」は目をこすったくらいでは消えない本当の「病気」。
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§º生命現象と物理現象との「境界線」が、概念としての「死」。知性現象と物理現象との「境界線」が、概念としての「虚無」。これは、微妙な云い回しだが、真理。数学の比の等式っぽく書くなら、(生命現象:死)=(知性現象:虚無)。