2021年5月31日月曜日

『日本のいちばん長い日』(2015)を観た

2021年5月31日 月曜日


晴れ



fantasyのもともとの意味は「幽霊の出現」。

(続 英単語の語源辞典)



晩飯に、むらかみドーナツのプレーンの5個を、魚肉ソーセージで串刺しにしたもの(ドーナツの穴にソーセージを通したもの)を食べた。



『日本のいちばん長い日』をPrime Videoで視聴した。昔のではなく、最近の。役所広司(阿南)、山崎努(鈴木貫太郎)、本木雅弘(昭和天皇)、松坂桃李(青年将校)など。役所広司や山崎努のキャラが、いい感じで肩の力が抜けていて、最後まで気持ちよく観れた。


2021年5月30日日曜日

AIがリアルタイムで、プロ棋士の将棋の優勢判定をする時代です

2021年5月30日 日曜日


曇り。小雨。



NHKの将棋番組をたまたま見たら、将棋盤が映し出されている画面の上辺あたりに、格闘ゲームでいうところの体力メーターのようなものが表示されていた。単位は「%」。少し見ていてわかったが、対戦している二人の[有利不利]をAIが判断して表示しているメーターだった。で、先手が99パーセントになっていたら、それはつまり「詰将棋状態」で[先手が間違った指し手をしなかったら、絶対に詰ませられる]ということ。笑っちゃったのは、次の一手を先手が「指し間違えて」、99パーセントだった先手の勝利可能性が、一気に一桁台にまで下がったこと。しかし、次の先手の番の時に、盤上を同じ状態に戻したら、また99パーセントにまで戻った(たまたま、先手はそういうことができる持ち駒だった)。結局、先手が勝ったのだが、なんというか、もう、こういう時代なのだね。人間の能力を超えた「知性」が正解が存在していることを、人間に教えてくれていて、あとは、人間がその正解に到達できるかどうか、という競い合い。



岡田斗司夫ゼミ視聴。雑談(『ふしぎのメルモ』)と、「ガンダム講座:大西洋、血に染めて第9回」と、ZOZOTOWNの元社長前園の「お金配り」に関する話。


2021年5月29日土曜日

『エヴァンゲリオン』はどう考えても『中学生日記』か『金八先生』。

2021年5月29日 土曜日


晴れ。



『ホームズ/ショスコム荘』視聴。デビューしたての無名時代のジュード・ロウが出ているエピソードでもある。



ものすごく美味い料理も、ものすごく不味い料理も、時間が経てば、同じように腐って不味くなる。人間が生命現象である限り、どんな知性も、最後はポンコツのガラクタ。



『エヴァンゲリオン』って、大きく分けたら、『中学生日記』もしくは『3年B組金八先生』の仲間だよね。




2021年5月28日金曜日

アリババが独占禁止法で罰金を科されたってなに?

2021年5月28日 金曜日


曇り。17半ごろ、猫散歩。



立川談志からどうやっても滲み出てしまっている「つまらなさ」の正体は、彼の抱えた劣等感。噺家や落語というものに劣等感を持っていて、その[社会的な地位]の「低さ」をどうにかしてひっくり返したい「見返したい」と「ガンバッテいる」感じがダダモレで、それが粋じゃない。ビートたけしにも同じことが言えて、漫才師やお笑いというものに対して彼が持っている劣等感をひっくり返したくて仕方がない(なかった。今は文化人とか知識人とか映画監督とかの「ちゃんとした」肩書きが手に入ったから、割合、「冷静に=距離をとって=他人事として」お笑いに接することができている)。例えば、さんまにはそういうところはない。さんまは、お笑いという仕事に劣等感は持っていない代わりに、特に優越感も持っていない。魚屋が魚売りに誇りを持っている程度に、さんまはお笑いに誇りを持っているが、かといって、お笑いの社会的価値を高めたいとも思っていないのは、魚屋が魚売りの社会的価値を殊更に高めようとは思わないのと同じ。宮崎駿にとってのアニメも、談志の落語や、たけしの漫才と同じ。この手の連中は、だいたいが「俺様」キャラで周りを圧倒したがちだけど、所詮は虚勢なので、「本物」の前では、その虚勢ぶりが全部見透かされてしまって、シドロモドロになるし、一般の観客や視聴者も実は無意識のうちに、彼ら(談志やたけしや宮崎)の劣等感を感じ取っていて、それが「気安さ」となって、彼ら(談志やたけしや宮崎)の「人気」につながっている。ようするに、実は「舐められている」のだ。


「本物」とは誰を指すのか。志ん生や水木さんやタモリや高畑勲だ。談志やたけしや宮崎駿は、所詮、生命現象の塔の内側の屋根裏部屋にいるだけだが、志ん生や水木さんやタモリや高畑勲は、生命現象の塔の屋上(屋根の上)にいる。



『クロコーチ』は今「キンキラ教」のところを読んでいるが、もう続きは読まなくてもいい気がする。展開の「ドラゴンボール」病が確定的になったからだ。「おや?」と思ったのは、「桃太郎」の弟子の二人の殺し屋のうち、女の方が生き残ったあたりから。その頃から、作品全体に、妙な「手加減」というか、「阿り」が出てきて、ヤバイナと思っていたが、まだこの時は「ドラゴンボール」病は起きてなかった。「ドラゴンボール」病が始まったのは、「桜吹雪の会」の悶着が片付いてから。「桜吹雪の会なんて、かわいいもんだ」的な、さらなる謎の暗躍組織(黒幕)の噂が出てきて、これを読んだ時点で「おやおや、ピッコロが済んだらベジータで、ベジータが済んだらフリーザ、フリーザが済んだらセルかな」と思った。本家『ドラゴンボール』の場合は、今言った、ひたすらの後盛りで、強さのインフレが起きてしまって、物語がすっかり陳腐化してしまったのだが、『クロコーチ』の場合は[謎の組織/黒幕/暗躍者]の暗躍感や正体不明感がインフレを起こして、「警察庁長官狙撃事件」だの「例の新興宗教」だの「元KGBの殺し屋」だのというフレーズを出すほど返って陳腐感が増すという「末期症状」。とにかく、今読んでる「キンキラ教」の作品世界には、桜吹雪の会の実行部隊の連中が正体不明の殺し屋に惨殺されていたころのような緊張感は皆無。ちょうど、様式美だけでマンネリ化した「必殺仕事人」で展開される裏社会のような、視聴者(読者)は何も心配もしなくていい、お気楽な世界が惰性で描かれていてツマラナイ。



このコロナ禍のご時世にさえ、「純粋に」オリンピックをやりたいと思ってる連中ってなんだろう、と考えた。つまり、「商売になるから」「金になるから」の損得勘定ではなく、自分からは率先して大会中止を望まないし、大会が開かれるならそれはもちろん出場する、という、いわゆるオリンピック代表選手たちって、どういう「人種」なのだろうと考えて、あ、そうか、と気づいた。毎年律儀に、インフルエンザウィルスを運んで飛んでくる渡り鳥や、花粉をばらまく杉や白樺の木と同じなのだ。そう思うと、あまり、腹も立たないし、イライラもしない。しょうがないよね。特に理由もなくそういうことを「したい」んだから(鳥や木と違って、人間の場合は後付けの理由はいくらでもでっち上げられるだろうけど)。


ま、でも、困るのは困る。カネ目当てでオリンピックをやりたがる連中相手なら、問題はカネなんだから、交渉の余地もあるし、だましたりすかしたりする方法もあるだろうけど、渡り鳥が渡り「たがる」のとか、杉や白樺が花粉をまき「たがる」のと同じ「理由」で、オリンピックを[やりたがる/参加したがる]連中は、機会があれば、そりゃ絶対やるだろうし、それをやめさせる方法もない。だって、ほぼ「本能」なんだから。腹をすかせた犬の前に、うまそうな肉を置いて「待て」と言っても、遅かれ早かれ犬はその肉を食うもの。



富野作品のテレビシリーズは、打ち切りだなんだと言っても、大抵、40話くらいはある。この40話は、1ヶ月4話として10ヶ月。つまり、この、ほぼ一年という長い期間(長い「時間」ではなく)を、一つの作品世界に付き合ってきたということが、最終回にまで到達したときに、或る感慨を視聴者にもたらす。この「長い旅路感」は、最近の6話や10話で終わる(ということは、2〜3ヶ月程度の付き合いの)テレビドラマでは、到底、味わえない感慨。だからなに? だから、時間をかけて、ゆっくりと物語ることの大切さだよ。そこには[急ぎ過ぎない演出]が生む感動がある。



中国のアリババが独占禁止法で罰金を科されたせいで、この四半期が決算が赤字になったというニュースを聞いて、笑っちゃったよ。あの独裁国家で、[誰に/何に]対する独占?


2021年5月27日木曜日

回を重ねるごとに「頭の悪さ」が際立ってくる『桜の塔』

2021年5月27日 木曜日


曇り時々小雨



悪いハッカー(クラッカー?)が絶対にやらないことは、インターネット全体の「破壊」。インターネット全体を機能不全に陥れてしまうと、彼らの仕事場(遊び場)がなくってしまうから。だから、フィッシングメール等で、特定の誰かを狙い撃ちにする。まあ、「戦術核」みたいなものだよね。世界征服を目論んで起こした騒動で、地球を丸ごと破壊してまっては元も子もない、という話。



「切れ者」とか「やり手」たちの「活躍(暗躍?)」を描いているはずなのに、見れば見るほどドラマ全体に漂う「アタマの悪さ」が際立ってきて、そこを面白がって毎週観ている『桜の塔』だけど(昔、織田裕二が知能指数200以上の主人公を演じたナントカいうドラマと同じニオイ。あれも、知能指数が低い人がイメージする知能指数の高い人って感じがバカバカしくて面白かった)、今日は、そういう「アタマの悪さ」の面白さではなく、単に「狙ったろう?」的な「ネタ」で笑った。野間口某の演じる、椎名桔平の「副官」が言い放った「あんな、高岡早紀みたいなママに口説かれたら」のセリフ。即興?



2021年5月26日水曜日

ゴールデングローブ賞の騒ぎ

2021年5月26日 水曜日


晴れ。家賃振り込み。そのあと(17時半ごろ)猫散歩。



読書家が、蔵書を売り払う1番の理由は「保管場所がない」だ。専用の書庫や図書室、図書館を持てる人間はほとんどいないのだから、本を買えば買うほど、それらの本が生活空間を「圧迫」することになる。その「大量の本がある」という光景が、色々な意味で[目障り=不愉快]になり、蔵書を「整理」したくなるのだ。だから、原理的に置き場所を必要としない電子書籍になれば、そういう理由からの「整理」をする必要もなく、売り払う必要もなくなる。無論、電子書籍は古本屋に売り払うことできないが、もし売り払うことができたとしても、読書家が蔵書を売る1番の理由は「保管場所問題」であって、「資金調達」ではないので、売られる本はものすごく減る。いや、読書家は、保管場所問題がクリアできれば、一度手に入れた本は手放さない。



「誰もいない森で木が倒れたら音はするのか」問題の続き。誰もいない森で木が倒れても、それによって引き起こされる[空気の振動]はある。誰もいない森では、その[空気の振動]を「音」として認識する器官を備えた知覚体が存在しないので、[空気の振動]は「音」にはならない。「音」は人間のような知覚体の「認識」の形態である。だから、例えば、人間の耳には聞き取れない高周波や低周波の[空気の振動]が周囲に満ち溢れていても、それを「音として聞き取れない」人間は、自信たっぷりに「そんな音はしていない」という。同じことが光(電磁波)についても言える。人間が「光のない闇」と言う時、それは厳密に言うなら「人間に知覚できる電磁波が周囲には存在しない」というだけ。事実、この宇宙は、常にどこでも電磁波で満ち満ちている。


そしてこの「誰もいない森で木が倒れたら〜」問題は、「自分というものが存在しなくなった時、この宇宙は存在し続けるのか」問題へとつながる。



岡田斗司夫が、本やアニメや映画を解説する、「岡田斗司夫の解説」は、映画の予告編に似ている。大抵の映画は、予告編を見るとものすごく面白そうだが、いざ、本編を観てみると、予告編ほどではない。岡田斗司夫が紹介する本やアニメや映画も、大抵は、岡田斗司夫の解説ほどには面白くない。



ゴールデングローブ賞の投票資格を持った人間の中に黒人がいないとかで、なんかちょっとした騒ぎ(授賞式をテレビが放映しないとか)になっている(らしい)。でも、「審査員に黒人が一人もいない状況では黒人に投票する人間もいなくなる(恐れがある)」と考えるのは、まあ、これも人種差別意識の表れなんだけどね。なぜなら、それは、「白人は白人にしか投票しない」とか「黒人に投票資格を与えれば、その黒人は黒人に票を入れるだろう」とか、言ってるのとほとんど同じだからね。


いや、もちろん。白人ばかりの審査員によって賞に選ばれたのが白人俳優だったときに「いらぬ嫌疑」を招く恐れがあるから、それを避けるために、最初から審査員の中にいろいろな「人種」を入れておくのだ、という「考え方」もあるんだろうけど、この考え方がまた、相当な「人種差別的」、言い方がきつければ「人種主義的」なんだよなあ。つまり、人類全体を人種というフィルターでものを見る連中だと想定しているわけだから。


だから、所謂「人種差別主義者」はどうしようもない連中だけど、「人種差別反対運動家」に類するような「激しめ」の連中も、危なっかしいんだよ。過激なフェミニストが、多分に差別主義的な危なっかしさを持っているのと同じで。


「人種差別」や「性差別」や「障害者差別」など、人間の生命現象に由来する差別を、本当に[緩和/解消]してくれるのは、科学技術の発展だけだよ。歴史、地域、性、身体機能などの「格差」を埋めるのは、科学技術の発展だけだから。だって、どれも、根本は、物質的/物理的な問題だから。科学技術の発展によって、物質的/物理的な問題に「余裕」が生まれたところから、イデオロギー的思想的「騒ぎ」が起きて、そういうところから少しずつ「差別意識」が解消されていく。


まあ、まだまだ人類は「途中」なんだよ。「人種」という妄想が目について仕方がないのは、その人の中に「人種主義」が根強く残っているからだから。全人類に「人種」が「見えなくなる」のは、まだずっと先だろう。わかるだろう? もし本当に「人種」を問題にしなくなる(見えなくなる)人類になったら、審査員が全員白人でも、なんとも思わない。そもそも「あ、審査員が全員白人だ!」という「気づき」が「できない」のが、真に「人種」の呪縛からの自由になった人類。


サッカーの日本代表チームを選んだら、全員の名字がたとえば「鈴木」だったとしても、別に気にしないだろう(面白がるかもしれないけど)。「佐藤」や「田中」も入れなきゃ、とは思わない。「人種」についても、この「名字」くらい「無意味」になれたら、人類もやっと一人前。いや、まだ半人前か。




2021年5月25日火曜日

一作品の中で「2周する」

2021年5月25日 火曜日


晴れ。



§º人間という知性現象が抱える問題は、単に[生命現象という媒体]の問題である場合が多い。喩えて言うなら、カセットテープに録音された音楽が磁気によって損なわれたり失われたりする問題は、録音されている音楽それ自体の問題ではなく、カセットテープという媒体が磁気に弱いことが問題なのだ。「生命とは何か」は、人間にとって[瑣末な、よくて二義的な問題]。それは、音楽家にとって、カセットテープの特性や弱点が、二義的な問題なのと同じ。



『コロンボ』や『古畑任三郎』のような倒叙ミステリードラマと、ちょっとまえに流行った『カメラを止めるな』には共通点がある。どちらも、一作品の中で「2周する」のだ。倒叙ミステリーは、初めに犯人の犯行の様子を観客に見せ、探偵や刑事が現れて謎を解いていく間にもう一度、犯行の様子を観客に見せる(思い出させる)。『カメラを止めるな』は、最初にゾンビ映画を観客に見せ、そのあとで、今度は視点を変えて、そのゾンビ映画がどのように撮影されたかを、観客にもう一度見せる。[一つの作品の1周]で「2周」するのは、まあ、「伏線の回収」のバリエーションとも言える。作品の「伏線回収」に観客は快感を覚えると、普通は、もう一度最初から作品を観ることになる。しかし1周のうちに「2周」する作品の場合は、この「もう一度最初から作品を観る」を最初のエンディングですでに実現していて、それが好いのだ。



晩飯に、手作りソーセージと、黒ラベルと、Dread Noughtのケーキ三個。



2021年5月24日月曜日

アタマの悪い人間を見分ける方法は簡単

2021年5月24日 月曜日


曇り。17時半ごろ、猫散歩。




笑い飯・哲夫の「Octoberはもともと8月だった問題」についての考察(その2)。[今のカレンダーの8月であるAugustは初代ローマ皇帝アウグストゥスの誕生月が8月だったことから、そう呼ばれるようになった]と『続英単語の語源図鑑』に書いてあった。ということは、一年の「8番目の月」が、October とAugustの二つ存在することになる。哲夫に拠れば、[もともとは、一年は10ヶ月しかなく、蛸(octopus)の足が8本だから、8番目に月をOctoberと呼んだのが、のちに一年が12ヶ月に増えて、Octoberは10番目に月になった]のだから、後から割り込んでOctoberから「8番目の月」の座を奪ったのは、Augustである可能性が高い。つまり、後から割り込んだ二つの月のうちの一つは、Augustである可能性が高い。では、あともう一つは?


うん、Googleは黙ってろ!



『ガンダム』にしても『イデオン』にしても、劇場版は、演出が臭くなる。その点、テレビ版はドライ。比べて見ると、このドライな感じのほうが富野節が効いてる。劇場版は、やっぱり、直接金を払ってもらうんだから、という変なサービス精神があって、それが、作品の「緊張感」を一段下げている。平たくいうと、劇場版は阿ってる。



§º一人の人間の知性現象にとって、自身の身体は、太陽と同じである。仮に、50億年後の人類が、太陽系からの脱出の手段を手に入れてないとしても、太陽はそんなことは御構い無しに膨張して、地球を飲み込む。同じように、一人の人間の知性現象にそのつもりはなくても、その人間の身体は、二百年を待たずに、死に腐る。



§ºアタマの悪い人間を見分ける方法は簡単。

1)[説明になっていない説明]で納得する。

2)[説明になっていない説明]で他人を説得する。

要するに[説明になってない説明]を見抜けない。


2021年5月23日日曜日

照ノ富士、2場所連続、4度目の優勝。

2021年5月23日 日曜日


晴れ。やや肌寒い。13時半ごろ、猫散歩。



大相撲。遠藤は正代に負けて4敗目。優勝戦線から離脱。照ノ富士は、本割で貴景勝に負けて3敗。しかし、優勝決定戦では貴景勝を破り、2場所連続、計4度目の優勝。大関としては初の優勝。来場所は綱取り。それにしても、このところ、貴景勝と千秋楽で優勝を争うということが多い照ノ富士。



岡田斗司夫ゼミ視聴。映画『スタンドバイミー』の解説と、サイコパスの人生相談。その後、ゼミでちょっとだけ触れられた「山田五郎のおとなの教養講座」のドガの回(二つあった)を面白く視聴。曰く、ドガが百年先を行っていた変態。



昼に、ゆうの菓子パンを4個と、どん兵衛の焼き饂飩。夜は、黒ラベルと、りょうのキーマカレー(冷凍)とピクルスと晩柑。



2021年5月22日土曜日

久米宏のkume*netを「発見」して、面白く観てる

2021年5月22日 土曜日


晴れ。18時過ぎ、猫散歩。



最近の久米宏のkume*netを「発見」して、面白く観てる。で、少し前の動画で、[天気予報が「洗濯物指数」とか「今日の服装」とかをいちいち言うのがアタマにくる。こんなことまで言ってたら、日本人はみんなアホになる]とか言ってた。バカだなあ。あれは、そういう「今日の天気をめぐる他愛もないこと=本気の相談ではない相談」をする相手のいない人たち(主に、孤独な都会の単身労働者たち)に向けた「今日もお元気で」とか「気をつけて行ってらっしゃい」と同じものなのだよ。家族と住んでいたらとりあえず訊いてみたりするだろ、正解を求めず。「今日、傘持ってったほうがいいと思う?」とか、「洗濯物干したままで大丈夫かなあ」とか。で、答える方もいい加減なことを答えるだろう。つまりただの「挨拶」なんだよ。テレビのお天気お姉さんのやってるアレは。



パン工房ゆう(近所のパン屋)の塩バターロールにインド産の[胡瓜のピクルス]を挟んで食べると、旨い[ハンバーガー(ハンバーグ抜き)]になることを発見した。下手に[本物のハンバーグ]がないことで、返って、自分にとっての理想のハンバーグを脳が勝手に妄想して、「今、たまたまその理想のハンバーグがない部分を食べている」という感じになる。



土曜ドラマ『今ここにある危機とぼくの好感度について』第4回を面白く観た。次回は最終回



続けて『コントが始まる』第6回を面白く観た。オープニングの中華屋「ポンペイ」での雑談の場面は、基本となる場面設定([中浜姉が下の名前で呼ばれない問題]をみんなで論じる)だけを決めて、俳優陣がセリフを含め自由に演じたという印象。好かった。あと、最後の、酔っ払った中浜さんが絡む公園の場面も好かった。



§º敢えてバカみたいな言い方をすると、人間には大きく分けて、(1)問題解決の手段として戦争が選択肢に入っている人間と、(2)戦争は選択肢に入ってない人間の2種類がいる。言い換えるなら、(1)の人間は、[人死(ひとじに)]を「経費」のひとつと捉えるということ。いうまでもなく、味方の兵士(あるいは市民)からはただの一人も犠牲者は出ないと本気で考えて戦争を始める[王、大統領、首相、将軍など]はいない。彼らは皆、一定数の味方が死ぬことを前提に、コトを進めるのだ。


で、こういう(1)型人間は、戦争以外では「正体が露見」しないかというと、そんなことはない。要は、(1)型人間とは、「最終的あるいは全体的な利益を考慮した場合(主に金勘定。時に信条や名誉のため)、ある程度の死人がでても、遂行すべきことがある」と考える人間のことだからだ。


そう、新型コロナ禍でオリンピックをやりたがる連中が(1)型人間。東京オリンピックを開催したことが原因で、仮に、コロナ患者が増えたり、コロナで死ぬ人間が増えたりしても、オリンピック開催という(経済的にも名誉や信条からも)「素晴らしい事業」を成し遂げるための「経費」としては充分受け入れられる、と、(自覚があるかないかは別にして)考えているし、考えてしまう。まあ、昔なら「お国のために死んでくれ」と言っちゃう連中。


とはいうものの、(1)型人間を非難しているわけではない。というのも、実は(1)型人間の考えは、(2)型人間よりも「合理的」なのだ。彼らが「合理的」なのは、つまり「人間はどうせ死ぬ存在」という事実があるからだ。(1)型人間の「人死は経費」という思想の根底にあるのは、「どうせ死ぬんだから、何かの役に立って死ぬほうがいい」という、「生命教」の「教え」の一つ。だから、「合理的」と言っても、所詮は、生命教狂信者の内側だけで通用する代物なんだけど。


[(2)型人間は(1)型人間に比べて「合理的」ではない]というときの(2)型人間には、一つの条件がつく。それは、この(2)型人間もまた同じ生命教の狂信者であれば、という条件。(2)型人間が生命教の狂信者でもあるというときにのみ、彼らは合理性の点で(1)型人間よりも劣る。この場合の(2)型人間の考え方は、[生命は何よりも尊い(うっかりしたらこの宇宙よりも尊い)]という[究極の狂信]が言わせているものだから。まあ、病気。


しかしここに、生命教狂信者ではない(2)型人間が存在する。つまり、我々だ。生命教から「解脱」した我々にとって重要なのは知性現象であり、生命現象ではない。生命現象は単なる「媒体」であり、この「媒体」の寿命が近い将来尽きることは(我々にとっても問題ではあるが)断じて[負うべき何か]ではない。それを言い換えるなら、「媒体」の短い寿命を、日々の行動の指針や基準に組み入れることは馬鹿げている、ということ。


もう少し言おう。


人間は、なぜ子供を産み続けるのか? 一つには遺伝子から始まる、いわゆる「繁殖本能」ゆえだろう。しかし、人間は、犬猫ではない。生まれてくる赤ん坊が、結局は老いぼれて死ぬことを充分知っているし、老いぼれる前に、病気になったり、殺されたりして死ぬかもしれないことも充分に知っている。では、なぜ、人間は子供を産み続けるのか? それは、生命現象由来の禍は、[自らの責任]の埒外として謂わば「棚上げ」にし、それよりも、新しい知性現象の[創造/出現]に希望なり期待なりを[抱き/託す]からだ。


知性現象の最大の特徴は、生命現象という媒体の「世代」を超えて[積み上げられる]ということ。生命現象など、所詮は「生老病死」の循環である。生命現象が世代を重ねても実現するのはただの「進化」。生命現象に「進歩」はないのだ。知性現象が成し遂げる[世代を超えた「積み重ね」]こそが進歩である。すると、生命現象という媒体の「寿命」の短さを理由に、知性現象の進歩に与えられるはずだった期間を[短縮/中断]することは、バカバカしい以外のなにものでもないことがわかるだろう。



2021年5月21日金曜日

「ちびっこ相撲:貴景勝」は、土俵下に華々しく「トペ」をやって、遠藤に負けた

2021年5月21日 金曜日


晴れ。昼間、時々雨粒あり。



マルク・レビンソン著『コンテナ物語』/Kindle/岡田斗司夫が絶替するのでウッカリ買って読んだが、「資料本」だよね。読んでてオモシロイということはない。「ヘえ〜」という感じはあるし、「なるほどそういうことか」という感概もあるが、余計な情報が多すぎて、読んでてオモシロクない。コンテナが果たした役割というものを伝えるだけならこの半分のページ数で済んだ筈。今気づいた。この独特のツマラナさは、クドクドと長い「報告書」のソレだ。ひとつ学んだのは、岡田斗司夫の絶替する本は、自分では読まずに岡田斗司夫の解説を聴くだけで済ますのが賢明ということ。



照ノ富士、逸ノ城に完勝。「1周目」のころの照ノ富士は「逸ノ城相手に二場所続けて「水入り」の相撲を取ったことがある」とアナウンサーが話していて、ああそうだったな、と思い出した。当時の照ノ富士は「怪力」と「体の柔軟性」に物を言わせた相撲しか取れなかったので、そういう「力任せ」が通用しない相手(←逸ノ城のような)だと、負けはしないが勝てもしない(勝ち方がわからない)という事態に陥りがちだったのだ。「2周目」の照ノ富士は違う。今日の相撲も、上手が取るために、相手の動きを「誘う」技術をちゃんと使えて、それで勝ってる。「2周目」の照ノ富士はちゃんと相撲ができるようになったということ。だから、強い。あと、今日の「ちびっこ相撲:貴景勝」は、土俵下に華々しく「トペ」をやって、遠藤に負けた。



『桜の塔』第5話(6話だったか?)を面白く観た。第二部の第一話。第一部の5年後である現在の話。と言っても、無精髭で父親の墓前で酒をあおっている上条のいる時間よりはかなり前。



晩飯の前に、むらかみドーナツを4個。そのうちプレーンは2個。やはりプレーン。





2021年5月20日木曜日

癌細胞は「果てしなく増殖し続ける」という、生命(遺伝子)の第1原理にただ忠実なダケ

2021年5月20日 木曜日


晴。18時半ごろ猫散歩。



§º癌細胞は「果てしなく増殖し続ける」という、生命(遺伝子)の第1原理にただ忠実なダケ。生命の「本分」からいえば。「異常」なのは、アポトーシス(自死)する「健康な」細胞の方。



§º仮に「狼男」を、「満月を見たら獣に変身する持病持ち」と捉えたら、当人はquality of life のために「治療」を試みるのではないか?




照ノ富士、昨日の反則負けは忘れて、今日は阿武咲に完勝。朝乃山は今日から休場。場所前に、「コロナの最中、接待を伴う飲食店に出入りしたこと」を文春オンラインに報道されて、師匠の高砂親方が、謹慎処分にした。どうりで、毎日ずっと虚ろな表情で相撲を取ってたよ。


2021年5月19日水曜日

「巨大ロボットモノ」で言えば、結局「鉄人28号」が最もリアルだったという結論になる

2021年5月19日 水曜日


日中は晴。夜から少し雨。16時半ごろ、猫散歩。



§º「巨大ロボットモノ」で言えば、結局「鉄人28号」が最もリアルだったという結論になる。「ガンダム」などの、人間が乗り込んで操縦するタイプで、あんなに激しくロボットが動き回れば、操縦者は、乗り込んでいるエレベータのワイヤーが切れて、20階から下まで落ちたときのような事態に陥る。すなわち、ぐちゃぐちゃ。もしも、どうしても、巨大ロボットに乗り込みたいなら、映画『サロゲート』のような遠隔操作できるアンドロイド経由で乗り込むしかない。また、この「サロゲート経由」こそが、恒星間移動(探検)の切り札でもある。なぜなら、サロゲートは、食料もいらないし、空気もいらない。排泄もしないし、無重力や急加速にも耐性が与えられる。「冷凍睡眠」なしでも長期間にわたって宇宙を旅することもできる。そして、ザクを通常の3倍で動かしても、脳が潰れることがない。



§º生命教信者に最後まで祟る呪いは「身ごもった子供を産み育てることが絶対の善である」という信仰かもしれない。「赤ん坊を無事に産み育てること」に客観的な善性はない。これは、単に、生命現象の「願望」である。しかし、人間はこの「ただの繁殖願望」を、全宇宙を覆い尽くす一つの[揺るぎない真理]のように思い込みがち。生命が繁殖することは、当の生命以外は誰も望んでいない。「生命以外」とは何か? 繰り返すが、知性現象は、必ずしも生命現象である必要はないのだよ。 




照ノ富士は妙義龍の髷を掴んで反則負け。一旦は、照ノ富士に軍配が上がったのだが、物言いがついた。VTRを見ても、まあ、掴んでるとも言えるし、そうじゃないとも言える。しかし、今日の審判長が照ノ富士の師匠の伊勢ケ浜親方だったのが運の尽き。伊勢ケ浜親方が「反則はなかった」と言ったら、自分の部屋の大関の肩を持ったのだと言われかねない。だから、他の親方以上に、照ノ富士には「厳しい」判断をせざるを得ない。



「りょう」のカレーとルーローハンと餃子と春巻きが届いた。春巻きは揚げ春巻き。さっそく晩飯に食べる。旨かったが、前に食べた時の方が旨かったように思う。今日は、酒(ビール)がなかったからか?



2021年5月18日火曜日

オトナの「あの世」バナシは、本来「2周目」

2021年5月18日 火曜日


晴れ



今日も、パン工房ゆうの「メロンパンアイス」。



§ºオトナの「あの世」バナシは、本来「2周目」。しかし、年を食っても「あの世」バナシが「1周目」のままの連中が多すぎる。



§ºテレビに出られる芸人は、オモシロイよりも、まず、テレビのルールを守れるからテレビに出られるのだ。デイブ・スペクターは、何よりも日本語を操れるから、日本のテレビに出られるのと同じ。テレビに「許されなきゃ」テレビでは売れない。「テレビ」を他の媒体名に置き換えても同じことが言える。あるいは、「社会」や「商売」に置き換えても。



§ºNSC出身芸人のネタは、同世代の芸人たちのネタを無数に見て「あれとは違うモノ」とか「アノ感じを俺ならもっと」とか言う、一種のマーティングを通過しているので、良くも悪くも「商品」としてすでに成立しているツマラナサがなくはない。



照ノ富士、10連勝。強い。そして、北勝富士を破った豊昇龍は、ますます「朝青龍」化している。


2021年5月17日月曜日

『ガンダム』第40話「エルメスのララァ」視聴

2021年5月17日 月曜日


晴れ。16時ごろ、裏庭で猫散歩。dyson。



『ガンダム』第40話「エルメスのララァ」視聴。明らかに、シャアは、ララァの足手まといになっている。次回、ララァは死ぬわけだが、この時も、もしもシャアがゲルググで出張ったりせず、おとなしくザンジバルに残っていたら、ララァは死なずに済んだかも。いや死なずに済んだだろう。



照ノ富士、今日は強敵高安。予想通り接戦。今場所初めて、際どい土俵。物言いまでついたが、照ノ富士の勝ち。9連勝。そして、今日も朝青龍の甥っ子、豊昇龍活躍。大関正代を、外掛けで倒す。



ひき肉とハーブで作った手作りソーセージ。パサパサだが、味はよい。



2021年5月16日日曜日

オートジャイロとラムジェット

2021年5月16日 日曜日


一日中雨。



照ノ富士、8連勝。中日勝ち越し。一方の朝乃山は、またしても格下(今日は豊昇龍)に背中から倒される(内掛け)。で、豊昇龍のことをちょっと調べたら、朝青龍の甥だった。へえ〜。



今週の岡田斗司夫ゼミの生配信は休みなので、『映像研には手を出すな!』の作者との1回目の対談のUGを視聴した。前に観たような気もするけど、ほとんど覚えてない。『カリオストロの城』に出てきたオートジャイロの仕組みがラムジェットだとかそうじゃないとか、最後のUG動画で岡田斗司夫が土下座するとかは覚えているから、観たのは観たはず。あと、ちょっと『映像研』の原作漫画欲しくなった。



2021年5月15日土曜日

『リング』『らせん』を2作まとめて観た

2021年5月15日 土曜日


晴れ。風強い。



14時半ごろ、「裏庭」でネコ散歩



照ノ富士、7連勝。



昔、楽しみにしているテレビ番組に割り込んでくる野球中継が鬱陶しくてしょうがなかった。今年のオリンピックにも全く同じ鬱陶しさを感じる。



『リング』『らせん』(Prime Video)。繋がった話なので、2作まとめて観た。ちゃんと観たのは初めて。『リング』は、不幸の手紙をビデオに置き換えて、それに明治時代の千里眼事件の逸話を絡めたような、まあ、オカルトもの。『らせん』の方は、その『リング』に科学的な解釈をつけた、完全なSF。どちらの作品ももっと真正面から「稲川淳二」的なものなのかと思ったら、意外にSF=超能力者モノ。特に『らせん』の方は、完全に『アキラ』や『JOJO』の系譜。


最初に「死ぬ」竹内結子が若い!あと、松重さんが出てるとは知らなかった。佐藤浩市(安藤)は、マンマ『鍵のかかった部屋』の芹沢豪だった。









2021年5月14日金曜日

ナチス・ドイツの真の後継者である、例の中東の国が、このところまた、派手にやってるね

2021年5月14日 金曜日


晴れ。



『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』(私物)を視聴。3周目か4周目。ピートがメキシコの安酒場から、テキサスのレイチェルと電話で話す場面で、安酒場のオンボロピアノ(アップライト)が奏でているのは、ちゃんと、ショパンの「別れの曲」。あと、この時のピートは相当酔っ払ってる。



§º銃社会容認派(=「銃が人を殺すんじゃない、人が人を殺すんだ」派)の「アタマがおかしなヤツが銃乱射事件を起こす」説を受け入れたとしても、銃社会(原則として、あまねく銃が行き渡ることを認めている社会)の方が、銃規制社会(特別な職業につくか、特別な許可がない限り銃を所持できない社会)よりも、銃乱射事件が起きる確率が断然高いことは、確率というものを習いたての中学生でもわかること。銃社会で確率(可能性)が考慮されるのは、アタマがおかしなヤツの出現率だけだが、銃規制社会では、さらにそこに、そのアタマのおかしな奴が銃を持っている確率が掛け合わされることになるからだ。


銃社会では、アタマのおかしなヤツは稀な存在だが、銃を持っている人間は稀ではない。その社会での、「銃乱射事件」からの防護壁としての「稀な事象」は、「アタマのおかしなヤツ」だけだ。しかし、銃規制社会では、銃を持っている人間も稀。だから、銃規制社会では、「銃乱射事件」からの防護壁としての「稀な事象」が二つあることになる。



§º「天然素材のみを使用しているので安全です」というときの「安全」の正体は、「そういうもので、命を落とすような生き物は、長い自然淘汰の歴史の中で既に排除されている(滅ぼされている)から」という意味。天然素材の「安全性」の正体はそういうこと。逆に、人工物(人工着色料とか人工甘味料とか)が「危険」なのは、この世界に現れて間がないので、自然淘汰の「ふるい落とし」が全然行われていなくて、だから、それらの「人工物」のせいで、具合が悪くなったり死んだりするものが、まだ大量の生きている(滅びてない)という、ただそれだけ。



§ºナチス・ドイツの真の後継者である、例の中東の国が、このところまた、派手にやってるね。アメリカもそこまで「肩を持つ」のなら、自国のどっかの土地を、連中の国家まるごとの引越し先に明け渡してやればいいのにねえ。それはイヤなんだろう?



照ノ富士、4連勝。強い。一方の朝乃山は、格下相手にまともに組み合って上手投げでひっくり返されていた。こりゃあそうとう「重症」だよ。


2021年5月13日木曜日

Amazon ギフト券で支払ってもらえば、所謂所得税って取られないんじゃないの?

2021年5月13日 木曜日


晴れ。



Amazon ギフト券で支払ってもらえば、所謂所得税って取られないんじゃないの?



照ノ富士・若隆景。照ノ富士の圧勝。照ノ富士は「仏像」が相撲を取ってるような相撲。



『桜の塔』第一部の最終回を観た。来週は5年後(2021年)の話。いろいろあって、でも、結局全て水に流すと言ってしまう千堂大善(椎名桔平)のような人間が最も恐ろしい。しかし、主人公上条(玉木宏)も、あんなことがあって色々「わかった」のに、千堂の娘と結婚してしまうのが腹が据わってる。いや、いろいろと脇が甘いドラマではあるよ。千堂の凄さを表現するために、上条が簡単なわなに気づかなかったり。つまり、例えば、もしも本当に佐久間が千堂を「裏切る」ような状態にあるなら、千堂は佐久間を「野放し」しているはずがないのだ。だから、佐久間が上条に「協力」した時点で「これは怪しい・罠だ(佐久間は千堂の命令で動いている)」と上条は気づかなければウソだ。もうひとつ、クラブ「S」のママ(高岡早紀)が、千堂のいいなりになっている理由が安直(末期ガンの母親の治療費を千堂が出している)。ちなみに、クラブ「S」って、そのままやん! あのドラマの中でも千堂が言ってるし、漫画の『クロコーチ』でも言ってるけど「S」は警察隠語で「スパイ」のこと。だから、クラブ「S」は、クラブ「スパイ」ということ。







2021年5月12日水曜日

ソフトバンクが日本企業では最高額の黒字計上

2021年5月12日 水曜日


晴れ。夜明け前は冷え込んだが、昼からはむしろ暑くなった。



ソフトバンクが日本企業では最高額の黒字計上。4兆円以上。前年度は孫さんが「真っ赤っか」と笑っていたのに、この盛り返し。しかし、ニューズ映像の孫さんは、「4兆円でも5兆円でも10兆円でも満足しない男です」と自分のことを言っていた。サスガ。



照ノ富士、強い。そして、若隆景、巧い。明日は、この二人の対決。



noteに「isotopes」を有料公開した。「〜ヤツ」シリーズをまとめて19本ほど(数えてない)。noteは、昔のパブーの100倍使いやすい。



岡田斗司夫の[本の紹介/解説]は面白いが、いざ、自分でその本を読んでみると、そこまでは面白くない。つまらないのではないが、読み通すのが面倒臭い感じる本が多い。これは、喩えるなら、考古学者からピラミッドの話を聞くのは楽しいが、一緒にピラミッドに出かけて、埃まみれになって色々調べるのはあまり楽しくないだろう、というのに似ている。あるいは、科学者から科学の発見の話をあれこれ聞くのは楽しいが、自分も一緒になって実験したり研究したりするのはむしろ辛い作業になるにちがいない、というのと同じ。



スマホの音声録音アプリが、グーグルドライブとうまく同期できない。いや、同期はできるのだが、いざ、アップした音声を聞こうとすると、全然聞けない。ダウンロードしても聞けない。これでは使えない。というわけでZoom(←テレビ会議アプリのメーカーではなく、音響メーカーの方)のQ3にはこれからも活躍してもらうことになるだろう。


2021年5月11日火曜日

水漏れしていた[洗濯機のホース]の替えがAmazonから届いた

2021年5月11日 火曜日


晴れ。



水漏れしていた[洗濯機のホース]の替えがAmazonから届いた。新しいのに交換する作業をしてわかったのは、水漏れの原因が、蛇口との接点のパッキンだということ。もしかしたら、新しいのにしなくても、古いのを一旦外して締め直せば、水漏れは治ったかもしれない。治らなかったかもしれない。



§º考えてみれば、死んだ人間が歌っている歌ばかり聴いている。しかし、これは、現在の地球人類の大半に言えることだろう。



マカリーズで買って来た、見切りに品のイチゴ(しかしそれでも1パック600円もする!)が旨かった。サツラクの贅沢濃味ヨーグルトに混ぜて食べるとまた乙。



岡田斗司夫ゼミのUGを視聴した。2015年の動画。フランシスコ・ザビエルについて話している回。しかし、それよりも、[ほとんど世界中で日本しかなかった「子供にお小遣い(現金)を与える習慣」]が、日本の漫画・アニメ文化の土台を築いたという話の方が興味深かった。もうひとつ。英語圏進出のために、Googleが翻訳しやすい日本語「Googlish」をものにするというアイディアもおもしろかった。



5月11日は、Lynchの「The Weather Report (The Return)」の誕生日。と、さっきWeather Reportの動画を見て知った。一周年。





2021年5月10日月曜日

『ガンダム』第39話「ニュータイプ、シャリア・ブル」を視聴

2021年5月10日 月曜日


概ね晴れ。昼と夜に少し雨。昨日から若干花粉症の症状。マスク着用。



『ガンダム』第39話「ニュータイプ、シャリア・ブル」を視聴。


セイラがブライトに対し、シャアとの関係を打ち明け、シャアがくれた金の延べ板をホワイトベースのみんなで分けるよう言う場面を見て、今更、気づいたことがある。


セイラがブライトに打ち明けるのは、

1)シャアがセイラの兄であること、

2)シャアの本名がキャスバルであること

3)シャアが、死んだ父親の遺志を実現しようとしていること

4)自分はシャアと刺し違えてもいいこと。


つまり、シャアとセイラがジオン・ダイクンの遺児であることは明かしてない! 劇場版ばかり見ていたせいで、TV版でも同じように何でもかんでもブライトに打ち明けているのかと思ったら全然違った。だから、TV版のブライトはセイラの打ち明け話を聞いたあとも割合落ち着いている。劇場版のブライトは、セイラが故ジオン・ダイクンの娘だと聞いて激しく動揺しているし、セイラも気が動転して涙の訴えをするのだが、TV版のセイラは、かなりまだ「ごまかして」いる。そして、このごまかしているほうが、やっぱりリアルだと思った。劇場版はわざとらしい。おそらく、2時間の有料作品としては、盛り上げて観客を楽しませなきゃ、という、「余計な」思惑が働いたのだろう。



「山田五郎のオトナの教養講座/ミレーの『落ち穂拾い』」を面白く視聴した。ミレーは農民画家になんかなるつもりはなかったし、自分を農民画家だとも思っていなかったという話。



大相撲5月場所、二日目。照ノ富士は2連勝。他の大関は三人とも黒星。大関の中で今本当に強いと思えるのは、照ノ富士だけ。他の三人は、まあ、たまたま今大関をやってるだけの関脇という感じ。




2021年5月9日日曜日

super gene:スーパージーン、超遺伝子

2021年5月9日 日曜日


一日中晴れ。16時半頃ネコ散歩。



哲夫が『相席食堂』で披露したオクトーバーの話。「タコは英語でオクトパスで、タコの足は8本なのに、なぜ、今、10月をオクトーバーというのかというと、昔は、一年が10ヶ月しかなかったから」という説明。


ちょっと聞くとよく分からない。


つまり、昔はなかった2ヶ月が、オクトーバーの前に付け足されて8番目の月からから10番目の月に下がったので、今、10月をオクトーバーというのだな。


(「Googleは黙ってろ!」)



『ボトムズ』11話「逆襲」視聴(サンライズチャンネル)。



岡田斗司夫ゼミ「映画『タイタニック』解説/後編」を視聴した。喋って喋って2時間半。最後、やっぱり、いつも通り、ウルっと来てたが、悲しくなってウルっとしてるのではなく、喋っているうちに「コーフン」して涙が出てくるという感じに見えた。10歳前くらいの子供が、ゲラゲラ笑いがすぎて、突然泣き出す、あの感じ。昔、自分の弟で、何度か見たことがある。


ちなみに、来週は休み。らしい。



super gene:スーパージーン、超遺伝子


染色体の一箇所に複数の遺伝子が固まって、共同して働く。さらに、そのセットがそのまま世代を超えて伝わっていく。super geneがひとかたまりになって遺伝するのは、super geneでは「逆位(ぎゃくい)」が起きているせいで、生殖細胞になるときに「組み替え」が起きないから。ちなみに、性染色体もsuper geneではないかという話も。


(Eテレ「サイエンスZERO」)


2021年5月8日土曜日

「パン工房ゆう」の塩パン(塩バターパン?)が旨い

2021年5月8日 土曜日


一日中晴れ。花粉症の症状少しあり。15時ごろ「裏庭」で「ねこ散歩」。



「パン工房ゆう」の塩パン(塩バターパン?)が旨い。



『今ここにある危機とぼくの好感度について』第3回を面白く観た。やはりこの映画は、ポップな印象とは「裏腹」の社会はドラマ。次週(は5/22)の予告に嶋田久作が登場。すでに、怪人大集合の様相の本作に、怪人感最強クラスの俳優が参戦で、完全に「ショッカー」ドラマ。この回で登場した四人目の講演者「浜田剛志」を演じているのは、今見てるドラマ『桜の塔』で主人公の死んだ父親役をやっているのと同じ俳優だった。名前を調べたら「岡部たかし」。


続いて『コントが始まる』第4回を視聴。こじらせたマザコンの瞬太(神木隆之介)が、母と死に別れる回。もしも、本当に母親との縁を切ったのなら、母親からの電話の着信を拒否しているはずだし、母親が嫌がる「金髪」にすることもない。だから、こじらせたマザコンで、実際、母親との別れの場面はその通りの振る舞いをした。


あと、瞬太の乗っている赤い車の車種が気になって調べたが分からなかった。かなりのvintage car。最初はアルファかと思ったけど、違った。左ハンドル。このドラマで焼き鳥屋のオヤジの役をしている伊武雅刀が、『今ここにある危機』ではナレーションをやっている。


つまり、『桜の塔』『今ここにある危機とぼくの好感度について』『コントが始まる』で、出演者の「連絡」がある、というちょっとした「発見」。



猫の爪とぎ棒の台座だった、およそ80センチ四方の合版を、毎日5センチずつのノコギリ切っている。4等分して、燃えるゴミに出すため。かなりの

「大物」だが、まあ、今月中にはカタがつくだろう。



Tumblrの「アナトー・シキソの√nの法則」を削除した。


靴も靴下もない

以前住んでいた部屋のベッドの上で目が覚めた。今住んでいる場所を入れて5つ前の引越し先の部屋だ。5つ前でも一年以上は住んだのだから、他人の家という感じは全くしない。ただし、不思議は不思議だ。今まで家賃はどうしてたんだろう。もしかしたらこの25年間ずっと口座から引き落とされてきたのだろうか。それとも四半世紀分の滞納があるのだろうか。当時既に老人だった大家はもう死んで、息子か娘の世代が後を引き継いでいたら、なんだか、そういう始末が面倒になりそうだ。

暗がりの天井を眺めながらそんなことをあれこれと思う。

しかし、もっと面倒なことがある。さっきから見ている天井いっぱいに、樹木の枝が茂っているのだ。

樹木の枝は樹木の根と対称関係にある。枝は空中で日光と水を集め、根は地中で養分と水を集めるという違いはあるが、まあ「同じもの」だ。人間は地中ではなく、空中(地上)にいるので、枝の方にカタイレするが、絶対的な視点に立てば、地中にいるのが本来で、空中にいるのは「はみ出している」状態だと考えても全く問題ないはずだ。地球という塊の中にズッポリとハマリ込んでいる根の方がマトモで、そこから飛び出してしまって「宇宙に落ちそうな」枝の方は、喩えるなら、満員の列車の窓から下半身をはみ出させている乗客のようなものと言えなくもない。

暗がりの部屋が赤く点滅を始めた。見ると、壁で丸くて赤い光が点滅している。電話か時計か湯沸かし器かガス漏れ探知機かそういう装置の発光ダイオードの点滅。

ベッドから足を下ろした。足の裏が床にあたってひんやりする。素足なのだ。ベッドで寝ていたのだから素足でも不思議はないが、部屋は妙に冷えているので、このまま素足でいるのはどうかと思う。暗がりで、靴下と靴を探す。

素足で歩いて赤い点滅に向かう。内線電話。受話器を取って点滅を押す。

「ああ、やっと出ましたね。急いで下に来てください」

「何かありましたか?」

「靴を預かってます」

「ああ、そちらに」

「ええ」

「靴下もそちらですか?」

「靴下の話は、よそでしてください」

「よそというのは?」

「他ということです」

電話を切って部屋を出る。素足で冷たい階段を降りると、踊り場のところで、下に敵意を持った何かが待ち伏せていることに気づいた。踊り場の壁を押すと抜け道が現れたのでそれを使う。

下で待っていたのは昨夜母親を亡くした看護師で「靴はその中です」と消火器入れの赤い箱を指す。