2021年5月8日土曜日

四畳半

ひだる神に取り憑かれて、四畳半で死にかけていると、顔面包帯ぐるぐる巻きの死神が現れた。黒い詰襟の死神は畳の上に正座している。包帯の隙間に紙巻きたばこを差し込んで器用に煙を吸う。

「低血糖症。ひだる神の正体は急性の低血糖症さ」

知ってる。

畳を這って冷蔵庫からコーラ缶を取り出し一気に飲む。

「自殺が難しいのは、最大の抵抗者が自分自身だからさ。人間の体は人間の意識とは無関係に生きている。人間の意識が自殺を目論むことはあっても、人間の体は決してそんなことをやらない。人間の体は生命だから。生命に生命の自覚がない。生命は生命というのもの知らない。自分が生命だということを知らないだけではなく、生命というものがなんなのかも知らないという意味だ。そんなものが存在していることさえ気づいてない。だから、生命は生命を終わらせることができない。生命をどうこうしようとするのは、生命ではないものだ。それが、この地球上では、たとえば、人間の意識になる」

死神のタバコの煙で四畳半が霞む。

「意識がなくても人間の体は生きることができる。一方で、体が生きてなくては人間の意識は存在できない。そもそも両者の立場は対等ではない。人間の自殺は、店子の指図で大家が自分のアパートを壊すようなもので、うまくいかないのがアタリマエ」

死神は缶コーヒーの空き缶にタバコの吸い殻を入れる。

「だから、だまし討ちにするしかない。たとえ、自分自身が相手でも、隙をついてやるしかないのさ。大きな失敗をして気が塞いでいるとか、大病で体力が落ちているとか、そういうのは、つまりは人間の体の方に隙があるってことで、そこを狙う。ちまちまやってちゃダメだし、じっくり考えててもダメ。勢いが大事。ある意味、結婚とか就職とかと同じだよ」

立ち上がった死神の頭は天井スレスレだ。

「アメリカ人というのは、いつまでたってもちっとも垢抜けない、地球一ダサい連中で、その幼稚な精神が、いわゆる銃社会を作り上げている。お互いに好きに撃ち殺しあえる銃社会は、まあ、問題も多いが、自殺志願者にとってはひとつの楽園だよ。自殺を思い付いたら、ホームセンターで電動ノコギリを買うように、銃を買って即実行できる。スイスだのに出かけて行って、証明書だの承諾書だのに署名したり、ビデオカメラに向かって意思表明をしたりする必要もない。買って、咥えて、ズドン」

銃、さもなくば、凍死。

そう思って、体を起こした。