2020年5月13日水曜日

Twin Peaks season 3のpart 11は、Janey-Eの「ダギー、ダギー、ダギ~~~ !!」を始め、Candyとハエの場面や、アンソニーを迎えに行ったCandyがなかなか帰ってこない場面や、ミッチェム兄弟とダギーの「和解」や、レベッカが旦那の浮気相手のアパートに乗り込む場面や、Double RRでの銃の暴発や、とにかく見所目白押し。


ところで、全18パートの「Return」で証明されたことは、もしも、かつての『Dune』や『Fire walk with me』をLynchの好きに、つまり、上映時間の制約なしに完成させていたら、きっと今の状態よりももっと好い作品になっていたハズということ。『Fire walk...』でやむなくカットされた場面だけを再編集したらそれだけで90分にもなったのだから、今ある「完成品」は、どう考えても「カタワ者」。『Dune』に関してはそれほど詳しくはないが、あれも、もっと時間を費やして描いた方が好くなるのはほぼ間違いない。それを、カネをあっちからこっちに動かす以外に大した才能もない連中が口出しして、作品を「殺す」のだ。


Candyのハエのくだりや、ダギーやCandyのゆっくりした反応に典型的なように、Lynchの映画に不可欠なのは「長い間」すなわち「しばらく黙って物事の推移をじっと見ている視線」なのだ。


考えてみれば、最初の『Eraserhead』からして、「しばらく黙って物事の推移をじっと見ている視線」だらけの、というか、それを楽しむ映画ではないか。ちょっと、その点で、タルコフスキーの映画(『ストーカー』など)に似ている。


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立憲民主党のナントカいう議員の、尾美さん(コロナ関連医療の責任者)に対する質問態度が酷いというのでメディアで騒がれているが、確かに酷い。というのは、尾美さんは一番最初に議員の質問に対して答えているからだ(「今の時点では誰にも分からない」がその答え)。ところが件の議員は、おそらく、自分の質問内容というか「自分の意見」に賛成か反対かを「専門家の長」に答えさせたくて、それで執拗に野次を入れている。その様子が、周りにはかなり異様に見えているのに、当の議員はまるで気づいてない。そこが酷い。しかし、単に日本語会話能力に欠陥があるのかもしれない。それならそれで、口頭での議論が仕事の議員には不向き。急いで辞職した方がいい。

2020年5月12日火曜日

『クローズアップ現代+』2020.05.12放送分メモ


【happy hypoxia:幸せな低酸素症】

重症化して体内が低酸素状態になっているのに自覚症状がない。これは、新型コロナウィルス(COVID19)が上気道を素通りして、いきなり肺に到達することで起きる。即ち、上気道での炎症が起きないので、咳などの症状がないまま、肺の中でウィルスが増殖し、肺の機能を蝕んでいく。症状(呼吸困難など)が出た時には、もう手遅れということも珍しくない。


素人考えで敢えていえば、対処法としては、PCR検査で陽性になった場合には、見た目の症状が軽症でもとりあえず、肺のレントゲンを撮ることだろう。肺炎が進行していれば、ちゃんと影が映るわけだから、少なくとも、「急に」呼吸困難状態に陥って命を落とすことはなくなるはずだ。


【サイトカインストーム】

血管壁の細胞に侵入したCOVID19ウィルスを免疫細胞が攻撃を始めた場合、「見た目がそっくり」の健康な血管壁細胞も全て「敵」と「誤解」される場合がある。このとき、健康な細胞に対する免疫細胞の総攻撃の嵐が吹き荒れる。即ち、サイトカインストームである。この「嵐」は身体中に張り巡らされて血管を通って、あらゆる臓器に到達しうる。すると、多臓器不全が起き、患者は急速に症状を悪化させ、死ぬ。


【髄膜炎】

COVID19ウィルスが鼻の細胞から侵入して髄膜に炎症を起こす。或る20代の患者は自宅療養中に倒れ(家族が発見)、病院に運び込まれた。入院し、治療した結果、髄膜炎は治ったが、ここ1~2年の記憶(職場の名前や場所、あるいは、今、新型コロナ騒動が起きていることなどの記憶)を失った。


【フサン】

30年以上使われている膵炎の治療薬。ウィルス増殖の抑制(ウィルスが血管壁に入り込むのを抑える)と、血液凝固の抑制という二つの効果があり、期待されている。即ち、ウィルスの増殖とサイトカインストームの両方に抑制効果があるということ。因みに、アビガンやレムデシベルは、ウィルスの増殖を抑えるだけの薬なので、サイトカインストーム(からの多臓器不全)には効果がない。


【酸素飽和濃度:サチュレーション】

血液中の酸素飽和濃度のことで、94%以上が正常。酸素飽和濃度を測定する装置(指を挟む小さな装置)は、使用に専門知識が必要な上、機材も不足がちなので、素人が家庭で使うようなことは避けてほしい、と「現場」からの声。

2020年5月11日月曜日

「#最終回発情期」という言葉を聞いた。曰く、漫画などの物語の最終回で登場人物たちのツガイが一気に誕生する現象。これは、有性生殖動物である人間のサガ。すなわち、人間が繰り広げる(思い描く)どんな物語も、結局のところ、「求愛行動」の「焼き直し」「言い換え」「喩え」にすぎないので、「交尾成立」が、作者にも読者にも、強烈な「一段落感」をもたらす。


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『鍵のかかった部屋』特別編の第一回を観て、唖然とした。榎本が初めて登場する、芹沢が金庫に閉じ込められる場面が丸ごとカットされていたからだ。青砥が、依頼者から「社長の自殺に不審な点がある」と相談されてすぐに、(金庫を開けて芹沢を助け出した後で)会社の車に乗って帰ろうとしている榎本に、青砥が「お疲れ様です」と声をかける場面になる。金庫の場面がカットされたことを知らない視聴者は、突然現れた榎本に、初めて出会った青砥が挨拶しているわけだから、これだけでもワケがわからないが、その後、青砥が「!」となって、ものすごい勢いで、榎本に密室を解けるかどうか確かめる状況に至っては、違和感しかないはず。


近頃のドラマは「初回スペシャル」と称して、第一話だけ通常より15分ほど長い尺で放送されることが多いのだが、今回の再放送ではそれが仇になったということだろう。つまり、融通のきかない民放の放送枠で、急にネタギレ(もともとは織田裕二の『SUITS』というドラマを放送していた)になった月9枠に、無理に『鍵のかかった部屋』をねじ込んだから、どうしても初回スペシャルの時間枠を取れず、こういうザンネンな結果になったのだ。もしかしたらあの場面に「今はテレビ画面に出してはいけない俳優」が出演していたのかもしれないが、まあ、違うだろう。


この措置が酷いのは、金庫に閉じ込められた芹沢を、颯爽と現れた榎本が、錠前オタクらしさ全開で見事に助け出す場面が、榎本のというキャラのこれ以上ない紹介になっていること。榎本だけではない。芹沢の「ザンネンキャラ」ぶりも明らかになる。そして、なにより、この偶然の事件によって、3人の主要登場人物が結び付けられる、という大事な意味もある。


初回放送で不可欠の[本題ではない問題を主人公があっさり解決してしまうのを見せることで、視聴者に主人公の凄さを印象付ける場面]をカットしてしまうとは、民放放送というのはなんともはや…。急に来週以降を見る気がしなくなった。

2020年5月10日日曜日

次の(というのはつまり明日の)月曜夜9時から、『鍵のかかった部屋』の再放送が特別編というカタチで始まるらしい(これもコロナ禍の良い副作用の一つ)。一応「全エピソード」と銘打ってるけど、例の新井浩文(風俗業の女に暴力を振るって有罪になった)が犯人役で出演している第五話(傾いた家とテニスボールとトリックの回)は欠番になっている。だから「特別編」なのかもしれない。

しかし、映像作品に出演している俳優なり女優なりが、現実社会で事件を起こしたり、有罪になったからと言って、作品そのものの放送や上映や販売を「遠慮/自粛」するという、薄っぺらの偽善からは、いい加減卒業すればいいのに。

それで思い出したが、志村けんが死んで、YouTubeで公式に『だいじょうぶだあ』が観られるようになったようだが(観てないけど)、なんと、田代まさし(薬物使用でなんども逮捕)の出演場面もそのまま観られるらしい(そもそもカットのしようがない)。これなんかも、田代まさしが出てるせいで、『だいじょうぶだあ』はDVDも販売できず、再放送もされず、という状況がずいぶん長く続いたのが、志村が死んで、世間的か事務所的に「もう大丈夫/いいだろう」ということになったのか、それとも、死んだ志村本人が、田代まさしの映像を出すのを許さなかったのが、当人が死んだ「おかげ」で出せるようになったのか、そういうところは全然知らないし、また無理に知りたいとも思わないけど、結局、世間的な禁忌と言ってもその程度のもの。

所詮はただの虚構作品で、そこに出演している人間の実生活なんか、作品を楽しむ側からしたらどうでもいいこと。演者が、生身の人間でも、CGでも、セル画の上の塗り絵でも、とにかく、虚構作品として楽しめるものなら、観客は気にしないし、何もモンダイにしない。それが、観客としての、健全なアリヨウだ。

逆に、作品を観ながら、この俳優は現実世界でアンナことをしたとか、どんな政治信条を持っているとか、信仰があるとかないとか、学歴がどうとか、ナニジンだとか、そういうことが気になるようなやつは、作品を楽しんでいるのではなく、そこに出ている俳優という個人を楽しんでいるわけで、言ってみれば、自分の子供が出ている学芸会の劇や、親戚の子の初舞台を見ているオジさんと全く同じ。そういう人間にとっては、出演している個人そのものが大事なのであって、作品は添え物にすぎない。

2020年5月9日土曜日

今回のコロナ騒動で、いわゆる「ベーシックインカム」の意義が理解されるだろう。それは、「仕事(商売)で稼いだカネで生活をしない」ということ。「[仕事ができない=生きていけない]にしない」ということ。「[経済を回すこと]と[人が生きていくこと]を切り離す」ということ。「未発達文明を象徴する[働かざる者食うべからず]を死語にする」ということ。

文明が未熟で未発達な状態では、生存活動と経済活動が一体化しがち。野生動物に喩えれば、ライオンがシマウマを捕まえるという生存活動が、そのまま経済活動になってしまっているようなもの。何らかの要因で経済活動の中止を余儀なくされると、生存活動自体も「自動的に」止められてしまい、途端に生き死にの問題になってしまう。

本来の生存活動は個々の生物に属するものだから、個々の生物の「裁量」で全て決まる。一方、経済活動は全体でひとまとまりになって機能しているので、個々の生物の「裁量」ではどうにもならない理由で、強制的に停止状態に追い込まれることがある。言い換えると、生存活動は個々の生物の意思だが、経済活動は経済活動自体の「意思」。「生存活動=経済活動」の生物は、自分の意思とは関係なく、つまり経済活動自体の「意思」によって、自身の「生存活動」の中止を余儀なくされる。

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「左前になる」…左前とは通常と反対の着物の着方で、死者の装束などに用いることから、縁起が悪いということ。あるいは、運が傾き物事がうまくいかなくなるということ。

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カーニバルの頃に新型コロナに襲われたベネチアの様子を取材したNHKスペシャルを観た(おそらく、当初は、直前の高潮の水害から立ち直ったベネチアの姿を撮影しようと思って始めた企画だろう)。その中で、新型コロナの影響が深刻化した頃に、教会の司祭たちがキリスト(神)に向かって「私たちをお守りください」的なお祈りをしている様子が映し出されていた。信者たちやそういうケのある連中は、ああいうのを見ると少し安心したり希望を持ったりするのかもしれないが、我々はむしろ暗澹たる気分になる。つまり、なにやってんだ、と。たとえるなら、水不足で農業に深刻な被害が出そうな時に、政府が公共事業として雨乞いの儀式をやるのを見せられるような、なにやってんだ感。

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肝胆相照らす仲(かんたんあいてらすなか):重要な臓器である肝臓と胆嚢を見せ合う仲。要するに腹の底まで分かり合える仲

2020年5月8日金曜日

「5GがCOVID19の蔓延を加速している」というデマ(陰謀論)が、イギリスで広まっていて、実際の被害(5Gの設置作業員が暴言を吐かれたり、5G施設が放火されたり)も出ているという。(WIRED情報)

「万人が自分のメディアを持つことの弊害」の一つが、知能の低い者の世界観や世界認識が、世界中に散らばる知能の低い者同士で共有され、知能の低い者同士の団結を促してしまうこと。

人類に残された最後の「天敵」は、同族の中に一定数存在し続ける「脳弱者」ども。

5Gがコロナ蔓延を加速させているという陰謀論の中身が具体的にどういうものかは知らないが、想像するにこういうことだろう。

『外出自粛のせいで、世界中で「テレビ電話」的なモノがモテはやされている(利用が進んでいる)。「テレビ電話」的なモノに不可欠なのが高速インターネット通信(回線)で、これがまさに今は5G。つまり、コロナが流行って世界中で外出自粛が続けば、世間の5Gに対する需要はますます高まる。で、これを逆さまにすれば、5Gを普及させて儲けたい企業が、意図的に新型コロナを国中にばらまいて、かつ、感染が縮小することを妨げ、自分たちの利益につなげようとしている。』

実にお粗末。しかし、「陰謀論」アタマの連中のアタマのデキ、[想像力の深度・飛翔力]からすれば、この程度が関の山。

地球規模の感染症が理由で、人類が生き方(社会の仕組み)を変えることになるのは、これはもう「歴史の必然」だが、かと言って「5Gの普及を目論む」企業ごとき「脇役」の思惑でどうにかできるものではない。というもの、パンデミックが地球規模の経済停止が起こすのは、通信インフラではなく、地球規模での実際の移動手段・交通手段・輸送手段の発達具合だからだ。ヒトもモノも、世界中どこでも24時間程度で行くことができてしまえる状況が出現して初めて、今回のような、地球規模の経済停止を引き起こすパンデミックが発生し、人類は「社会システムの変革」を迫られるようになる。そのときの通信インフラの最先端は、5Gかもしれないし、電報かもしれない(実際、技術の発達バランスからそれはないだろうけど)。

つまり、5G陰謀論者は、例えば「コロナ蔓延を加速させているのは電報会社だ」と騒いでるようなもの。

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haveは「ある」、helpは「どうにかする」と訳す方が、「持っている」や「助ける」よりも、しっくり来ることが多い。

2020年5月7日木曜日

コロナ騒動のせいで働くことができなくなったタクシー運転手の、ふだん40万円ほどの給料が、今月はマイナス五千いくらになった、という報道を『クローズアップ現代+』で見た。歩合制なので、稼ぎがなければ、社会保険の支払いなどでマイナスになるのだが、それにしても、これじゃあ両津勘吉の世界。

もう一つ。「あしなが学生募金」が、コロナのせいで春の街頭募金活動をやれず、結果「2億円」の「収入減」になったという話。このまま秋の街頭募金活動もできなかったら、更なる「収入減」になって、学生の支援に支障をきたすと、「あしなが」の担当者。中止だの支援に支障だのより、街頭募金ゴトキで「億」のカネが集まるのか、と、そっちの方にオドロイタ。

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COVID19以降は、図書館利用も卒業することになるだろう(もともと衛生面的には、ずっとイヤだなと思っていたので、まあ、ちょうどいい機会)。そもそも、不特定多数の人間がテンデに本を手に取る形式の図書館施設そのものの存続がアヤシイ気ももする。

そこで、電子書籍の貸し借りにシフトするわけだが、なにしろ札幌中央図書館の電子書籍の品揃えはお粗末で、使い物にならないから困る。しかし、まあ、自分自身が、もう、そうそう「新しい本」を読む必要のないレベルにはなったので(蔵書を繰り返し「低徊」したほうが充実感が高い)、「品揃えが悪い」くらいがちょうどいいのかもしれない。

などと思いながら、物は試しに少し検索して見たら、案の定の壊滅的な「品揃え」。しかし、それでも、デズモンド・モリス(←『裸の猿』の)の『フクロウ』や、ハラリの『サピエンス全史』などがあり(まだ「上」しか読んでない)、まあ、少しだけ見直した。

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コロナ騒動で中止になっているインディカーの本物のレーサーたちが、バーチャルなレースーゲームで「大会」を繰り広げているのを、『News 9』で見た。佐藤琢磨もシミュレーター(高額)を購入して「出場」していた。

もう、これからはこういう「スポーツイベント」がどんどんと増えていくというか、こちらの方が主流になるはず。というのは、「競技」が「命がけ」になってしまっていたのは、要するに「命がけ」にしないで済むだけのテクノロジーを持っていなかったから、というだけの話だから。現にこれまでも、テクノロジーの発達に伴って、全ての競技(テニスでさえ)が「命を危険にさらすこと」を回避できるようなっている。

2020年5月6日水曜日

人間は、ペストはネズミ(あるいはノミ)のせいにし、マラリアは蚊のせいにするが、新型コロナ(COVID19)はヒトのせいにしたがらない。だが、実際は、「ペストネズミ」がペストを、「マラリア蚊」がマラリアを蔓延させるように、新型コロナを蔓延させるのは「新型コロナヒト」である。

つまり、ペスト対策でネズミを駆除し、マラリア対策で蚊を駆除するように、新型コロナ対策ではヒトを「駆除」しなければならない。無論、ヒトを、ネズミや蚊と同じように「殺して駆除」するわけにはいかないので、あたかも[生活圏からヒトが駆除されたかのような環境]の実現をめざすことになる。それが、ロックダウンだの外出自粛だのの、本当の意味。

「俺は感染しないから大丈夫」だの「私は感染しても死んでも気にしない」などとほざくのは、認知レベルが「ペストネズミ」や「マラリア蚊」とあまり変わらないことを公言していることになるし、立ち位置そのものも「ペストネズミ」や「マラリア蚊」と同じになる。実際、「ペストネズミ」や「マラリア蚊」は、そんな迂闊な「考え」で、人間の周りをうろつき続けるから、疫病を嫌う人間に「皆殺し」にされてしまう。

一方で「新型コロナヒト」(←現状全地球人に相当すると考えるべき)には、知恵と知識がある。外出自粛をするということは、実質的には「自分駆除」をするということ。自分の意思によって、「virtualな駆除」を自分自身に課す、ということ。そうすることで、「ペストネズミ」や「マラリア蚊」の存在しない「衛生的な環境」と同じ意味での、「新型コロナヒト」の存在しない「衛生的な環境」がvirtualに実現される。

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所謂「バブル」が弾けるとたくさんの企業や商店が倒産・廃業するわけだが、実は「コロナ以前」世界が、既に或る種の「観光・娯楽バブル」にあったのだ。それが今回の「騒動」で弾けて、これから多くの企業や商店が倒産・廃業していく。

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昔の世界が独裁国家だらけだったのは、どこもかしこもいつでも戦争になりかねない「緊急事態宣言」状態だったから。

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「ブッラータ」というチーズは、モッツァレラチーズで作った「巾着」に、生クリームと細かく切ったモッツァレラを入れて作るので、「巾着」を破ると液体の生クリームが流れ出る。生クリームが入っているので賞味期間も短い(今日食ったブッラータは5日間ほど)。ブッラータは「バターを入れた」という意味。

2020年5月5日火曜日

雑然とした空間に大勢の客を集めることで成立する商売は、それが飲食業であれ、イベント業であれ、全て、今度の新型コロナ騒動で「余命宣告」を受けたわけだけど、表立っては誰もそういうふうには言わないのが面白い。

例えば、末期ガンなどで、患者本人も含め、周りの親族も、医者も、みんなが「保ってあと2ヶ月」と知っているのに、誰もそれを口にはしないで、逆に「治療頑張りましょう」とか「元気になったらあれ食べよう」とか「退院したら皆で旅行しよう」みたいなハナシばかりして、「最期の時」を「取り繕ってる」あの感じに似ている。

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去年は、割と平気だったから「卒業」かと思ったが、昨日から鼻がぐずついて、目がかゆい。言わずと知れた花粉症。

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新型コロナでこんな感じのときに、花粉症の症状を抑えるための抗アレルギー薬を飲んだりすると、免疫が抑制されて、その結果、新型コロナ感染のリスクを高めるんじゃないか、などと思っていたのだが、新型コロナにはサイトカインストーム(免疫暴走)を引き起こす特性があることがわかって、じゃあ、やっぱり免疫抑制剤を飲んでたほうがいいんじゃないか、と考え直したりしている。

多分、正解は、花粉症は花粉症でクスリを飲み、コロナにかかるかからないはそれとは別で、さらにコロナにかかっても、実際にサイトカインストームが引き起こされるまでは免疫抑制剤は飲んでも意味がないのだ。

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テレビの「リモート出演」のやり方がだんだん熟(こな)れてきた。モニターの配置や、モニターに映る出演者とスタジオに実際にいる出演者の「大きさ」を合わせたり、と、そういう点で。

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実写ドラマの『映像研』は来週の第陸回が最終回らしい。毎回番組最後に出てくる「映画版/近日公開」の表示は、シャレかと思っていたけど、この短さ(アニメ版はみっちり30分で9回やった。実写版は正味24分しかないのに6回で終わっている)だと、実際、「テレビの続きを映画でやる」といういつものアレなのかもしれない。

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NHKで再放送が始まった『未来少年コナン』だが、ネット上で早速「文句」が出てる。すなわち画角の問題だ。昨今の横長テレビの事情で、画面上下がトリミングされたカタチで放送されているのが気に入らないらしい。40年前のアニメなので、当然オリジナルは4:3の「正方形」。自分は、見ていて全然気にならなかったが、「うるさ方」は、上下の絵が切られているのが許せないのだ。

2020年5月4日月曜日

ACV-19(After COVID-19)の世界を想像してみた。

●全ての外国旅行について2週間程度の検疫期間の義務化→輸送機械の発達により世界中どこにでも24時間以内に到着できるが、その後現地で長期間「隔離」される→外国人旅行者の激減/あらゆる国際会議のオンライン化。

●店舗前の「行列」の禁止
●店舗への入店は完全入れ替え制(客1組ずつなど)
●飲食店は、来店客の名簿作成/各テーブルの隔離/「行列」の禁止/客の「完全入れ替え制」などにより、「二周目の屋台」にならざるを得ない。更に、1日あたりの客数が極めて制限されるので、相当高額の客単価を実現しなければ経営は成り立たず、結果、極端な「高級化」が起こる(極端な「高級化」について、もう少し言うと、[客単価の低い屋台形式の店舗]で経営が成り立つためには、来店客数を稼ぐしかないが、そもそも「行列」は禁止な上、「入れ替え制」で、次の客を招き入れる前に、或る種の「消毒作業」なども義務付けられると、「コロナ以前」のような、頻繁な客の「出し入れ」などとても望めず、低い客単価では保たない)。極端な「高級化」は「出店」のハードルを上げ(例えば、芸能界で売れることを目指すような感じの高いハードルになり)、外食産業は大きく変質する。

●マスク着用の「顔パンツ/顔ブラジャー」化→もともと衛生面から着用していたのが、まるでパンツやブラジャーのように、人前に出るときにつけていないと「恥ずかしい」と感じるようになる。

●電車の握り棒/つり革の廃止=電車の立ち乗りの禁止=全ての乗客は椅子に座る=座席数を超える乗客は乗車できない→地下鉄、バスなどあらゆる「乗り合い型公共交通車両」はコンパートメント化が施される→乗客運搬能力の大幅な低下。

●あらゆる出入り口の「取っ手」廃止=自動ドアや、足などで押して開ける形式に。

●スーパーマーケットなどの小売店で、客が直接商品を手にとって品定めすることを禁止=購入前の商品は店員だけが触ることが許される。

●スーパーマーケットなどは、品出しなどをする従業員側の空間と、来店客側の空間が完全に分かれた店舗構造にすることが義務付けられる。

●密集型イベントへの参加後の検疫期間の義務化=ライブイベントなどに参加するたびに、専用施設で2週間ほど隔離される→ライブイベントの激減。

●試着の禁止
●立ち読みの禁止
●レジの無人化
●電子決済の加速

などなど。

2020年5月3日日曜日

【デンディ/ボーリング著『自分の体で実験したい』 巻末年表(その6)】

1996年 藤田紘一郎がサナダムシの卵を飲み込み、それで自分のアレルギーが治るかどうかを確かめるために実験を始める。(日本)

1996年 アメリカ人の女性宇宙飛行士、シャノン・ルーシッドが、ロシアの宇宙ステーション「ミール」で、実験用の特殊な宇宙服を着た状態で自分の循環器系を調べる。(宇宙)

1996年 ●昆虫学者のカーク・ヴィッシャーとリチャード・ヴェッターが、自分の腕にハチを押しつけて何十回も刺させる。この実験から、毒針をどうやって抜くかよりもどれだけ早く抜くかが重要であることがわかった。毒針を早く抜けば、体内に注入される毒液が少なくて済む。(アメリカ)

1997年 ペリーでカリオン病(バルトネラ症)の大規模な流行が起きる。

1997年 マウリツィオ・モンタルビーニが洞窟に入り、自身11回目となる隔離実験を行う。これにより、地下生活の合計は通算962日間に達した。(イタリア)

1999年 ●生物学者のアマンダ・レイノルズが、毛髪移植の研究をするため、男性の頭皮の一部を自分の腕に移植する。(イギリス)

2004年 ● ロイ・ウォルフォード博士が79歳で死去する。ウォルフォードは平均的な人より長生きしようと、20年間極めて低カロリーな食事を続けた。ウォルフォードらの40年にわたる研究により、この方法は何種類かの実験動物では効果があることがわかっている。人間を対象にした新しい研究は現在進行中である。(ウォルフォードの死因は神経疾患だった。彼が1991年から1993年までアリゾナ州のバイオスフィア2(←地球生命圏のミニチュア版を収めて密閉した巨大ドームの生命圏研究実験施設)に閉じこもった時に、亜酸化窒素の中毒になったのが原因ではないかと言われている)。(アメリカ)

●赤血球が破壊されると、中のヘモグロビンが撒き散らされて血液中を自由に漂い始める。その血液が腎臓を通る時、ヘモグロビンが濾過されずに尿に入り込み、カリオン病患者の尿は赤黒くなる。

●黄疸で皮膚が黄色くなる原因はビリルビンと呼ばれる黄色い色素である。ビリルビンは分解されたヘモグロビンから作られる。

●カリオン病では、酸素を運ぶ赤血球が減っているので、心臓が激しく鼓動することがある。血液をできるだけ速く送り出して少しでも多くの酸素を臓器に届かせようとしたためだ。

2020年5月2日土曜日

【デンディ/ボーリング著『自分の体で実験したい』 巻末年表(その5)】

1968年 ●獣医のロバート・ロペスが、ネコについていたダニを自分の耳に3度入れ、飼いネコのダニが人間に住みつくかどうかを確かめる。実際に住みつくことがわかった。(アメリカ)

1969年 ◆アメリカの宇宙飛行士、ニール・アームストロングとエドウィン・オールドリンが、人類として初めて月面に降り立つ。宇宙船の月面着陸を成功させたのも、彼らが初めてである。(宇宙)

1980年代 ●漢方医のトラン・クオン・ダンが、自らをアヘン中毒にした上で、中毒を直せそうな薬草を色々と試す。(ベトナム)

1984年 ●医師のバリー・マーシャルが、「治療不能な」潰瘍の原因は細菌にあると考え、その細菌の培養液を飲む。この実験によって潰瘍の治療法は一変し、今では抗生物質で治療できるようになった。(オーストラリア)

1986年 ●フランスの医師、ダニエル・ザギュリーが、ザイールで同僚や志願者の協力のもと、自らに試験的なエイズワクチンを注射する。このワクチンは、エイズウィルスのタンパク質をワクシニアウィルスと結合させたもので、ザギュリーはワクチンの安全性を証明しようとした。(アフリカ)

1989年 イタリア人のステファニア・フェリーニが、ニューメキシコ州の洞窟「ロスト・ケイブ」に入り、4ヶ月の間、血液検査を続けながら一人きりで過ごす。(アメリカ)

1992年 ●メイ・ジェミソン博士が、アフリカ系アメリカ人女性として初めて宇宙飛行を果たす。スペースシャトル「エンデヴァー」で8日間の飛行中、自分たちの体を使って様々な実験をした。例えば、宇宙酔いを抑える上でバイオフィードバック(脳波や血圧など、生体の神経的・生理的状態を目で見える形のデータとして取り出し、それを手掛かりに身体機能のコントロールを学ぶ方法)が役立つかどうかや、低重力下での体液分布の変化などを調べた。(宇宙)

1992年 ●知覚心理学のスチュアート・アンティスが、特殊な眼鏡をかけて脳の順応性を試す。この眼鏡は、白と黒を逆転させ、色をそれぞれの補色(2種の色の光を混合して白色光になるとき、一方の色を他方の色に対して言う言葉)に変える働きを持つ(これをかけると、例えばスクランブルエッグが青く見える)。(アメリカ)

1996年 藤田紘一郎がサナダムシの卵を飲み込み、それで自分のアレルギーが治る…

2020年5月1日金曜日

中居くんが、オバサンが泣くための番組『金スマ』の司会を長年やってられるのは、中居くんのメンタルがオバサンだからで、それは、結局、ヤンキーのメンタルがオバサンだから。ヤンキーとオバサンは生き物として同じタイプ。人間に対してウェットなところが鬱陶しい。

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晩飯にトルコ料理店ラーレの「ラム肉弁当」を食べた。他にサラダとフムスとピタパンも。今度のコロナ騒動の営業自粛要請で、一時的にテイクアウトだけをやるようになった飲食店が増えたが、ラーレもその一つ。

今回のコロナ騒動が「収束/終息」しても、飲食業はもう「元のよう」には戻れない。何度も言うが、パンデミック的なことはこれからも起こるからだ。そしてその時にまた、今回と同じ「自殺的な営業自粛」に追い込まれるようでは、どうしようもない。つまり、たとえ次のパンデミックが起きても、「通常営業」を続けられるような営業形態でしか、もはや飲食業は営めない、ということ。それは、事業主もそうだし、政府もそれを要請することになる。

ちょうど、フクシマ以降の原発運営が、安全基準の上昇によってそれ以前とは比べようもないほどの経費/設備投資を必要とするようになったように、飲食業も、徹底した感染症対策をした店舗形態・営業形態が求められるようになる。それはつまり、同じ店舗面積でも、コロナ以後は、一度に入店できる客の人数が大幅に減り、逆に、客への感染を防ぐ様々な工夫を店舗に施すための設備費用は増す。

分かりやすく言えば、「狭い中で客がぎゅうぎゅう詰めになっている繁盛店」などというものは、もはや「遠い昔の夢物語」でしかなくなるということ。つまり、[たとえ店が小さくても、たくさんの客を集めて、押すな押すなの大盛況を実現すれば大儲けができる]という時代は、今度のコロナ騒動を機に終わってしまったということ。なぜなら、「押すな押すな」とか「客がぎゅうぎゅう詰め」などという状態は、いわゆる「3密」であり、もはや、社会的にも政府的にも「許されない」からだ。

どんなに人気がある店でも、ちょうど、客の入れ替えをする映画館と同じように、店の能力ではなく、単に「この広さの店には、一度にこの人数しかいれることができない」という感染症対策の基準の制限で、1日当たりの客の上限が決まってしまう。コロナ以後の飲食業は、まるで、制限器(restrictor)付きのレーシングカーのような営業を強いられる。