2020年5月9日土曜日

今回のコロナ騒動で、いわゆる「ベーシックインカム」の意義が理解されるだろう。それは、「仕事(商売)で稼いだカネで生活をしない」ということ。「[仕事ができない=生きていけない]にしない」ということ。「[経済を回すこと]と[人が生きていくこと]を切り離す」ということ。「未発達文明を象徴する[働かざる者食うべからず]を死語にする」ということ。

文明が未熟で未発達な状態では、生存活動と経済活動が一体化しがち。野生動物に喩えれば、ライオンがシマウマを捕まえるという生存活動が、そのまま経済活動になってしまっているようなもの。何らかの要因で経済活動の中止を余儀なくされると、生存活動自体も「自動的に」止められてしまい、途端に生き死にの問題になってしまう。

本来の生存活動は個々の生物に属するものだから、個々の生物の「裁量」で全て決まる。一方、経済活動は全体でひとまとまりになって機能しているので、個々の生物の「裁量」ではどうにもならない理由で、強制的に停止状態に追い込まれることがある。言い換えると、生存活動は個々の生物の意思だが、経済活動は経済活動自体の「意思」。「生存活動=経済活動」の生物は、自分の意思とは関係なく、つまり経済活動自体の「意思」によって、自身の「生存活動」の中止を余儀なくされる。


「左前になる」…左前とは通常と反対の着物の着方で、死者の装束などに用いることから、縁起が悪いということ。あるいは、運が傾き物事がうまくいかなくなるということ。


カーニバルの頃に新型コロナに襲われたベネチアの様子を取材したNHKスペシャルを観た(おそらく、当初は、直前の高潮の水害から立ち直ったベネチアの姿を撮影しようと思って始めた企画だろう)。その中で、新型コロナの影響が深刻化した頃に、教会の司祭たちがキリスト(神)に向かって「私たちをお守りください」的なお祈りをしている様子が映し出されていた。信者たちやそういうケのある連中は、ああいうのを見ると少し安心したり希望を持ったりするのかもしれないが、我々はむしろ暗澹たる気分になる。つまり、なにやってんだ、と。たとえるなら、水不足で農業に深刻な被害が出そうな時に、政府が公共事業として雨乞いの儀式をやるのを見せられるような、なにやってんだ感。


肝胆相照らす仲(かんたんあいてらすなか):重要な臓器である肝臓と胆嚢を見せ合う仲。要するに腹の底まで分かり合える仲