2020年5月1日金曜日

中居くんが、オバサンが泣くための番組『金スマ』の司会を長年やってられるのは、中居くんのメンタルがオバサンだからで、それは、結局、ヤンキーのメンタルがオバサンだから。ヤンキーとオバサンは生き物として同じタイプ。人間に対してウェットなところが鬱陶しい。


晩飯にトルコ料理店ラーレの「ラム肉弁当」を食べた。他にサラダとフムスとピタパンも。今度のコロナ騒動の営業自粛要請で、一時的にテイクアウトだけをやるようになった飲食店が増えたが、ラーレもその一つ。

今回のコロナ騒動が「収束/終息」しても、飲食業はもう「元のよう」には戻れない。何度も言うが、パンデミック的なことはこれからも起こるからだ。そしてその時にまた、今回と同じ「自殺的な営業自粛」に追い込まれるようでは、どうしようもない。つまり、たとえ次のパンデミックが起きても、「通常営業」を続けられるような営業形態でしか、もはや飲食業は営めない、ということ。それは、事業主もそうだし、政府もそれを要請することになる。

ちょうど、フクシマ以降の原発運営が、安全基準の上昇によってそれ以前とは比べようもないほどの経費/設備投資を必要とするようになったように、飲食業も、徹底した感染症対策をした店舗形態・営業形態が求められるようになる。それはつまり、同じ店舗面積でも、コロナ以後は、一度に入店できる客の人数が大幅に減り、逆に、客への感染を防ぐ様々な工夫を店舗に施すための設備費用は増す。

分かりやすく言えば、「狭い中で客がぎゅうぎゅう詰めになっている繁盛店」などというものは、もはや「遠い昔の夢物語」でしかなくなるということ。つまり、[たとえ店が小さくても、たくさんの客を集めて、押すな押すなの大盛況を実現すれば大儲けができる]という時代は、今度のコロナ騒動を機に終わってしまったということ。なぜなら、「押すな押すな」とか「客がぎゅうぎゅう詰め」などという状態は、いわゆる「3密」であり、もはや、社会的にも政府的にも「許されない」からだ。

どんなに人気がある店でも、ちょうど、客の入れ替えをする映画館と同じように、店の能力ではなく、単に「この広さの店には、一度にこの人数しかいれることができない」という感染症対策の基準の制限で、1日当たりの客の上限が決まってしまう。コロナ以後の飲食業は、まるで、制限器(restrictor)付きのレーシングカーのような営業を強いられる。