「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2019年1月9日水曜日
現の虚 2014-5-3【電話ボックスの中で】
凍死しかかってまだ本調子じゃないんだからしばらく出歩かない方がいいわよ、と云われていたが、俺は外に出た。知らない街でも少し歩けばコンビニくらいは見つかるだろうし、コンビニが見つかれば煙草も買えると思ったからだ。
予想どおりコンビニはすぐに見つかった。中に入って、週刊誌の「一家五人惨殺事件」の記事を立ち読みし、缶珈琲の新製品がないかを確かめ、何も持たずにレジに向かい、煙草を買おうとして驚いた。
店員の頭がスゴく小さい。
遺伝病や怪我の後遺症のレベルの小ささではない。握りこぶしくらいしかない。ただ、オカシイのはサイズだけで造形は普通の人間の頭部。遠慮がちに染めた髪の毛を遠慮がちに立てた若い男。
ラッキーストライクを。
俺は煙草を買った。頭のスゴく小さい店員は、応対も普通。声も普通。言葉も通じた。ただし、出してきたレシートは紙ではなく濡れたワカメだった。もちろん受け取らなかった。
店を出ると、曇り空から雪が落ちて来た。頭に雪を積もらせながら歩いていると、最近はあまり見ない公衆電話ボックスがあった。しかも電話機の上には灰皿が。
俺は迷わず中に入り、今買った煙草を取り出し火をつけた。電話ボックスの中で電話もせずに煙草だけ吸っていると、通行人がチラチラ見ているような気になる。俺は受話器を取って耳に当て、電話しているフリをして、煙草を吸った。
煙草の煙越しに電話ボックスの中から通りを見ていてあることに気付いた。行き交う通行人の半分がマネキン人形だ。脚を全く動かさず、道の上を滑っている。頭も変な角度に傾いたままだ。そして通行人のもう半分は人間のカタチすらしていない。人間の服は着ている。けど、中身はスコップや鶴嘴や竹箒。ああ、あの太ったヤツはコンクリートミキサーじゃないか。
俺は電話しているフリを続けながら、人間の服を着た人間でないものたちが通り過ぎる様子をしばらく眺めた。それから灰皿でタバコを消し、少し考えてから、ヤッパリオカシイと思ってゾッとした。目の前の光景にではない。俺は、非現実的な光景を目の当たりにしても、特にどうとも思えない俺自身にゾッとしたのだ。アカラサマな不思議を理詰めでしか不思議だと思えないのは、俺の中のナニカが重篤な機能不全を起こしているからに違いない。
その時、フリをするのに耳に当てていた受話器から声が聞こえた。
そこから人工衛星は見えるか?
俺は受話器を耳に当てたまま、空を見上げた。