「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2019年1月16日水曜日
現の虚 2014-5-5【真理に触れると世界は生きづらくなる】
そう見えるだけで実害はないと云われた。オカシク見えても、それがオカシイと思えないなら尚更実害はないとも云われた。昨日まで屋根の上や道ばたでチュンチュン云っていたスズメが、今日見たら、全部アナゴの握り寿司になっていたとしても、それがオカシイと思えないなら、それはそれでいいでしょうと云われた。
その通りだ。
珈琲屋の窓ガラスの外。今、俺の目の前を、ヒモに繋いだ炊飯器を散歩させている、ふわふわのコートを着た冷蔵庫が通り過ぎて行く。
気がついたと思うけど、起きているコトにオカシナところはひとつもないのよ、と、珈琲カップにシナモンスティックを突っ込んでコビが云う。歩道を通行人が歩いていて、珈琲屋では客が寛いで、片目の店長はいつもどおりにクール。ごくありふれた日常。変化が起きるのは生き物の〈姿〉だけ。
確かにその通りだ。そう云っているコビの姿が、俺にはさっきからでっかいカピバラに見えている。銀色のヘルメットに二眼ゴーグル、茶色の革のつなぎを着たバイク乗りのような格好のカピバラが、げっ歯類特有の細い指の変な手で器用にシナモンスティックを摘んでカプチーノをかき回している。
生き物の姿がことごとく妙なことになっているだけ。事件は何も起きていない。
一生こうなのかと訊いてみたら、一生そうねと無慈悲な回答。
昨日も云ったけど、クスリの副作用だから。クスリが効いている限りずっとそう。クスリの効果がキレたら副作用もなくなるけど、同時にアンタも死ぬ。だから一生、アンタが今見てるこういう世界のまま、とカピバラ姿のコビ。
慣れるしかないのか。
そうね。アンタだけじゃないわ。いろいろいるでしょ。脳の障害で、ある日突然世界が白黒になってしまった人とか、記憶が数分しか続かない人とか、親兄弟が全員偽物にしか思えなくなった人とか、そういうふうなもんだと思うしかないね。
不便だなあ。
あの部屋から出なければいいのよ。あの部屋のテレビでなら、これまでと同じ生き物の姿を見ることも出来るから。
テレビを通してだけ本当の世界が見られるってことか。
違う違う。あの部屋にいるときだけ、他のみんなと同じに世界が見えるってだけのこと。実際に直接自分の目で世界を見れば、それがアンタにとっての本当の世界の姿。あっ、これってなんだか宇宙の真理の一端に触れてる気がする。
真理に触れてるのかもしれないけど不便だよ。
真理に触れると世界は途端に生きづらくなるものよ。