「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2019年1月17日木曜日
現の虚 2014-5-6【ジェノベーゼソース】
昔から時々オカシナヤツが口にしてきた「宇宙の真理に触れて世界の見え方が変わる」という状態は、今、俺が体験しているようなコトじゃないと思う。つまり、乗ったタクシーの運転手が制服を着たネコザメだとか、落とした財布を後ろで拾ってくれたのが若い女の格好をした舞々被(マイマイカブリ)だとか、早朝のゴミ置き場でゴミを散らかしてるのが空飛ぶカツラの群だとか、そういうことじゃない。
そう見えるだけだから実害はないと云われたが、実害はありそうだ。明日は月曜で、俺は働く社会人だから、会社に出勤しなければならないが、こんな調子だと出社したところで同僚や上司の見分けもつかないだろう。
服や喋り方で分かるわ。それに、そんなのがなくても、なぜか分かるものよ。人間って不思議よね。
と、俺をこんなふうにした張本人が無責任に云う。
騙されたと思って行ってみなさいよ、大丈夫だから。
行ってみた。騙された。
仕事が終わると、俺は自分のアパートではなく、俺をこんなふうにした張本人であるコビ(偽名?)のマンションに、這うようにして帰った。理由は知らないが、コビの部屋にいるときだけ、俺は「宇宙の真理」に触れる以前の状態でいられるからだ。
確かに姿形が変わっても上司や同僚の見分けはついた。だが、それが逆にいけなかった。慣れ親しんだ人間が、扇風機や、新聞の束や、ナンダカよく分からない金属部品の姿になって、俺に指示を出したり、愚痴ったり、今夜一杯どうよと誘ってくるのだから、ものすごく疲れる。全く知らない人間が家電製品だったり虫だったり分度器だったりするのは割合平気でやり過ごせる。そういう連中はただ通り過ぎるだけだからだ。だが、同僚や上司はそうはいかない。俺に積極的に話しかけて来るし関わって来る。仕事なんだからそりゃそうだろう。そして俺も彼らの「元の姿」を覚えいている。だからタイヘンなのだ。脳が記憶と現実のズレを処理しきれない。そのストレスったら相当なものだ。
という話を、俺は、対面式のキッチンの奥でジェノベーゼソースを作っているコビにした。
じゃあ、しょうがないからちょっと調べてあげるわ。
30分後、鳥もも肉のジェノベーゼソース掛けを食べながらコビが云った。既に食べ終えていた俺は、瓶の底のモレッティを飲み干して、何を調べるのさ、と訊いた。
アンタが世界の真理に触れることをやめて特別な視点を失ったまま生き続ける方法よ。
イヤな云い方をする。