「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2019年1月25日金曜日
■「なんのために生きてるのかわからない」は極フツウの反応
アドレセンスな連中いわゆるワカモノがときどき口走る「なんのために生きてるのかわからない」は、人間の生き方が、生き物としてのアリヨウに背いていることから起きる。すなわち、上に挙げたようなワカモノの年くらいになると、生物学的には普通に子供を産める(持てる)。たまには産みそこなって死んだりもする。そうやって死んだ者は、無論「なんのために生きてるのかわからない」とは、もう呟けない。一方、無事に産んで、親になったら、今度は生まれた赤ん坊が、生き物として持っている「問答無用の生存欲」が、親(いわゆるワカモノ)の「なんのために生きてるのかわからない」を蹴散らしてしまう。やはり、もう「なんのために生きてるのかわからない」なんて呟いている「余裕」や「迷い」は生じない。生物としては既に子供を産める(持てる)状態になっているのに、それが実現していないのだから、「なんのために生きてるのかわからない」という隘路に迷い込んでしまうアタリマエのこと。事実、生命現象的には、なんのために生きてるのかわからないのだから。
ところで、アドレセンスな連中いわゆるワカモノが親になってしまって苦しむことがあるのは、生命現象であることよりも知性現象であることをヨシとする現代の人間社会の[自覚のない「否認」や「悪意」や「拒絶」]が原因で、その個体の問題ではないよ。
(アナトー・シキソ 2018/06/04)