「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2019年1月31日木曜日
現の虚 2014-6-7【剥製人間の歌を聞く】
塔の天辺の部屋で折り畳み椅子を広げて埃っぽい棺の前に座った。背後からスカートの丈の短い看護師が、ガラガラと何かの装置を押して現れた。看護師が棺の蓋を開けると、中に包帯でグルグル巻きの人型のモノが横たわっていた。看護師は持ち込んだ装置から先端に針の付いた赤と黒の二本のコードを伸ばすと、横たわる包帯の頭に突き刺して、準備出来ました、と云った。突然、スイッチの入ったままのマイクを持ち上げると出る「ボコン」という大きな音が部屋中に響いて、俺は折り畳み椅子の上で驚いた。天井にスピーカーがあった。スピーカーは男の声で、では始めて下さい、と云った。看護師は頷き、包帯に繋いだ装置のスイッチを入れた。装置は魚群探知機のような画像を小さいスクリーンに映し出し働き始めた。看護師は俺に大きなヘッドホンを渡し、俺はヘッドホンを付けた。
ヘッドホンからは微かにホワイトノイズ(シャーシャー音)が聞こえる。
歌のようなものが聞こえませんか、と看護師が俺に訊いた。俺は首を振った。看護師は装置のつまみを調整し、これでどうですか、と再度訊く。俺は、ホワイトノイズの中に言葉のようなものが聞こえるような気がする、と答えた。実際そんな気がした。看護師は頷いて、俺に、大判だが薄い本を手渡す。開くと、歌の楽譜で、五線譜の下に歌詞が印刷されている。
剥製人間の歌です、と看護師が云う。
楽譜の歌詞を目で追っているうちに、ホワイトノイズから歌声がはっきりと聞こえてきた。空耳かもしれない。だが、シャーシャーという音の中に、確かに歌の旋律が聞こえるし、歌詞も聞き取れる。
天井のスピーカーの男の声が、聞こえる歌と楽譜が同じかどうかを確認してください、と云う。
メロディはともかく、歌われている歌詞は楽譜に書かれているものと全く同じだ。俺はその旨伝える。スピーカーの声は、結構です、と答え、既に薄着の看護師が、よかったですね、と俺に微笑みかける。
看護師は俺のヘッドホンを取ると、俺の腕にゴム管を巻いて採血の準備を始めた。作業をしながら看護師が云う。
私たちは、ふだん何気なく生命という言葉を使いますが、実は全く違うふたつのものを、知らないうちにひとまとめにしてそう呼んでいるんですよ。剥製人間の歌が聞こえたなら、そのふたつはもうお分かりですよね。
現象と体験です、と俺は答える。
そう。もしくは事実と解釈。そして、より重要なのは、事実ではなく解釈の方です。