「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2019年1月28日月曜日
■科学を「悪用」して頂点で肥大する
生命現象とは、[物理現象と地続きのグラデーション]=[物理現象の一種]に過ぎない。生命現象という完結した現象があるのではなく、生命現象をドンドン高度化していくと、もはや生命現象とは呼べない段階に入ってしまう。それはちょうど虹の七色のようなもの。生命現象は虹の七色の中の或る一色、たとえば緑色に過ぎないのだが、生命現象である人間はその緑色が、他の色とは違う特別に自立したナニモノカであるかのように考え、「緑色」をドンドン高度化していけば、遂にはスーパー緑色、すなわち〈超生命〉になるに違いないと考えるが、実際にはそんなことはなくて、緑色をドンドン高周波化していくと、虹の七色の緑の隣の色、黄色か水色になるだけ。それは、物理現象の[より〈先鋭化〉]された段階、すなわち知性現象。
ついでに言うなら、人間は生態系の頂点に立っていながら、科学技術(農業、医療などを含む)を「悪用」して、まるで生態系の底辺のオキアミのように大繁殖している。これが、人間が、生態系だの環境だのナンダノに「悪い影響」を与えてしまう理由。この構図は、年金問題や若い労働力不足が悩みのタネになっている超高齢化社会に似ている。老人を社会構造から放り出せば、超高齢化社会の問題が解決するように、科学武装した人間を生命現象の外に追い出せば、環境問題やらなにやらも全て解決するわけだが、そのどちらも、人間にはとても無理なハナシだろう。
2018/11/19 アナトー・シキソ