2020年3月18日水曜日

『本能寺の変/2020サミット』をNHKで見た。「四国説」はかなり説得力があったね。信長暗殺に長宗我部が絡んでいたとは。


コロナ騒ぎが原因の株価の急落がそんなに心配なら、しばらく市場を締めてしまえばいいだろう。株価の高低で大騒ぎするのは、フィギアスケートの羽生が何点取るかで騒いでるのと実質同じこと。つまり、頼まれもしないのに人間が勝手にやって、勝手に喜んだり悲しんだりしている。例えば、株価を半年「凍結」したところで、困るのは証券会社だけだろう。

あと、今度のコロナ騒ぎで、飛行機、列車、映画館などの馬鹿馬鹿しい程の座席の窮屈さに全人類が気づき、改善されることを期待する。ずっと言っていることだが、どうして、カネを払って、あんな窮屈な場所に長時間押し込められなくてはならないのか?


日本人のGiftedを何人か取り上げた『素顔のギフテッド』というNHKの番組で、東京芸大に「意気揚々」と入学したが、退学処分にされてしまったGiftedが引きこもり状態で鬱になっている様子を見た。

東京芸大にしても、東京大学にしても、ああいうところは、社会で便利に利用できる、いわゆる「人材」を育成するところなので、「人材」としてはあまりにもパワフルな才能は、やっぱりアブレてしまうのだ。

これを別の言葉で言うと、手塚治虫レベルの「天才」なら東京芸大や東京大学でやっていけるが(そして、おそらく旧日本軍でも立派な士官としてやっていけるが)、水木しげるレベルの「天才」になると、もう芸大や東大では手に負えない(当然、歴史が示しているように、旧日本軍でも持て余す)。

「わかりやすい天才」というものがいて、これは、世間の誰からも「天才ね」と言われる存在だが、その実態は「天才風」とでも言うべきもの。それは、社会が、と言うことは商売人が、商品として利用しやすい存在。つまり、「わかりやすい天才」自体も、彼らが生み出す作品も、実は「常識レベル」ということ。

「モノホンの天才」というのは、まず、わかりにくい。大抵の人間は、彼らを「天才」だと気づけない。ということは、社会も彼らを「活用」しにくいし、だから商品として売り買いすることも難しい(何よりもその価値に気づけないので、社会的な価値とならない)。結果として「モノホンの天才」たち自身も稼げず、食うに困ったり、引きこもったり、鬱になったり、絶望したり、自殺したり、ということになる。