2020年3月27日金曜日

「ノートルダム寺院」の「ノートルダム」はフランス語で「我らの貴婦人」という意味。すなわち「聖母マリア(イエスのおっかさん)」のこと。ノートルダムという言葉は、日本では「せむし男」とセットのことが割合多いので、なんとなく、グロテスクなイメージがあったが、全然違ってた。フランス語の語感って、全然ピンと来ない。


ダヴィンチの絵画は、ほぼ全て、木の板に描かれている。これは、ダヴィンチが変わってたのではなく、当時は板に描くのが当たり前だったから。最近ダヴィンチ作品だと認められた『糸巻きの聖母』は例外的に布(キャンバス)に描かれていて、これがために、ダヴィンチの作品ではないと考えられていたが、最近の科学調査で、実は、のちの時代の人間が、作品を板から剥がして布に貼り直したことがわかったのだ。

…と、Eテレの『ダヴィンチ・ミステリー』という番組で専門家が喋っていた。更に…

ダヴィンチという人間は、相当な凝り性で、しかもいろいろなことに手を出すが、「凝り性でいろいろなことに手を出す」ということは必然的に、完成にまで漕ぎ着けることが減るわけで、実際、ダヴィンチには多くの「未完成品」や「失敗作」や「放置作」が存在する。あの有名な『モナ・リザ』ですら実は未完成作品。当時のダヴィンチ周辺の人間もそのことをよく知っていて、「ライバル」のミケランジェロからも、その点を非難され(バカにされ)たりしたのだが、ダヴィンチ自身は顔を赤くして何も言い返せなかったという当時の目撃記録もある。

…ということも、同じ番組で同じ専門家が喋っていた。更に…

ダヴィンチ自身も未完成品が多いことを気にしていて、晩年、結局のことろ俺は何か成し遂げたのだろうか、誰か教えてくれ、みたいなことをノート(日記)に書き残しているらしい。

まあ、わからんでもない。


今回のコロナ騒動は、現代の人間社会が持つ、年寄りや病人あるいは弱者を「見殺し」にできないという「弱点」が最大の原因。この程度のウィルスなら人間以外の生物では大した騒ぎはならない。生命現象は「individual」に固執しないが、知性現象は何よりも「individual」だからだ。


『彼岸過迄』で、二歳ほどの女の子の原因不明の突然死が実に素っ気なく描かれていて面食らった。今の感覚からすると、赤ん坊の両親の態度は「冷淡」と言っていいほど。漱石の実体験(五女の雛子の死)がモチーフらしい。