怪我や病気や老衰で脳が機能不全を起こしたせいで「元の人格」が失われた人間に対して、いつまでも「元の人間」と同じように接するのは、時間が経って腐った高級料理をいつまでも高級料理がっているのと同じだ。それは、[対象から直に得られる体験(実際に食べて美味いと感じる)]ではなく、それに[付属する「情報」からの体験(実際に食べたら腐った変な味だけど高級料理だから喜んで食う)]ということ。
人間が他の人間と接することで体験する「人間」とは、生命現象そのものではなく、生命現象を媒体として出現している知性現象から[得るもの/得られるもの]であり、いくら生命現象としての身体が存在し続けていても、肝心の知性現象をマトモに出現させられなくなっているなら、もう、その身体は「その人間」ではない。「或る個人の人格」という知性現象を「正常」に[発信/出現]することができなくなったヒトの身体は、知性現象としての「人間」の側から見れば、ということは、本当の意味での人間ということから見れば、すでに「死人」である。
腐った料理は、たとえ見た目は同じでも、それは既にただの生ゴミである。
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「新型コロナウィルスとの戦い!」などと騒いでるが、ウィルスの側は、別に、何とも戦ってはいない。ウィルスは人間が増やしている。正確にいうと人間の細胞が増やしている。
世界中の人間(特に為政者)が青くなっているのは、人死ではなく、経済の方。世界が「豊か」になったせいで、大勢の人間の「遊び/娯楽」で金儲けをしている人間の数が圧倒的に増えてしまったために、今回のような騒ぎが起きて「遊び/娯楽」が制限されると、大勢が稼げなく(食えなく)なってしまう。だが、死と並べた時、「遊び/娯楽」は立場が弱い。
しかし実は、自然の摂理は、今回の場合、「遊び/娯楽」を優先させる。人間の経済活動に普遍的価値があるからではなく、単にその方が自然選択の原理に沿うから。世界中の為政者が本当は言いたい、[年寄りや病気持ちは一定数死ぬかもしれないけど、まあ、若くて元気な大勢が食うためには「遊び/娯楽」を制限すべきではない]というコトバを、自然はためらうことなく発するだろう。
ウィルスに感染して死ぬのは、細菌から人間に至るすべての生き物とってただの「通常死」だけど、健康な人間の経済活動を他の人間が強制的に制限して、当事者を餓死や自殺に追い込むのは、これは「殺人」だからね。