今回の「AI美空ひばり騒動」で、改めてはっきりしたのは、現状、人類の多くが、生命と人格と生命体の区別が全くついていないということ。
「AIひばり」を冒涜だとか不気味だとか言って騒いでしまう一つの理由は、[かつて美空ひばりと呼ばれた生命体]に付随していが人格が、別の媒体(コンピュータ上など)で、そっくりそのまま「蘇る」ことがありうると、誤って信じている連中が結構な割合で存在するからだ。言い直すと、死後の世界だの死後の魂だの[肉体から発生しながらその肉体から自立した精神的存在]だのが「実在」するという妄想を拭いきれていなかったり、まともに信じている連中(ヤレヤレ)が大勢いるということ。つまり、この場合、「死者を蘇らせること」を冒涜だの不気味だのと騒いでいる。
もうひとつの「冒涜」はもっと単純で、要するに「死人にカンカンノウを踊らせるようなことをするな」という苦情。これは、別にAIに限った話ではない。残された映像や音声を好き勝手に切り貼りして面白おかしく仕立て直してみんなで笑う、というようなことは前からあって、こういうのは、よほどの技量やセンスがないと、確かに「冒涜」的になりがち。
ところで、ここではっきりさせておかなくてはならないのは、生命体美空ひばりの全存在データをコンピュータに取り込んで、前者と寸分違わぬ「AI美空ひばり」を作りだしたところで、「生前の記憶」すなわち「体験」を引き継いでいない限り、それは別の人格であり、ということは「別人」ということ。
そんなことはちょっと考えればわかることで、AIどころか、生きているに人間が、自分自身を連続した一つの人格だと認識するのは、偏にこの「記憶」のおかげだからだ。逆に言えば、生命体として連続して生き続けていても、もしもこの「記憶」が断絶されれば、それ以前とそれ以降で、その人は、自分自身の体験としては「別の人格」ということになる。
仮に、今「AIひばり」に、生身の人間並の人格が備わっていたとしても、「生前のひばりの記憶」を引き継いでいなければ、周囲の反応とは裏腹に、「当人」としては「私は私=かつて生きていた美空ひばりとは違う存在だ」という感覚しかない。つまり「よく似た他人」にすぎない。
あと一つ。何度も言うが、AIは人類のtoolではなく、人類の究極目的。[自然淘汰に拠る呪縛]のない[生命現象非依存型知性現象]こそが、真の知性現象だから。