2020年3月30日月曜日

志村けんが新型コロナで死んで改めて思ったのは、現代人が70、80まで「ふつう」に生きているのは、ただただ科学のオカゲということ。今回のような、科学が「役に立たない」伝染病が現れると、「生きる死ぬ」の基準が一気に、生命現象そのものの文脈に引き戻されて、老人が「老人だから当たり前」という感じで、アッサリコロコロ死んでいく。

よく考えてみれば、七十歳の爺さんが肺炎で死ぬのは、科学という条件を取っ払ってしまうと、ごくごくアタリマエのことなんだけど、みんなその「科学」という条件が見えなくなっていて、なんとなく、人間という生き物の[生き物としての実力]が「向上」して、少し昔だったらヨボヨボのおじいさんだった年齢の人たちが、今は(生き物の実力として)「若くて元気」になったのだと思いがち。だから、「まだ」70歳の志村が死んだりしたら、ショックを受けたりするんだけど、本当はショックを受けるほうが、認識としては「間違って」いる。例えば、『バリバラ』に出てくるような人たちの多くは、停電が即命取り。あるいは、人工透析をしている人もそう。

高齢化や様々な持病を「ものともせず」生き続けている現代人は多いが、それは彼ら(我々)が生命として逞しく進化もしくは適応したのでもなんでもなく、ミズカラの[生命の割合]を少なくして、[機械の割合]を増やすことで、高齢化や持病の悪影響を[相対的に小さく]できるから。

逆説的だが、現代人は、生命であることから自由になること(言い換えるなら、生命であることをできるだけ拒絶すること)で、ミズカラの命を永らえている。

今回の新型コロナの出現は、自分が持っている「生命であること」の部分だけで「自身の命の保持」を引き受けざるを得ない状況を作り出し、それがために、世界中でポロポロと人間が死んでいくことになった。


多分、仮面ライダーになりたかった唐沢の趣味が全開のドラマ『あまんじゃく』を観た。敵も味方も着ぐるみを着てないだけで、やってることは、もう一から十まで『仮面ライダー』。幹部の怪人が、顔を隠した「戦闘員たち」を引き連れて暗躍し、女の幹部怪人の格好が妙に派手だったりする。

あと、野口五郎の怪演も微笑ましくてよかった。ティム・バートンの『バットマン』のジョーカー(ジャック・ニコルソン)以来、この手の敵役って、すごく増えた気がする。つまり、喧嘩の弱い人殺しって感じのキャラのことだけど。