湯上博士との面談は非常に興味深いものであった。生命現象としての彼は、実に数年前に消滅しており、今現在、様々に活動をしている博士は、いわば、彼の「幽霊」ということになる。
と言っても、彼の「幽霊」は、世界中の人類社会に大昔から「存在」する、出所も根拠も不明な「死後の霊魂」とは全く異なる。それは、博士という一人の人間の全存在を数値化し、それを生命現象以外の媒体で再現したものである。ごく平たく言ってしまえば「人工幽霊」であり、湯上博士自身が生み出した用語を用いるなら「人工人格」ということになる。
呼び名は人工幽霊にしても人工人格にしても、そんなことが実際に可能なのか。湯上博士(の人工人格)は、可能だという。彼に依れば、或る個人の精神的と肉体的の両方の情報と記憶を全て数値化することで、個人は、肉体を失った後も、新たな媒体(例えばコンピュータなどが典型的)を拠り所として「復活」すなわちresurrectionすることが可能となる。何よりの証拠がこの自分だと、湯上博士(の人工人格)は微笑んでみせた。
そもそも湯上博士を「復活」させた人工人格技術の基礎理論の構築者は湯上博士自身である。フランケンシュタイン博士が、その叡智と情熱と技術力で「復活」させたのは他人だったが(厳密には、何人かの他人を組み合わせて一人の全く新た人格を復活させたのだが)、湯上博士は自らを復活させた。その点で言えば、フランケンシュタイン博士は科学者としては二流、湯上博士は科学者の鑑と言えるだろう。自らを実験材料、臨床の対象とすることは、古来、英雄的な科学者の典型的行為に他ならないからだ。
湯上博士との面談場所となった「建物」には、湯上博士以外にも多くの人工人格が「暮らして」いた。しかし、彼らの多くは、スクリーン上にしか現れない湯上博士とは異なり、物理的に実在する「身体」があった。その肉体は、平たく言えば「ロボット」である。今、人型ロボットを意味する「アンドロイド」という言葉を用いなかったのには理由がある。彼らの多くが、その「身体」に人型を選んではいなかったからだ。実際、人型の「身体」を持つ人工人格の割合は5割に届かないというのが、その「建物」の管理者でもある湯上博士の説明だった。
人工人格の「身体」は、概ね電子機器的な所謂「機械」だが、中には生物学的培養技術で生み出された有機的「身体」を持つ者もいた。