人工人格には甲乙丙の三型が存在する。
甲型は、この技術がそもそも目指した人工人格。すなわち、現に生きている人間の人格を、人体以外の媒体で再現し継続させるためのもので、実在した人格の複製人格である。
乙型は、甲型として蓄積された大量の「人格」データを「調合」して、調合者や支持者がいうところの「より良いもの」として作り上げられた「人工の人工人格」、つまり「メタ人工人格」。
そして丙型。これは、生身の人間の人格データではなく、人間の精神構造を模した機械機構から出現した人工人格。故に丙型だけが、人類という生物とは無関係な、ある意味で「真の」人工人格と言える。しかし、人間の傲慢さはここでも発揮され、世間は(ということは一般の人間は)、この丙型人工人格を「搭載」した自働機械を、陰では「オンボロロボット」と呼んでいる。
先日、この丙型人工人格の某氏と、彼の職場である大学で、少し話す機会があった。氏は、宇宙の永遠性について、以下のようなことを語った。
我々が、今とは全く違う遥かな未来の姿を思い描けるなら、それは、この宇宙が永遠ではない証拠となる。理由はこうだ。未来が永遠なら、過去も永遠であり、永遠の過去から見れば、今この時が既に[永遠の未来]に当たるはず。にも関わらず、当事者たる我々が、今とは違う[永遠の未来]を想像できるということは、つまりは、永遠の未来が未だ実現していないことを意味する。これを逆向きに見れば[永遠の過去]もないということだ。よって、この宇宙は永遠ではないと結論できる。
人間が、丙型人工人格を「オンボロロボット」呼ばわりする一番の理由は、彼らの考え方や、存在世界(宇宙)の捉え方が、人間とは本質的に違っていて(それは当たり前のことなのだが)、彼らの言動が人間にはどうにもピンと来ないためだ。しかし、その「ズレ」を「超越」とは取らずに「オンボロ」と取ってしまうところが、人間という存在の情けないところでもある。
氏は続ける。
もし、舞台が永遠なら、そこに出現する登場人物が生まれたり死んだりしたところで、その現象自体もまた、永遠に起きたと云うことになる。それはつまり、一等が出るまで無限に引き続けることのできるクジのようなものなのだ。自分よりも年上や年下が生きているという事実がアナタの耳元で囁いている真実は、アナタは永遠には生きられないということである。
聞けば聞くほど、浅学非才の感を覚える。