2020年6月21日 日曜日/晴/涼しい
伊藤若冲の絵は自閉症的。対する北斎の絵には画家の体験が入っている。別の言い方をすると、若冲の絵にはストーリーがないが、北斎の絵はストーリーの一場面。(『日曜美術館』)
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『ガンダム』が太平洋戦争をなぞらえているのは、誰でも知っていることで、だから、大戦初期に連邦艦隊を圧倒した「新兵器」ザクが、旧日本軍の零戦(ゼロファイター)をなぞらえているのも、まあ、わざわざ指摘するまでもない(大戦中期以降、防御力の低さゆえに「やられ役」に転落する点も全く零戦のまま)。で、当時アメリカ軍は、零戦を「ジーク」と呼んでいた。ザクの「語源」は、一般には「ザコ」とされているわけだが、実はこの「ジーク」からの来たのかもしれない(まあ、「ザコ」の方だろうけど)。
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よく、確率の問題で、必ずもらえる1000円と、ジャンケンに勝ったらもらえる2000円は、どちらを選んでも同じみたいな話があるけど、そもそも確率100パーセントは(確率0パーセントと並んで)、他の確率とはベツモノなのではないか、といつも思う。つまり、確率100パーセントと確率0パーセントは、そもそも「確率」の「埒外」ではないのか、と、いつも思うのだ。言い換えると、「必ず起きることと絶対に起きなこと」は、「起きるかもしれないし起きないかもしれないこと」とは、根本から違う事象なのではないのか、という話。
数学者の話だと、小数点以下に無限の9が並ぶ「99.999...」は実質「1」とみなしていいし、小数点以下に無限の0が並びその後に1がある「0.000...01」は、実質「0」とみなしていいことになっているが、「いや、やっぱり違うだろう!」と言いたくなる。というのは、確率100パーセントと確率0パーセントは、そもそもが「数値」ではなく「定義」だからだ。「必ず起きる/絶対に起きない」は、「起きるかもしれないし起きないかもしれない」に含まれる「濃度」の違いではなく、「起きるかもしれないし起きないかもしれないには含まれないもの」という定義だからだ。
この考え方が、数学的には頓珍漢で、科学では使い物にならないシロモノなのはきっとそうなんだろうが、私は数学者でも科学者でもないので、これからも、じゃんけんで勝たなければもらえない2000円ではなく、必ずもらえる1000円を選び続ける。これこそが生命の勝利の方程式だからだ。