2020年6月9日 火曜日/晴/暑い?
テレビCM「パルスイートになんでしないの?」
私「不味いからだよ!」
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『Twin Peaks season 3』のPart15。ネイディーンがエドを「自由」にし、エドがノーマに結婚を申し込み、シェリーの娘の婿(スティーブ)が森で拳銃自殺し、「コンビニエンスストアの2階」が現れ、「ヤカン」のジェフリーズが悪いクーパーに(たぶん)偽の座標を教え、オードリーの息子(リチャード)が悪いクーパーに伸され、丸太おばさんが死ぬ回。で、この回の最後に、ロードハウスの席に一人ポツンと座っているメガネ女子が突然現れる。このメガネ女子が、イージーライダー風の太った二人組に席から床に降ろされ、床を這って行ったあとに絶叫したところでエンドロール。いかにもナニカありげだが、ずっと謎だった。けど、今日観ていて、あ、もしかしたら、「直前」に死んだ丸太おばさんが「転生」した姿なのかも、と「気づいた」。なるほど、そうだ。あのメガネ女子は「丸太おばさん」にちがいない。
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生命現象はそれ自体が全体で一枚の絵だと捉えるべきで、人間が、たとえば、「これは鳥、あれは虫、これは植物」あるいは「これはサルで、これはウシ、あれはウサギだ」などと言っているのは、『モナリザ』を観て、「これは眉毛の絵だ、いや手の絵だ。いや山の絵だ。服の絵だ」と言っているようなもの。
個々の生命体の独立性は幻で、生命現象の全体の中の凸凹。絵の喩えを続けるなら、何が描かれていようと、それは全て絵の具の配置。
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人間が宇宙旅行に行く時には、必然的に、生物学者が「違う生物」つまり「独立した別の生命体」として定義している存在(主に細菌類)も引き連れていくことになる。また、連れていかなければ、その宇宙旅行者は、あっという間に体調を崩して、死ぬことになる。
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コロナの抑え込みが、大阪ではうまくいってるのに、東京ではそうでもないのは、大半の住人ににとって、大阪は「地元」だが、東京は「移り住んだ場所」だからだ。東京の住人の多くにとって、東京は「何かのイベントに集まっている人たちにとってのイベント会場」にすぎない。周りにいる人間たちやその場所に対する「連帯感」の質が違う。
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『未来少年コナン』のオープニングで毎回墜落しているロケットは、墜落しなかったら、どこにいくつもりだったんだろう? 月? あるいは一時的な周回軌道上への「退避」?