2020年6月8日 月曜日/曇り/一日肌寒い
ようやく、目も殆ど痒くなくなった。鼻のムズムズもまあ、ない。今年の花粉症の季節は過ぎたようだ。
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『未来少年コナン』の「ダイスの反逆」の回。一人で「有名」な「太陽、エネギー?」のセリフと、ラナを抱えて高いところをから飛び降りたコナンの足から頭に「着地の衝撃」がビリビリビリと伝わる名場面があるのはこの回。あと、ダイス船長がロボノイドを使って大男に変装するのもこの回。それにしても、やっぱり『コナン』には、のちの『ナウシカ』と『ラピュタ』の要素が全部ある。今回登場した「世界を滅ぼした前の戦争で使われた爆撃機」なんて、「キャッチコピー」含め、マンマ「巨神兵」。
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トランプは、大統領を辞めた後のシンパイをした方がいい。
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『有吉eeee!』でやっていた、ぐにゃぐにゃしたキャラクターを操作してゴールを目指すゲームがオモシロそうだった。
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生命と知性の関係は、ある点で、品物と価値の関係に等しい。
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アメリカの警官(警察)が「凶暴」なのは、アメリカの社会全体が、潜在的に、校内暴力が吹き荒れていた頃の学校みたいだからだろう。その場合、警官は、ちょうど生活指導の教員みたいなもの。
銃社会では、暴力と死の距離が近い。ちょっとの暴力沙汰でも油断していたら、パンパンパン(銃声)で、あっという間にこの世とオサラバの社会で「犯罪を取り締まる」仕事をしていれば、知らない顔は全員人殺しに見えているはず。
だから、アメリカの警察組織のあり方がどうとか言ってるのは全部的外れ。スピード違反で止めた車の運転手が、いきなり銃を撃ってくる可能性があるような社会で、警官の意識に「市民は善良なもの」という認識を持たせることはまず不可能。また、そんなお人好しはすぐに命を落とすだろうから、進化論のいう「自然淘汰」のようなものが働いて、結果[「凶暴」=「知らない顔はとりあえずみんな人殺しと思う」]警官が増えていく。つまり、問題の本質は、警察組織という「個体」ではなく、銃社会という「環境」。
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この世に「客観的に笑えること」など存在しない。同じように「客観的に悲しいこと」も存在しない。あるのは、立場の違う者たちの受け取り方だけ。鹿を捕まえて母虎が戻って来れば、虎の子供は「笑う」だろうが、母鹿を殺された鹿の子供は「悲しむ」だろう。立場や見方が変われば、例えば、突然の余命宣告ですら腹を抱えて笑える。