2020年6月20日 土曜日/曇り/涼しい/風少し
第3話で早くも天一坊(永山絢斗)が死ぬことになるとは思いもしなかった(処刑)。あと、赤川大膳(佐野史郎)も(こちらは「仲間」に斬り殺される)。洲走りの熊五郎が恩人である「お嬢様」を助けるつもりで渡した50両。そのお金で、「お嬢様」の夫は晴れて、天一坊に仕官できたのだが、天一坊捕縛のドサクサで赤川大膳に刺し殺されてしまう。人の世の不幸は、いつも「良かれと思って…」なのだ。(『雲霧仁左衛門4』)
今調べたら、「天一坊事件」というのは池波正太郎の創作ではなく、実際にあったことらしい。赤川大膳という人物もいた。無論、「雲霧」の「天一坊」と筋は違う。因みに、この事件は、江戸時代に神田伯山の講談で有名になった。
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宇宙環境、太陽系環境、地球環境、身体環境などのあらゆる条件を積み上げた上で、ほんのひとしずく「採取」できるのが、生命現象依存型の知性(この地球で言えば人類)。だが、こんな代物は「実用」には向かない。すなわち、地球ローカルの生命圏内であーだこーだとやっている分には構わないが、宇宙規模で「運営」するのは全く現実的ではない。人力船で太平洋を横断するのが現実的ではないように、「人力の知性」で宇宙を統べるのも現実的ではないのだ。
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…「利己的な遺伝子」の観点から言えば、いかなる種類のガラクタDNAも自分自身にとっては「役に立って」いるといえよう。それが、生き残っていて、自分の複製を残してさえいれば、そう言ってよいのだ。こうした考えにしたがって、生物個体の生存には関係がないが、自分自身は生存し続けているDNAを、「利己的DNA」というキャッチフレーズで呼ぶことがある。しかし残念ながら、これは多少誤解されやすい言葉なのである。なぜなら、もともと私が用いた意味で「利己的」という言葉を用いるなら、生物個体の生存のために役立つDNAも利己的なのだから。だから、後者を呼び分けて「超利己的DNA」という人もいる。(Richard Dawkins『虹の解体』p138)
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レビー小体認知症は霊能者の息の根を止める。
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人間社会の憂鬱な問題の多くは、野球ファンが贔屓の野球チームの成績が悪いのを苦にして憂鬱になってるのと、そう違わない。
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戦争を準備したり始めたり肯定したりするということは、自分たちよりも戦争が強い相手の言い成りになることを受け入れるということ。