2020年6月17日水曜日


2020年6月17日 水曜日/昼まで晴、のち曇/涼しい


久しぶりに『Elephant Man』を観たら、リンチが監修した『Elephant Man』のリストア版の発売が決定したというニュースが届いた。このシンクロニシティ。またしても「ブラックロッジ通信」かとヨロコンダ。が、ちょっと待て。そう言えば、実際の「Elephant Man」について検索して調べたのだ。単なるGoogleの仕業。だがそこでまた思った。


迂闊なままでいると、Googleのせいで「世界では常に自分が関心を持っていることが起こりがちだ」と思ってしまうことになる。つまり、本当は、「世界中に数多ある出来事についてのニュースの中で、アナタが関心を持っているであろう出来事に関するニュースだけを、Googleが「つまみ出して」だけなのに、アナタは、アナタが関心を持っている出来事が、世界中が知るべき価値を持つものとして、言い換えるなら、一般性を持って、もっと言い換えるなら、NHKの19時のニュースで報道される価値を持つものとして起きている、と思い込んでしまう。


どうもうまく言えないが、要するに「雨男理論」がここでも機能しがちということ。


しかし、Googleの伝えてくることは、近所のスーパーの店長の工夫を報道する地元ニュースのそれと変わりない。違いは、その範囲が、地元どころではなく、アナタ個人に限定されていること。


もう一つ気づいたのは、人間はこの手の「意味ある偶然」にとても[弱い=騙されやすい]ということ。宗教的な言い方をすれば、それは「啓示」であったり「前兆」であったりするわけだし、俗信で言えばさっきの「雨男」であったりするわけだが、共通しているのは、「意味ある偶然」の背後に、人間には窺い知れない「ナニモノかの計らい」が存在しているという前提(思い込み)。


ところが、ユーザーの関心に沿った情報を分析して提供してくるGoogleに関しては、実際「ナニモノカの計らい」が存在しているわけで、それはつまり、手品のネタを初めからバラしているようなものだから、まあ、それで人間たちのアタマの中が妙なことにはならないと皆安心しているわけだが、実際には、やっぱり、人間のアタマの中は妙なことになりがちだから困る。


つまり、誰もが人工だと分かっている「意味ある偶然」であっても、人間は、例えば、狂信者のような世界像を簡単に作り上げてしまうのだ。