2020年6月1日月曜日


2020年6月1日 月曜日/晴/暑/風が強い


昨日の続きを少し書けば、例えば、リンチ作品が何度も繰り返し観られるのは「1周目」が終わっても「ネタバレ」状態になる割合がとても低いから。最後まで全部見たはずなのに何が起きたのか分からないせいで「2周目以降」が「1周目」とあまり変わらないことになってしまう。


『シックスセンス』などの作品を「2周する」理由は、リンチのそれとはまた違う。『シックスセンス』は、最後まで見ると、何が起きていたのかが分かる。その「何が起きていたのかが分かった」状態で、もう一度作品を見直して、自分の見落としを確認しているのだ。つまり、登場人物の言動を、新たな視点(真相を知った後の視点)から分析している「だけ」のこと。相応のオモシロミはあるが、それは「間違い探し」の安っぽさに通じていて、それが、シャマランを「一発屋」的な監督で終わらせたのだ。


ついでに書けば、三木聡の『時効警察』シリーズ(というか、三木聡作品全般)は、「1周目」よりも「2周目以降」の方が断然楽しめる。彼の作品は(『時効警察』が典型なのだが)、全体のストーリーは単なる「箱」に過ぎず、その中に並べる(実はバラ売り可能な)個々の場面(小ネタ含む)こそが「売り」なのだ。「箱」の全体像が分かっていない「1周目」、観客は「箱」のことを気にする必要があり、個々の場面(と小ネタ)という「売り」を充分に味わうことが難しい。「2周目以降」は、もう分かってしまった「箱」のことは気にせずに、個々の場面(と小ネタ)を楽しむことに集中できる。


実際、ファンは、「1周目」の三木聡作品に対して、「2周目以降」のような楽しみ方をしてしまい、全体のストーリーを見失いがち。そのせいで、最後まで観た後も「?」のリンチ作品に似ているように思えてしまうのだが、三木聡作品の方は、単に観客が個々の場面や小ネタにばかり注目してストーリー展開を追ってないだけのことなので、両者の「?」の理由は全然違う。実際、三木聡作品の全体のストーリーは、それだけちゃんと追うと難解でも何でもない。むしろ陳腐で凡庸。「箱」だからその程度でいいのだ。



毎年のことだが、スマホの「花粉情報」は終了したのに、まだ目は痒いし、鼻の奥もヒリヒリする。もしかしたら、花粉ではなくネコなのか、と思い出したりもしている。が、ネットを調べたら、シラカバ花粉飛散情報はまだちゃんと出てた。