2020年6月5日 金曜日/晴/涼しい(むしろ肌寒い?)
hardwareとしての人間の脳は、何万年も前のversionから少しも更新されていない。だから、21世紀の人間にふさわしい、理性的で合理的な「人類愛に溢れた」知性現象であるためには、脳にinstallするsoftwareとしての、教育/知識が重要。ということを、昨日の『アンビリバボー』で紹介されていた[メキシコ国境付近のアメリカの町で起きた殺人事件]を観て、改めて思った。
事件には都合3人のポンコツが登場する。
10代の若いカップルが別れる。男子の方に別に好きな女子が出来たからだ。フラれた女子の方はしばらく落ち込むが、新しい恋人を見つけて立ち直る。キッカケとなった出来事はこれだけ。
ポンコツ一人目は、フラれた女子の母親で、「自分をキズモノにした男と結婚できなかった女は一生不幸になる」という古い考え方に囚われている。こいつが殺人事件の黒幕。この母親、最初は「月いくらのお金を渡すから、娘とヨリを戻して欲しい」と、件の男子に直談判に行く(無論、断られる)。そこで、街の祈祷師のオバハンのところに行って、娘がヨリを戻せるかどうかを占ってもらう。祈祷師は、その可能性はないと答える。すると、この母親は、だったら祈祷で呪い殺してくれと迫る。祈祷師はそんなことはできないと断るが、母親は何度も何度もやって来て、祈祷師のことを罵るようになる。祈祷師は困り果てる。
二人目のポンコツは、嫁さんに逃げられたオッサン。このオッサンも、なんとか嫁さんとヨリを戻そうとして、例の祈祷師の所に相談に来る。祈祷師は、変な液体の入った小瓶を渡して、これを靴に毎日垂らし続ければ悪霊が退散してヨリが戻るみたいな、バカな助言する。無論、そんな子供騙しで、オトナの人間関係が回復するはずもなく、オッサンは「嫁が戻ってくるなら何でもする。悪魔に魂を売ってもいい」と祈祷師に迫る。
そこで3人目のポンコツの登場。さっきから出ている祈祷師のオバハンだ。オッサンの言葉を渡りに船とでも思ったのだろう、「この子を殺せたら、あんたの嫁は戻ってくる」と、例の男子の写真を見せる。それを聞いたオッサンは殺し屋二人を雇う。殺し屋たちは、哀れな男子を自宅前で射殺する(オッサンの嫁はもちろん戻ってこない)。
知性現象として洗練されるには、生命現象としての自分を相対化していく工程を積み重ねるしかない。