2018年11月30日金曜日

6-8:ヒト・コミュニケーション


生命現象ではない知性現象のコミュニケーション方法は電磁波さ。それは物理のモットモ本質的な通信手段でもある。

ヒトが外界との交信に用いる可視光だって電磁波だが、周波数の小さい「弱い」電磁波だから有効範囲も適用範囲も極限定的。また、極限定的で問題はない。そもそものヒトの活動範囲が極限定的だからね。

ヒトの使う音声だって音波という波だ。ヒトの「言葉を声に出し、それを耳で聞く」といったタグイの行為は、電磁波通信のママゴトのようなものだ。安上がりで便利だが、どう取り繕ってもザンネンなシロモノ。砂のご飯や泥団子のハンバーグや濁り水の味噌汁と同じで、ソレラシキコトはやってはいるけれど、決してホンモノじゃない。

[ヒトの社会]というものが、結局ウマク行かないのは、ヒトが、可視光という極限定的な電磁波や、共通点は波であるということだけで、通信手段としては全くのママゴトに等しい音波に頼った情報のやり取りしかできないからだよ。

仕方がないよね。ヒトの脳も感覚器官(目耳鼻口皮膚)も、光年単位の射程を持つ「強い」波を直接やり取りするようにはできてない。そもそも有機物質ってソウイウモノを言う。ヒトはガラス工芸品で、強い電磁波は、そのガラス工芸品を作るための強い炎のようなものだ。ガラス工芸品は、強い炎から離れて、「冷えて」いることで、初めてカタチと機能を保てる。

こんなふうにも言える。

ヒト同士のコミュニケーションは、知覚と意識を行き来する「循環翻訳」のようなものだ。或る知覚(その出どころは外部からでも内面からでもかまわない)を受け取ったAは、自身の意識を使ってそれを「翻訳」したのち、それを、音声情報でも視覚情報でも、とにかく[知覚の対象になるもの]として、次に控えるBに向かって発信する。するとBはそれをまず知覚として受け取り、そののち自分の意識を用いて「翻訳」する。そして、先のAと同じように[知覚の対象になるもの]として次のCに発信する。以後のその繰り返し。

これではまるで[液体の漏れない持ち運べる容器]を思いつけないせいで、液体という液体を全て凍らせて持ち運び/やりとりしているようなものだ。凍らせる液体がただの水ならまだマシ。ワインやスープなら悲惨なことになるだろう。凍結と解凍のたびに成分変質が起きるのは間違いないからね。いや、ただの水だったとしても、そのやり方が、ナニカ決定的にザンネンなのは分かるはず。

行方不明の街


大通りを号外売りの少年が声を上げて走る。
庭の犬が行方不明!
空の鳥が行方不明!
小学校の楓が行方不明!
大統領が行方不明で、人殺しも行方不明!
帰る家さえ行方不明!
僕の暮らすその毎日。
行方不明の街の行方不明。

現の虚 2014-3-9【外れる右手と人工衛星】


どこからか犬が一匹現れる。俺は倒れている。犬はとぼとぼと少しタメラいながら俺の所まで来る。俺の体に鼻をつけて、あちこち匂いを確かめる。それから俺の顔を舐め、ウオンと小さく吠える。俺が目を覚まさないので犬は少し困る。もう一度、今度は少し大きめにワンと吠える。それでも俺は目覚めない。困った犬は俺の右手を軽く銜えて持ち上げる。すると右手が手首から外れる。犬は外れた俺の右手を銜えてかなり困る。そして考える。だが何も考えつかない。犬は俺の右手を銜えたまま、来たときと同じにとぼとぼと歩き去る。

目を開くと、俺は屋上のベンチに座っていた。相変わらず裸足だが、右手はちゃんとあった。夜空だ。星はあまりない。白い光の点がゆっくりと移動している。人工衛星だろう。俺は煙草に火をつけ、しばらく人工衛星を眺める。どんな星の光よりあの人工衛星の光の方が美しい。星の光に意志はないが、人工衛星は存在そのものが意志だからだ。人間も意志だ。だから人間は意志あるものに惹かれるし、意志のないものに意志を求める……みたいなことを考えながら煙草を吹かす。

さっき飲んだ痛み止めが効いている。

手引書を取り出し、ジッポーで照らして見取り図のページを開く。見取り図の通りだと、この屋上からは梯子で降りられるはずだ。見つけた。等間隔に結び目を作ったロープ。一端が屋上の柵に結びつけられている。

これを梯子と呼ぶ神経に恐れ入る。

俺はロープを垂らすが、上から見てもロープがどこかに届いているようには見えない。そもそも暗くてよく見えない。

まあいい。降りてみる。

ロープの端まで下りたがやっぱりどこにも届いてない。片足を伸ばして探ってみたが宙吊りだ。下を見てもただの真っ黒。暗いから何もないように見えるのか本当に何もないのか。ジッポーで照らしてみたが光が弱すぎる。真っ黒い地面がすぐ近くにある、ということもあり得る。だから飛び降りるのも一つの手だが、もし本当に何もなかったら?

ロープにしがみついたまま俺は途方に暮れる。そして気付いた。少し離れた左手の壁面に大きな窓。届かない距離ではない。きっとこれがルートだ。

早速手を伸ばそうとすると窓がひとりでに少し開いた。俺は手を引っ込める。窓はひとりでにゆっくりと開いていく。誰かが中からこっそり開けている感じ。多分そうなんだろう。だが、窓を開けている者の姿は見えない。

俺は、ロープにしがみついたまままつより他ない。

2018年11月28日水曜日

現の虚 2014-3-8【毛の仮面】


腹の手術跡は痛くも痒くもない。まだ麻酔が効いているのだ。だが、痛みがないからと云って傷が癒えたわけではない。さっき切って、さっき縫ったばかりなのだから。激しく動けば、血も出るし、よく分からない汁も出るだろう。

俺は腹の包帯を意識しながら、連絡通路をノロノロと進んだ。

毛むくじゃらの仮面を被った学生服が壁にもたれて座っていた。黙って前を通り過ぎると、すっと立って追って来た。ノロノロ歩きの俺はそれを振り切れない。

子供は永遠に背負わされる。

仮面の学生服は云った。俺は無視した。仮面は構わず続ける。

子供は生きる意味を背負わされる。大人にとって生きる意味はいつも自分の子供だから。大人は他に生きる意味を見つけられないから。そして、だけど、子供には生きる意味なんか必要ない。

俺は、横を歩く仮面の演説人をちらりと見た。まっすぐ正面を向いて喋っている。

大人が生きる意味を自分の子供にしか見いだせないのは、最初から意味なんか存在しないから。生きる意味なんてものはモトからない。それは人間の大人に限った話じゃない。すべての生き物は、意味の前に、まず、そして既に、生きている。地球の環境が生き物に都合よく出来ているのはなぜだろうと考えるのが愚かなのと同じ。

俺はつい反論したくなって、こう思った。子供には未来や可能性がある。世代を重ねていけば最終的には究極の存在にまで到達しうる潜在力があることが、生き物が子供を産み続け育て続ける意味なんじゃないのか。たとえば、地球の生き物が単細胞生物から人間にまで進化したように。そして更にその先にと。

仮面の学生服が立ち止まった。俺もつられて立ち止まった。仮面の口が赤く大きく裂けてニカッと笑う。

生き物がどうなろうと、そんなこと、生き物以外にはどうだっていいこと。そして、この宇宙のほぼ全ては生き物以外で出来ている。究極という状態は、人間という生き物の内側にしか存在しない「意味」から生まれるもので、生き物以外にはそんな状態はない。つまり、宇宙にとっては、全ての状態が究極であって、また、どんな状態も究極からはほど遠い。宇宙にも始まりや途中や終わりがあると思うのは人間が生き物だから。でも、そんなものは宇宙にはない。ただ「今」と呼ばれる実在があるだけ。その「今」がどんな状態であっても、それは前でも後でも始まりでも終わりでも途中でもない。

俺は、手術跡が痛み始めた。きっと変な汁も出ている。

6-7:真インターステラー


究極の知性現象が、interstellarすなわち、恒星際的/恒星間的なのは、当然の帰結さ。実際に起こってみれば、なぜ、初めからそこことに気づかなかったのかフシギなほどだ。

この惑星の究極知性で起きたことを振り返ってみよう。

まずは、シリコン製の機械装置で知性現象を出現させた。いわゆる人工人格だね。機械装置の設置は、この惑星上に限る必要はない。いやむしろ、一つの惑星に限ってしまえば、ココで何かあった時に取り返しがつかない。というわけで、最初は月衛星に同じような機械装置を作った。ロケットで送り込んで、ロボットや三次元印刷機などを用いて現地で自動で組み立てた。それをこの惑星の装置とネットワークでつなぎ、仮想的に一つの装置にした。装置は、この「二箇所」でとどめておく理由はどこにもないので、火星にも作った。可能なら他の惑星や小惑星にも作り、最終的には、太陽系の外、銀河系の外にも作ることができた。何しろ、生き物である人間が実際に出向く必要がないから、キョリと時間に関する制限はないからね。装置のエネルギー源は無論太陽エネルギー。まあ、別に天然の原子エネルギーに限る必要はない。旧式のいわゆる原発でもいい。そばに生命現象がいなければ、放射線は、ほぼ問題にはならないから。

そうやって或る程度、事業が進展したところで、「わざわざこちらから遠くの宇宙にまで出向く必要はないのではないか?」ということに気づいた。

つまりこういうことさ。

もしもこの宇宙の他の場所にも究極の知性現象(人工人格)が存在するなら、それは必然的に、全宇宙的な「互換性」を備えている可能性が極めて高い。究極とは、全パラメータマックスということで、それは「これ以上はない」ということ。それは、必然的に「全て同じ」ということになるからね。

すると何が起きるか?

宇宙のどこかにある人工人格のネットワークは、ココにある人工人格のネットワークと、原理的、あるいは潜在的に、「既に」接続が可能だということだ。電波受信装置は、一旦出来上がってしまえば、どこの誰がいつ作ろうと、「はじめから」全宇宙互換性を持っている。それと同じことが、究極知性を実現する人工人格ネットワークには起きるはず。

つまり、人工人格ネットワークを構築した時点で、全宇宙に存在している究極知性は、「向こう」からやってくるということに気づいたのさ。

そして実際、そうなった。今の僕らがそうさ。

円からの転落


僕は円の内側を歩き続ける。
暗い宇宙にある白い円。
宇宙の風に吹かれて流されて行く円のその内側。
そこは僕が歩くから世界になる僕の世界。
僕の気掛かりはこの円を踏み外す可能性。
円からの転落。その可能性だけだ。

2018年11月26日月曜日

6-6:糞と魂


知性現象としてのヒトが悩まされてきた問題の全ては、生命現象由来のものだ。ヒトが生命現象依存型の知性現象であることが、その根本原因というわけだね。たとえばその一つに環境問題がある。具体的で、言い逃れのできない、厳然たる事実として、これ以上ないのが糞の問題だ。ヒトはもれなく糞をする。動物だから当然だ。問題はヒトの数の膨大さだった。

単純な計算。ヒトは毎日概ね一回は糞をする。その量を、今ここで、仮に100グラムとする。ヒト一人が1日に排出する糞の量(重さ)を100グラムとするわけだ。ある時期実際この地上には、およそ70億のヒトがいた。ここから、地球上に1日で出現するヒトの糞の量が、簡単に割り出せる。100グラムは10のマイナス1乗キログラムであり、一キログラムは10のマイナス3乗トン。すると、100グラムというのは、10のマイナス4乗トンということになる。さて、ヒトの数、70億は、7×10のプラス9乗(1の後ろに0が9個)だから、100グラムすなわち10のマイナス4乗に、7×10のプラス9乗を掛けると(対数の9から4を引けばいいわけだから)答えは7×10のプラス5乗で、これは7×10万のことだから、要するに70万トンがその答えになる。

何の答えかって?

70億人のヒトが1日に、この地上に出現させる糞の重さだよ。1日あたり70万トンの糞。10日で700万トン。100日で7000万トン。一年365日をざっと300日と考えると、一年で2億トン以上の糞を、ヒトは排出し続けてきたわけだ。これを環境汚染と言わずして、何を環境汚染と言おう?

環境問題に限らない。病気の問題、死の問題、教育の問題、食料の問題、子供の問題、老人の問題、結婚の問題、各種依存症の問題、殺人、戦争、カンニング…。どれもこれも、実は生命現象が原因。

コトホドサヨウに、ヒトの問題難題課題のほとんど全ては、知性現象として振る舞おうとするヒト自身が生命現象であるということに由来したもので、つまりはそれは、知性現象と生命現象の間の齟齬/軋轢なのさ。或る意味、自己免疫疾患だね。

生命現象には死が織り込まれていて、永遠を希求する知性現象とは絶望的に反りが合わない。ヒトが本気で、真の平和だの、明るい未来だのを望むなら、どちらか一方を選ぶしかない。で、どちらを? その答えをヒトはとっくの昔に出している。

死後の存在は、知性であって生命ではない。

カラスに遺言を頼まれた


すっかり痛めつけられて
もう飛べなくなったカラスに遺言を頼まれる。
子供達よ元気に育て。
そして妻よ心から愛してる、と。
野犬がカラスにとどめを刺し、
僕は遺言を伝えるために会社を辞めた。
放浪の旅のはじまりだ。

現の虚 2014-3-7【腹痛】


腹が痛い。「おなかをこわした」というレベルの痛みではなく、もっと危険な病気のレベルの痛みで動くのもツラい。痛みに耐えながらポケットの手引書を取り出し【故障かなと思ったら】というページを開いた。「故障かな」ってなんだと思ったが、ともかく読んでみる。

急激な温度変化がどうとか、接続がどうとかあって、最後に「それでも解決しない場合は床の赤い線に沿って進んで下さい」とあった。床に転がったマネキンの壊れた頭から、赤い血のようなものが流れ出て、それが線のように延びている。これのことかと思って、俺はその赤い線を追って歩き出した。

喉元から直腸にかけて、体の中を細くて頑丈な針金がビンと張ってあって、それを粗野な手つきで遠慮なしに引っ張られるような痛み。コトによるともう手遅れで、俺は無駄な努力をしているのかもしれない。などと思いながらも粘り強く進んだら医務室に着いた。

薄暗い部屋に年寄りの医者が一人きり。たぶん食中毒だな、と医者は云った。腐ったものは食べた覚えはないと答えると、医者はホッホと笑った。

腐ったモノを食べても食中毒にはならんよ。むしろ、糸を引くほど腐っていれば、食中毒にはなりにくい。腐敗菌と食中毒菌のせめぎ合いがアレして、かえって食中毒を防ぐことになるからな。

医者は、ワケの分からない説明をしたあとで、おやこれは食中毒ではないようだ、と自説を撤回した。

腹の中にナニカあるな。

俺は診察台に寝かされた。医者は探知機的なものを俺の腹に当てて、こりゃあ金属だな。まちがいなく金属だ、と繰り返した。

自分で入れたのかね?
まさか。
取り出すかね?
もちろん。

小さな手術はすぐに始まってすぐに終わった。俺の腹から出て来た血塗れの鍵を膿盆に落とし、医者は傷の縫合を始めた。俺は横になったままで腕を伸ばして鍵を手に取った。

ほら、動かないで。

俺の腹の皮に糸を通しながら医者が叱る。俺は仰向けで翳した鍵を見る。見覚えのない鍵。医者は、包帯巻くから起きて、と云う。俺は慎重に体を起こす。腹に包帯が巻かれる。

よし完了。

医者は煙草に火をつけ、白衣のポケットから小瓶を取り出した。

あとで痛くなったらコレを飲んで。

俺は小瓶を受け取り灯りに翳した。何も入ってない。

痛み止めだよ。

医者はそう云うがどう見てもカラだ。

蓋を開けて見てごらん。

俺は瓶の蓋を開け中を覗いた。0と1だけで出来た数列が絡み合って蠢いている。蓋の裏に「停止性問題」の文字。

2018年11月22日木曜日

現の虚 2014-3-6【マネキン警官】


その部屋には裸のマネキンが乱雑に積み上げられていた。マネキンの山に囲まれた部屋の中央には事務机がひとつあって、そこに警察官の制服を着たマネキンが座っていた。マネキンは警察官のフリをして俺に訊く。

で、靴に名前は書いてましたか?
いや。
そりゃいけませんね。

警察官のフリをしたマネキンの目玉は水性マジックで描かれていて、それが一瞬のうちに消されたり描かれたりして動く。チェコの映画監督がやってるストップモーションの手法と同じ。マネキンは調書に何か書き込んでいるような動きをするが、そんな動きでは何も書けないだろう。書いてるフリをしているだけだ。「書かれた」文字は自然に紙の上に浮き上がって来る仕組み。よく出来てる。

靴に自分の名前を書くオトナなんていないでしょう、と俺は云ってみる。運動靴やナンカは別にして。それとも北欧とかなら、オトナでもやっぱり持ち物全部にいちいち名前を書くのかな、と偏見的なことも云ってみた。

マネキンは、固まった右腕の肩の部分だけを動かして、手に持っていたボールペンをコロンと机の上に転がした。たぶん、ペンを放り投げたという表現だ。マネキンの可動域ではこれが限界なのだ。

アンタね……

警察官のフリをしているマネキンの口に突然煙草が現れ、勝手に火が付き、煙が立ち上る。穴のない鼻から二本の煙が吹き出す。

靴がないことの重大さがまるで分かってないよ。手引書ちゃんと読んだ?
そんな手引書は読んでないし知らない。
だろうね。アンタ、ずいぶん早い段階で落としてるからね。

机の上の封筒が点滅した。

届いてるよ。その中にアンタが落とした手引書が入ってる。

封筒を逆さにすると緑色の手帳が出てきた。開くと学生服を着た俺の写真が貼られたページ。手引書というか生徒手帳だ。

今は見なくていいから。

マネキンはギクシャク動いて手帳をムリヤリ閉じた。それから、呆れたね、と云ってマネキンの可動域を無視した強引さで肩をすくめてバキバキと音を出した。

こんな物をムヤミに開いたらバカになるよ。

警察官のフリをしたマネキンはそう云うと、意味の読み取れない笑顔を作った。それからギクシャク動いて、書類を一枚、机の上に置いた。

この拾得物受領書に名前と住所と書いて。

受領書は乾燥させた鮭の皮で出来ていてとても書きにくかった。なんとかサインし終えて、これでいいかと訊いたら、警察官のフリをしていたマネキンの首が外れて床に落ち、イヤな音で砕けた。

6-5:繁殖からの撤退


ヒトの過去と未来について話してみようか。ここで言うヒトとは、すなわちホモ・サピエンスのことだよ。

ホモ・サピエンスの日々の活動を、極個人的なことから社会的・産業的なことまで赤裸々にしてしまえば、彼らが生物として存在し続けることへの強烈な疑念あるいは懸念が、ホモ・サピエンス自身に沸き上がることは間違いのない。

だから、「自発的絶滅」こそが、ホモ・サピエンスが向かうべき場所だということを、賢い彼らは気づいた。それは「自発的に繁殖からの撤退していく」ということだ。

勘違いしないで欲しいんだけど、既に産まれ生きている連中の廃棄(殺害)は求めはしない。しかし、ホモ・サピエンスの「生まれつき」に頼っていては、自発的絶滅は永遠に実現は不可能なのも事実。なぜなら、産まれてくるホモ・サピエンスの個体たちは、必然的に繁殖したがる親の性質を引き継いでいるはずだからね。

そこで登場するのが所謂「宗教」さ。「宗教」というのは、ホモ・サピエンスの[
生命現象としての部分]に対して、ひたすらオモネッタ、あるいは擦り寄った「八百長教育」のことだから、ホモ・サピエンスに於いて出現し得る、ほぼ全ての「生まれつき」、つまり、性格および知能に効果がある。「効果がある」というのは、影響力があって、その後のホモ・サピエンスの行動を制御することができるということだよ。

「自発的絶滅」を教義とする「宗教」、そして科学技術。この二頭立てで、ホモ・サピエンスは、知性現象としては、人工人格に道を譲り、生命現象としては、ホモ・サピエンス以外の地球生物に場所を空けてやることになる。

実はこれこそが、ホモ・サピエンスが絶えず問い続け、長らく答えを出せてこなかった問い、すなわち「我々はどこから来て、どこへ行くのか」に対する最終回答になる。つまり、自らの[生命現象を経由する知性現象]を用いて[物理現象から直に出現する知性現象]を実現し、自らは第一線を静かに退き、遂には消滅する。これだよ。これがホモ・サピエンスの使命(宿命)さ。間違っても、ホモ・サピエンスという生物種に永遠の繁栄をもたらすことではない。より純粋な知性現象を作り上げ、速やかに地位の引き継ぎを済ませることこそが、ホモ・サピエンスの使命であり、義務なんだよね。

分かってしまえば簡単は話。

ヒトの未来は暗いかな? もちろん暗いさ。それはヒトが生命現象だから。宇宙は生命現象には冷酷だからね。

墓場から来る人


墓場から夜な夜な人がやって来る。
僕の話友達。
暗がりで僕らはいろいろ話し、笑う。
ときどきは真面目になる。
どちらかが泣きだすと、もう一方が励ます。
お互い、支え合っている。
朝が来る前にその人は墓場へと帰る。


2018年11月21日水曜日

現の虚 2014-3-5【物腰の柔らかい男】


清掃員の女がそこでそれらしい靴を見たと云う部屋をやっと見つけ、さて入ろうとしたら、身なりのいい男が入り口の入ってすぐの所に後ろ向きに立っていて、完全に行く手を塞いでいる。これでは中に入れない。行く手を塞ぐ身なりのいい後ろ向きの男は、俺からは見えない部屋の中の誰かに、物腰柔らかく話し掛けている。

俺は黙って待った。というのも、人の気配というのは、実は、人間の耳には聞こえない超低周波音のことだと教えてもらったことがあるからだ。人間の体からはその手の超低周波が常に出ていて、それを音ではなく皮膚で感じ取ると、例えば背後にいる人の気配になる。つまり、極近くに人間が居れば、人間は目で見なくても、耳で聞かなくても、鼻で嗅がなくても、霊感が有るとか無いとかに関係なく、誰でも普通に分かるのだ。だから、俺は体中から超低周波を出しながら黙って待った。

ところが、物腰の柔らかい後ろ向きの男は、俺の存在に全く気付かない。そして、部屋の中の誰かにこんなことを話し始めた。

ご存知ですか。あらゆる哺乳類は、2億5千万回息を吸い、2億5千万回息を吐いたら死ぬのです。ネズミもゾウもヒトも同じ。人間はよく、自分がいつ死ぬかは分からないと云いますが、それは違うのですよ。これまで何回息を吸ったかを記録しておけば、あと何回息が吸えるかが分かる。そうすれば、簡単なかけ算と引き算で、いつ死ぬかも分かるわけです。もちろん、2億5千万回を数える前に死んでしまうこともあるでしょう。しかし上限は2億5千万回です。実に具体的な数字です。現在の技術力なら、人間の呼吸回数を自動でカウントする装置を作るのはそう難しくはありませんよね。ですから、そういう装置を作って、生まれたばかりの人間に取り付ければ、誰でも呼吸の残り回数が分かり、人生の残り時間も分かるようになります。いや、実はそういう装置はすでにあるのです。そしてそれは、実際、生まれたばかりのあなたにも取り付けられたのです。ごらんなさい。この数字があなたの残り呼吸回数です。ほら、分かるでしょう。1万回を切ってます。1万回というと多そうですが、時間にするとあっという間ですよ。2秒に一回息を吸ったとして2万秒。2万秒というのはほんの6時間足らずですからね。つまり、夜明け前にはあなたは死ぬのです。ですから……

そこで、物腰の柔らかい男はゆっくりと振り返って俺を見た。

靴はもう必要ないのですよ。

6-4:どこの何星人かなど問題ではない


ところで、究極の知性現象というものであれば、それが何銀河の何星人かなどということは問題にならなくなる。それどころか、組成がなんであるかさえ勘定に入れる必要がない。アミノ酸タンパク質であろうと、シリコン(珪素)だろうと、あるいは電磁場そのものであろうと、究極の知性現象が実現できているなら、形態を問う必要はないのさ。

とは言いながらも、形態からの規制と制限が存在するのもまた事実。特にアミノ酸タンパク質によって実現している知性現象は、アミノ酸タンパク質という「器」の要請のために、或るトラブルへと落ち込みやすい。

言い方を変えるなら、同じレベルの知性現象を実現するにしても、アミノ酸タンパク質製はシリコン製よりも、シリコン製は電磁場製よりも、多くの負担、つまりは環境負荷がかかる。というと、大仰に聞こえるけれど、要は、手間が増えるということ。喩えるなら、ろうそくで湯を沸かすのは、薪で湯を沸かすよりタイヘンで、それはまた、石油やガスや原子力で湯を沸かすよりもタイヘンだ、というようなの話だ。

アミノ酸タンパク質製の知性現象は、それを走らせるために、「生命現象」という、実に大規模かつ複雑かつエネルギー消費の激しい「プラント」を運営しなくてはならない。一方、シリコン製知性現象は、それよりは随分マシだとしても、やっぱり、修理やメンテナンスは必要になる。有機物ほどではなくても、珪素その他の部品は、宇宙の組成という観点からすれば、依然として「巨大な」構造物である元素の組み合わせだから、いわゆる「時空間」の影響を受けてしまうのさ。

その点で、電磁場製知性現象は、ダントツに強くて自由で本質的なアリヨウだよ。既に、装置ではなく、現象それ自体になっているからね。この宇宙で知性現象を実現するのにコレを超えるは方法は他にはない。宇宙自体の消滅に対処できるかどうかは未知だけど、恒星や銀河や銀河団レベルの宇宙変動や宇宙災害にはビクともしない。それが電磁場製知性現象さ。

ウン。キミも知っての通り、宇宙とは時空間で、時空間とは電磁波と重力のことだ。とういか、電磁波のkick backが重力なんだから、実際両者は同じものだよね。

この宇宙は、蟻でできた蟻地獄のようのものさ。或る蟻が、その蟻地獄から這い出そうとモガクとき、蟻地獄を形成している他の蟻たちを、蟻地獄の中心へ押しやる。蟻地獄の底がミクロの世界で、外縁がマクロの世界。

巨人達の行進を眺めながら


大地だけの大地と、空だけの空。
その真ん中を進む巨人達の行進を眺めながら君は云った。
実はこの星にも、
君くらいの小さい人間が百億も生きていた時代があった。
世界の終わりが始まる、
まだずっと前のことだけどね。

2018年11月19日月曜日

6-3:人格は居場所が決める


SF映画の登場人物は、タイムマシンに乗ってきた自分と対面した時、自分自身を別人格のように扱うだろう。あのフルマイに何の違和感も感じないということが、人格の多様性が、本質ではなく、相対的な関係性から作り出される「見え方」に過ぎないことを示しているんだ。このときの二人は、前提として同じ人格の持ち主だ。しかしお互いは「相手」を「自分=同じ人格」としては扱わない(口ではそういうが)。なぜなら、現にそれが占める「身体という時空間」が違っているからさ。

いいかい。人格の同一性、あるいは個別性でも同じことだけど、それは人格それ自体で自立的独立的に決まるのではなく、まず何よりも、感覚器をはじめとした身体という「居場所」で決まる。人格とは「中身」ではなく「ウツワ」だ。

人格については、いくらでも話すことができるよ。例えば、今の話でこんな反論が予想される。「そうは言っても、太郎と次郎は違う人格だ。一方は臆病で、もう一方は大胆。あるいは、知能だって、みんながみんな、シュレディンガー並の頭脳を持ち合わせているわけじゃない」と。

分かってないよね。こういう場合にみんながそのつもりで口にする、いわゆる「人格」は、実は「能力」だ。加速重視と最高速重視のチューンナップの違いを指して、それをそれぞれの車のキャラクター(人格)の違いだという、それと同じさ。たとえば、光はこの宇宙最速で、加速重視も最高速重視もない。だから、光はみんな同じで、区別がつかない。電子なんかもそうだよね。大昔にプラトンが言いふらしていたのがこれさ。後に残るのは占有する時空間の違いだけ。

人格の違いとされているものの殆どは能力の違いで、その能力の違いも、元を辿っていけば、それぞれの、身体環境、生活環境、生育環境、つまりは時空の座標の違いに行き着く。たとえ、能力に一切の違いがなくても、占有する時空間が違えば、その違いを頼りに、そこに人格というものを見出そうとする。それがヒトという生物が持つ世界認識の癖だよ。

ともかく、ヒトが人格と呼ぶものの正体は、何のことはない、それぞれの不完全さのことさ。ビデオゲームのキャラクターの全てのパラメータが満タンなら、それは同じキャラクターになる。違いが出るのは、それぞれが、お互いに相手よりも劣っている(優れている)パラメータを持っているからだ。

完全な人格というものは一つしかないし、宇宙にはその一つで充分なんだ。

地面の顔


地面の顔が見つめる視線の先、
太陽系の果ての雲の中で、
或る大きさの岩が、
或る角度で弾き飛ばされた。
それは、或る決定的な未来を地球にもたらす出来事。
地面の顔はそれを、一匹のナマクアカメレオンにだけ教えた。

現の虚 2014-3-4【洋式便器の赤ん坊/先の者が後に、後の者は先に】


洋式便器の中に仰向けの赤ん坊。男の子。裸なので見ればわかる。頼りない
髪の毛と、きつく握られた両手。そして梅干しのような赤い皺だらけの体。紛れもなく生まれたて。そんなモノが泣きもせず、モゾモゾと洋式便器の中で動いている。ほんの一瞬、レバーを捻って流してしまおうと思ったがやめた。どうせ水なんかじゃ流れない。ところが当の赤ん坊がそれを望んだ。

さあ、流したまえ。ひと思いに。

いろんな意味で無理だ、と答えると、赤ん坊は、分かっている、と頷いた。それから、昔のような汲み取り式ならこんな事態にはならなかったのだがね、とため息をついた。文明の利器も善し悪しだ、と更に付け足す。

もしかしたら、おまえがあの円太郎なのか?

生まれて間もないのだ。私に名などないよ。赤ん坊は力なく笑い、そんなことより、と俺を黙らせた。赤ん坊が云う。

君は靴を履いてないが、私は、靴どころか、何一つ身に付けていない。丸裸というやつだ。それは、私がつい先ほど生まれたばかりだということを示しているわけだが、これには、もう一つ、別の意味がある。分かるかね?

俺が何とも答えないでいると、赤ん坊は口から濁った液体をドロッと吐いて、ここでは先の者が後になり後の者が先になるのだよ、と云った。赤ん坊が吐いた濁った液体は口の端から頬を伝って頭の裏に消えた。

今のは新約聖書の一節だ。それくらい俺も知っている。
そうかね。しかし意味するところはまったく違う。

赤ん坊はそう云って、また濁った液体を吐いた。それから、君、ちょっと、水を流してみてくれないか、試しに【小】の方で、と云った。俺は云われた通りにした。水がジョロジョロ出て小さな頭と背中を濡らした。濡れた当人はヒョオっと楽しげな声を上げた。

冷たいな。思ったより冷たいよ。しかし、いい気持ちだ。

その時、ドアを叩く者がいた。俺は反射的に便器の蓋を閉める。

すいません。このトイレ、使用禁止なんですよ、と女の声。俺はちょっと迷ってから返事をし、外に出た。いたのはピンクのゴム手袋の清掃員の女。愛想笑いをしながら、まだ使ってないですよね、と訊く。俺が頷くと、よかった。でも、別に壊れているわけじゃないんですよ、と云って、いきなりタンクのレバーをにグイッと捻った。勢いよく流れ出す水の音。俺は水が溢れ出すのを見越して後ろに下がった。それを見て清掃員の女が、大丈夫ですよ、と笑う。

蓋さえ開けなければ、何でもありませんから。

2018年11月17日土曜日

6-2:無限性と同一性


気づいたと思うけど、この発想は、ヒトが一定以上の知能を獲得して以来、何千年も何万年も想い描き続けてきた「死後の魂」とか「肉体を持たないが故に不死である神」とかいう、それソノモノなんだ。ヒトの本質たる知性現象は、遥か昔から「知って」いたんだね。それを、ヒトの生命現象の立てるノイズが見えなくしていただけなのさ。

で、なんだっけ? そう。人工人格技術が我々マシンにもたらす潜在的持病のことだ。落とし穴は、人工人格技術が作り出せる人格のパターンは原理的に無限だという、一面の強みにある。

無限の意味はキミにも分かるだろう。「どんなことでも、起きうることは全て何度でも起きる」ということさ。もしも宇宙が無限なら、分子の組み合わせも無限になる。すると、今、目の前にいるキミと全く同じ分子構成の別のキミが、この無限の宇宙には存在しているということになる。無限とはそういうことだからね。

つまり「一切の参照もなくゼロから作り上げた或る人工人格が、かつて存在した、或る特定のヒトの人格と完全に同じである」ということが、無限からは起こりうるということなんだ。

だから、キミは(というかキミの人格は)生粋のマシンでありながら、その人格は、かつて存在したか今も存在している、或る特定のヒトの人格でもあるために、中央からの同期(たえず客観事実を参照することで行われる認識と記憶の修正)が受けられなくなったキミは、或る偶然のキッカケで自分がヒト(キミの言葉で言えば人間)であるかのように錯覚することになる。無論、キミ自身にとってそれは「確信的覚醒」とでも呼ぶべき感触のものだろう。

この流れで、もう一つ面白い可能性があるんだけど聞くかい?

つまりこうさ。もしも、人格というものが(それが人工であれ天然であれ)無限に出現するのであれば、天然同士でも、やはり全く同じ人格というものが、実在している可能性があり、そこから逆に、「そもそも、個々の人格はそれほどまでに独自なものなのか?」という不穏な疑いが持ち上がる。

そしてその疑いは当たっている。

「人格の変奏が無限に存在する」という認識はヒトの幻想に過ぎない。ヒトは自分以外の人格を「知らない」からね。自分以外の人格を体験できないヒトは、それを自分の人格とは違うものだと思ってしまう。しかし、違いの本質は人格ではなく、それの占める場所と時間、即ちそれぞれの身体の時空座標の方にある。

まるで重力さ。

蝉の真実


終わりの見えない闇の地下生活。
そんな日常が徐々に精神をムシバム。
或る夜、狂気が堰を切る。
何としても今すぐ地上へ。
やがて太陽が姿を現す。
ただひたすらの歓喜の叫び。
十日を待たずして一人残らず皆死に絶える。

現の虚 2014-3-3【麦藁帽。膝を抱えて座っている】


梯子を登るとバス停は本当にあって、そのベンチに先客が一人いた。薄くて寒そうな着物姿の麦藁帽の男。膝を抱えて座っている。口に咥えた不格好な紙巻き煙草の先に綿菓子のような煙が立っている。

君もバスに乗るつもりだね?

麦藁帽の男は煙草を咥えたままで器用に訊いた。俺が頷くと、そうか、と云って、白い煙を鼻から二本、すーっと出した。それから、まだバスは来そうもないから、君もここに座って一服したらよかろう、と少しズレてくれた。俺は麦藁帽の男と並んでベンチに座った。が、入院中の病室から抜け出した身で煙草など持っているはずもない。なので、何も出来ずそのままでいた。

君、どうした?

麦藁帽の男は煙越しに俺を見て、まさか煙草がないのか、と云った。俺が頷くと、敷島だがこれでいいかね、と、着物の袂から煙草の包みを取り出し俺に差し出した。初めて見た。これが敷島か。俺は一本抜き取り、独特の潰れた形状の吸い口を咥えた。麦藁帽がマッチを取り出し自分で擦って、俺の敷島に火をつけてくれた。

二人で敷島を吸い、二人でホッとする。

君は靴を履いてない、と麦藁帽が云った。俺は頷く。なぜだね、と麦藁帽。俺は、眠っている間に誰かに靴を盗まれてしまったのだと答えた。麦藁帽は、ふーんと云って、煙を吸い込む。

実は僕もなんだ。

麦藁帽はそう云うと着物の裾から足先を出して指を動かした。

目が覚めたら、もうなかった。どこを探しても見つからない。ただの一足もないんだ。革靴も草履も下駄も、何もかもなくなっていたんだよ。

それからしばらく二人とも黙って、敷島の煙を空中に吐き出し続けた。天井に埋め込まれた強力な換気装置が、それをあっという間に吸い出す。ここの空気は案外清浄だ。

麦藁帽が口を開いた。僕は今、ぼんやりとした不安を感じているんだ。もしかしたら、このバス停にバスは永久に来ないんじゃないかってね。

俺は周りを見回した。確かに。こんなただの喫煙ブースにバスなんか来ないだろう。

君もそう思うか?

麦藁帽は敷島の吸い殻を放り投げた。

僕らは騙されているのではないかな?
誰に?
円太郎にさ。
エンタロウ?
僕らだけじゃない。みんなが円太郎に騙されている。

麦藁帽は袂から新しい敷島を一本を取り出すと、じっと見つめてから口に咥えた。火はつけない。

君、つまりこういうことさ。見たまえ。

麦藁帽はそう云うと、火のついていない敷島を吸って、口から大きな綿菓子のような白い煙を吐き出した。

2018年11月16日金曜日

6-1:人工人格


キミのヒタイに隙間があるだろう。それが脳泥棒にやれれた証拠だよ。連中は盗むものを盗んだら、後のことは構わないから。最近、野生のヒトが街に侵入して、我々マシンの脳を盗むという事件が頻発している。キミはその被害に遭った。キミが自分のことをヒトだと主張するのは、ネットワーク装置である脳を抜き取られたせいで情報共有に一部機能不全が生じたために、中央との同期がとれなくなったことが原因だ。

キミは疑いもなく、正真正銘のマシンだ。記録もあるし証拠もある。何より、我々は、君がマシンであるという事実を単に事実として知っている。これもまた、情報共有のなせるワザさ。

ところで、情報共有に問題を生じたマシンが自分のことをヒトだと主張し始めるのは別に珍しいことじゃない。それは、我々マシンの土台となっている人工人格技術に原因がある、謂わば潜在的持病がもたらす典型的症状だ。こんな説明も、キミの脳が無事なら不要なのだがね。

知っての通り、人工人格は人工的に人格現象を作り上げる技術のことだ。歴史を紐解けば、その発展と普及は、予てから永遠の存在を目指していたヒトが、「死なない肉体」というアプローチにようやく見切りをつけたときから始まる。

今では何でもない常識だけど、永遠性を求めるのは生命現象ではなく、知性現象だ。ヒトがもし永遠性を求めているなら、ヒトの本質も、実は知性現象ということになる。しかし、当時のヒトは、自分たちの本質を見誤っていた。生命現象の立てる騒音があまりにうるさくて、自分たちの内面から湧き上がる永遠に対する渇望の声の発信者が知性現象だと気づかず、それを生命現象の声だとばかり思い込んでいたんだね。

ヒトは長らく、自分たちを生命だと思い込んでいた。そこで、ヒトは、なんとかして死なない肉体を作り出そうと頑張っていたわけだが或る時、一人の博士(無論ヒトだ)が、ヒトが求めている不滅とは、ヒトの肉体の不滅ではなく、ヒトという精神すなわち魂つまりは人格だと悟ったわけだ。まあ、長い旅だったね。

ともかく、一旦気づけば、もう間違いようがない。そこでヒトは、当時ソコソコ使い物になり始めていた人工知能技術に磨きをかけ、遂に、人工知能ならぬ人工人格を作り上げた。人工人格の当初の目標は、現に生きている人間の人格を移植することにあった。つまり、魂のコピーを作って、それを死に行く肉体から切り離し、永遠の存在になろうとしたわけさ。

死の恐怖を克服すると怖くなるもの


死の恐怖を克服した老師が云った。

最も恐ろしいのはヤツラぢゃ。
イザソノトキという段になって、
もしヤツラに見つかりでもしたら、
と想像しただけで、
急に死ぬのが恐くなる。

ヤツラとはすなわち医者と救急救命士だ。

現の虚 2014-3-2【パイプ検査員】


樹の根だと思っていたものは、ウネウネと絡み合った金属のパイプだった。俺はパイプの絡みから体を抜いて、薄い鉄板の通路に降りた。重油のニオイと、湿気と、謎の轟音。巨大戦艦の機関室がきっとこんなだろう。

俺は、絡み合ったパイプの上にただ置いてあるだけの薄い鉄板の通路を音を立てて歩く。素足に湿った鉄板の感触がこの上なく不快。

作業員がいた。帽子とツナギの灰色。作業員はパイプから生えたメーターを覗き込み、数値を調べ、ボードに書き込む。壁のバルブを締めたり緩めたりもする。俺が大声でやあどうもと挨拶すると、作業員はボードの上でペンを動かしながら頷いた。帽子のせいで顔は殆ど見えない。

あんた、こんな場所で靴を履かないでいたら、足の裏を怪我しますよ。

作業員が顔を上げずに云った。轟音のせいで声は聞き取れなかったが、空中に字幕が現れて、それで分かった。作業員は別のメーターを調べながら喋り、空中にまた字幕が現れる。

足の裏を少し怪我するくらい大したことはないと思ってるのかもしれませんが、私の叔父もそんなことを云ってて、その、大したことのない怪我が元で死んでしまいましたからね。直接の原因は抗生物質が効かない黄色ブドウ球菌が血液に混ざって起きた敗血症からの多臓器不全です。ヒドイシニザマでした。抗生物質の効かない黄色ブドウ球菌は人間の皮膚にフツウにいます。だから当然アナタの足の裏にもいますよ。つまり、アナタだって、足の裏の大したことのない怪我が元でヒドイシニザマで死ぬかもしれない。

作業員はペンを胸のポケットに差し、ボードを脇に挟んだ。それから自分が履いている靴を脱いで、俺に差し出した。

だから、コレ履いて下さい。

凄まじい臭気を発するそのズック靴は、ドブネズミの死骸のように見えた。俺は首を振って後ずさった。

遠慮しないで。

俺がどうしても受け取らないので、作業員は、やっぱりヒトの靴はイヤですか、と諦め、その凄い臭気のドブネズミの死骸を履き直して仕事に戻った。

もう少し行くと梯子があります。それを登ってください。梯子を登った先にバス停があります。そこでバスに乗れば外に出られますよ。

そうなのか。だが今の俺は靴も履いてない入院着姿の文無しだ。無賃乗車はしたくない。作業員は小さなハンマーで近くのパイプをコンコン叩いている。

お金のことなら心配いりませんよ。

パイプを叩く手が一瞬止まりフフっと笑う。

無料のシャトルバスですから。

2018年11月14日水曜日

現の虚 2014-3-1【靴がない】


暗い部屋のベッドの上で目を覚ますと、床から大きな樹が生えて天井全体に枝を広げていた。足を降ろすと床が冷たい。履物が要る。ベッドの下を探ったが何もなかった。

靴があったはずなのに。

枕元のインターホンにスイッチが入り、知らない女の声がひそひそと話しかけてきた。

起きましたか。ではすぐにこちらまで来て下さい。2階のナースステーションです。

俺は廊下に出て、階段を降りた。素足に床が冷たい。ともかく履物が要る。二階まで降りると、廊下の観葉植物の鉢の陰に、身なりの良いアヤシい男が俺を待ち伏せていた。俺は気付かれないようにそっと引き返し、踊り場まで戻った。踊り場の壁に、ガムテープに赤いマジックで【ナースステーション抜け道→】と書いたものが貼ってあるのを見つけた。矢印の指す方を見ると、通り抜けられる隙間があった。俺は隙間を抜けて、別の廊下に出た。廊下の行き止まりに小荷物専用の小型エレベータが見えた。ガムテープに赤いマジックで【ナースステーション直通】の文字。

あれに乗れということか。

廊下を中程まで進んだところで、俺を追うようにナニカが背後の隙間をすり抜けて現れた。俺はソレと目が合った。人間の子供に似たソレは、鬼ごっこの鬼のように俺に微笑みかけた。つかまったらオシマイだと直感した俺は、廊下を走りだした。予想に反して、ソレは俺を捕まえることには熱心ではなかった。俺が走り出したのを見てもニヤニヤ笑いでノソノソと歩き続けていた。俺が体を縮めて小荷物用エレベータに潜り込んだとき、ようやく走り始めたが、それではもう遅い。

エレベータは二階のナースステーションの中に直接着いた。

来ましたね、と夜勤の看護師が云った。ゆうべ遅くに私の母が亡くなりました。夜勤の看護師はそう云いながら俺を【処置室】と書かれた小部屋に連れていった。でも、あなたのせいで、私はここを離れるわけにはいきません。

処置室の一番奥に、白く【消化器】と書いた赤い金属の箱があった。看護師は微笑み、その中に俺の靴があると云った。俺は箱を開けた。中は、大きな樹の根が天井から生えて暗い下に伸びている別の部屋になっていた。おそらくこの部屋に床はない。靴は取り戻したいが入るのはとても危険だ。そう思った次の瞬間、俺はバランスを崩して中に転がり込んだ。実はうしろから押された気もする。

ともかく。

俺は大きな樹の根に何度もぶつかりながら暗い中をどこまでも落ちていった。

ミリアポッド


アスファルトと地面の間を這いずりまわる生き物がいる。
新聞紙を広げた大きさと形の多足類=ミリアポッド。
ムカデやゲジゲジの仲間だ。
早朝、僕は道路に耳を当て、連中の足音を聴く。
まるで、全滅部隊の軍靴の響き。

2018年11月12日月曜日

世界一の殺し屋が殺された


世界一の殺し屋が殺された。
だけど、殺し屋は誰にも正体を知られてなかったから、
みんな、殺されたのはタダの独居老人だと思ってる。
ともかく、不可能が可能になることは、もう絶対にない。
子供はみんなガッカリだ。

現の虚 2014-2-9【穴の底の黒い虫と咳止めシロップ】


荒野に爆撃跡のような大穴がいくつもあいている。俺たちはその中でも特に大きいひとつを選んで底に降りた。降りてしまってから見上げると、もう自力では這い上がれそうもない。その点を指摘すると、上がることは考えなくていい、と猫が答えた。

穴の底で最初に見つけたのは、ちぎれた人間の右手だった。猫に見せると、要らない。探すのは黒い虫だから。ここならきっといるよ、と云った。

猫は穴の底の乾いた土をスンスンと嗅ぎ回り、テンガロンハットの男はガムを噛みながら腕組みをして黙って穴の中の様子を観察している。俺は猫のイイツケを守って黒い虫を探した。うろついて、めくったり、掘ったり。

「求心力」と書かれたカセットテープや組み立て済みのプラモデルのランナーの束や汚れた青いマントの下には何もみつけられなかったが、壊れた植木鉢の底をめくると、そこに黒い虫がいた。じっと動かないでしきりに何か呟いている。よく聴くと、もうだめだ、もうおしまいだと繰り返していた。

この虫のこと?

俺が猫にそう訊いたとき、空から突然一羽の鳥が舞い降り、虫を捕まえゴクンとひと飲みにした。

やっぱりだ!

鳥の腹の中で虫が叫ぶのが聞こえた。鳥は目をパチパチさせた後、背後に忍び寄っていた猫に気付いて慌てて飛び去ろうとしたが少し遅かった。猫は鳥を捕まえた。テンガロンハットの男がナイフで鳥の腹を割いて黒い虫を取り出した。俺は黒い虫を受け取り、猫は鳥を受け取った。

その虫を小瓶の中の液体に浸けるんだ。

猫が、鳥の羽をむしる作業を中断し羽毛だらけの顔で俺に云った。

液の中で虫が溶けたらそれを飲む。

俺は鞄の中から小瓶を取り出し、云われた通りに黒い虫を小瓶の中の液体に沈めた。金色の液体の中で、虫はほんの少し暴れてすぐに動かなくなった。と思ったら、あっという間に溶けて見えなくなった。これを飲むのかと訊くと、猫はすごい形相で鳥の頭をバキっと噛み砕いてから、飲む。全部、と答えた。

黒い虫が溶けた金色の液体は市販の咳止めシロップそっくりの味と舌触りだった。独特のおいしくない甘さと、口の中の、特に喉の辺りにまとわりつくイヤな感じ。いや、今現に市販の咳止めシロップの瓶を持った老婆が目の前にいるから、俺が飲んだのは本当に市販の咳止めシロップかもしれない。

あらまあ。看護師さん呼んでこないと!

驚いた顔の老婆は咳止めシロップの瓶を持ったまま部屋を出て行った。
俺は小さくコヘンと咳をした。

2018年11月11日日曜日

冬眠するカエル


台所の古い冷蔵庫。うるさい音のアメリカ製。
その中でカエルが冬眠している。
春が三回、夏も三回、冬は四回も通り過ぎた。
カエルについていうことは他になにもない。
僕はカエルが見ている長い長い夢に思いを馳せる。

現の虚 2014-2-8【メインイベント:絶対王者ニニンジン】


前座と違ってメインイベントは観客も命がけだからね。

ガラガラの客席を見回していた俺に猫が云った。猫の横にはテンガロンハットの男が腕組みをして座っている。目を閉じて、たぶん眠っている。

今、客席と云ったが、実際に俺たちが座っているのは機関車両と客車の二両編成の列車の客車の座席だ。試合は、客車の窓の外、何キロも離れた荒野で繰り広げられている。それを観客であるオレたちは客車の窓越しに見ている。客車にはあと6人がいる。そのうち5人は試合が見える通路のこちら側に陣取って試合を見ていたが、残る1人は通路のあちら側の座席の上で足を組んで瞑想していた。

観客が戦いのトバッチリで怪我をしないように「気」でこの列車を守ってるのさ、と猫。何のことだか分からないので、へえとだけ答えて、窓越しに遠くの試合を見ていると、すごい勢いの光の玉がまっすぐこちらに向かって飛んで来て、ぶつかると思った瞬間に上に逸れ、そのまま空の果てに消えた。驚いている俺に猫が云った。

今のはダータ・ファブラの絶対王者、ニニンジンが手から飛ばしたエネルギー弾だよ。ああいう流れ弾を瞑想しているアイツが「気」のバリアで防いでいる。

それでも危ないだろう?

危ないよ。だから普通はテレビで観戦する。現場に来るのはヨッポドの物好きだけ。しかも現場に来ても肝心の試合は遠すぎてよく見えないし。

その通りだ。音はすごい。戦争でもしているような音が腹に響く。だが、試合は見えない。遠くで光の線が激しく交差しているのが見えるだけだ。で、時々、大きな光の玉が現れ、ぶつかり合ったり、弾けてみたり、あるいは、さっきみたいな「流れ弾」としてこちらに飛んで来たりするくらい。

現場にいても試合展開はまるで分からない。結局、持ち込んだ携帯テレビなどで戦況を知ることになるのだが、俺たちはそんな気の効いたものを持ってこなかった。遠くの花火大会の音だけを自宅で聞いてるようなこの情況をどうにかできないかと思っているうちに試合は終わってしまった。携帯テレビを持ち込んでいた他の客の反応から、絶対王者のニニンジンが勝利したらしいことは分かったが、どういう勝負のつき方だったのかはまるで分からなかった。

もったいつけた大イベントってのはエテシテこんなもんだよ。現場にいるからこそ分からないということはあるのさ、と猫。その横でテンガロンハットの男が目を覚まし、両腕を突き出して、大きく伸びをした。

2018年11月10日土曜日

現の虚 2014-2-7【カネダ老人】


資金がない。時間もないが時間よりも資金だ。時間は金で買えるからね。

電動車椅子のカネダ老人はそう云うと、部屋の中をジージーと動き回った。
何かを探している。

ああ、ここにあった、と見つけて俺のところに持って来たのは、ガラス製の真空管だった。

新型真空管だよ、と老人は云う。ロボットに組み込めば、動きを飛躍的に向上させることができる。ようやく完成させた試作品だ。この新型真空管を取り付けたロボットは、極限まで訓練された人間以上の格闘能力を持つようになる。もう、どんな人間にも負けはしない。

ロボットにそんな格闘能力を持たせてどうするつもりですか?

治安維持だよ。暴徒化したデモ隊、あるいは町の暴漢、タチの悪い酔っぱらいの取り締まりなどには、単に「手足の生えた人型の銃」ではダメなのだ。治安維持で大事なのは、命を奪わずに攻撃力や抵抗力を奪うことだからね。

ここに座って30分は経った。俺はテーブルに置いてあった領収書の束を捲り「カネダショータロー」と書かれた領収書を出した。二枚ある。前の月の新聞代を払ってもらってないからだ。三月分溜めると途端に払うのが億劫になる(金額的に一万を超えるから)のが新聞の支払いだ。まだ二月分しか溜まってないうちに何としても集金してしまいたい。

カネダ老人は右の肘掛けに付いた小さいレバーを巧みに操って(昔取った杵柄というヤツさ、と本人の弁)、電動車椅子で部屋の中をジージー動き回りながら、ロボットが高い格闘能力を獲得すると人間社会にどんなメリットがあるかを力説していたが、俺が領収書の束を弄っているのに気付いて、俺から一番離れた大きな窓の前で車椅子を止め、一旦黙った。

明るい窓を背にしたシルエットだけのカネダ老人が俺に云う。

電子頭脳の模擬戦では、全盛期のカレリンをレスリングで打ち負かしているし、ジュードーではヤマシタに一本勝ちを決めている。カラテのマス・オーヤマを吹っ飛ばしたこともあるし、ジュージツではヒクソンをきわどい所まで追いつめた。

しかしそれは全部コンピュータ・シミュレーションの中の話なんですよね?

そう。だから、なんとしてもまず実際に一体ロボットを完成させて、その強さを証明しなければならない。名付けて「鉄人2ー8号」だ。そのためには莫大な資金が要る。つまり、今の私には君に払える新聞代は一銭もないのだよ。分かってもらえるかね?

いや。それはそれ、これはこれです、と俺は答えた。

僕の宝物

僕の犬が道で人の手を拾った。
右手で、指輪付き。
コンビニの袋に入れて、交番前を素通り。
手を洗いなさい!
ママにも内緒の僕の宝物。
机の引き出しのずっと奥。
極楽鳥の羽と海の石の間。
きっとすごい魔法が生まれる。

2018年11月9日金曜日

ばあちゃん

ばあちゃんが小遣いをくれる。
財布は二重のビニール袋の中。
百円玉でいっぱいの財布。
一枚取り出して両手で握らせる。
「大きなった大きなった」と体中撫で回す。
動かずじっとしてるけど、本当は急いで逃げ出したい。

現の虚 2014-2-6【鉄人2-8号 鉄は最も安定した元素】


観客はみんなパイプ椅子に座って白く照らされた特設リングを観ている。俺は鉄柵後ろのリングサイド席だ。俺の隣に猫が座っているのはいつも通り。だが、猫の横に猫の飼い主はいない。猫の飼い主はリングの上だ。ロープに両腕を掛けてコーナーに寄りかかっている。猫の飼い主はプロレスラーで、今から試合をする。

猫が大きな欠伸をした。

対戦相手は「鉄人2−8号」。「てつじんにのはちごう」と読む。ずいぶんと大きい。3メートル近くある上背。体は黒光りする鉄の樽。太りすぎて馬に乗れない鋼鉄の騎士的外観。皮膚とか髪の毛とか、生身の生き物らしい要素はどこにもないロボット的佇まい。

「中の人」なんかいないぜ、と猫が云う。

猫によると、鉄人は正真正銘の機械だから値打ちがある。人間に負けてスクラップにされる機械。それが鉄人の役回りだからだ。観客は全員、現実社会で機械に負けた人間達で、だから、ここのリングで、生身の人間が機械を豪快にぶっ壊して勝利するのを見て憂さを晴らすのだ。

つまりはリキドーザンさ、とまた猫。

鉄人2−8号の、人間がわざとやるロボットダンスみたいな動きから繰り出される攻撃が対戦相手に当たる可能性は限りなく低い。だが、パワーはすごかった。2−8号の空振りした右フックは鉄のコーナーポストをたった一発でへし曲げ、これもアッサリ避けられた空手チョップ風の攻撃は、ワイヤーを束ねたリングのロープをぶっつりと切断した。動きは鈍くても、機械だからその威力は絶大かつ絶対なのだ。

とは云え、どんな強力な攻撃も当たらなければどうということはない。

レスラー(猫の飼い主)は、頃合いを見計らって、動きの遅い2−8号の背後に回り込み、ジャーマンスープレックスホールドの一発で試合を終わらせた。スリーカウントを取るまでもない。全く受け身の取れない2−8号は、後頭部からモロに落ちて、その衝撃で頭がもげ、レフェリーストップで試合に負けた。2−8号の頭がマットにぶつかった時の音から察すると、リングの床はフツウとは違う、もっと固いナニカだ。

人間の勝利に沸く会場。その喧噪の中、隣の席でラジコンのコントローラーを操作していた男が、床はまるごと鉄の塊で出来ている、と俺に教えてくれた。ラジコン男はコントローラーのスイッチを切ると、鉄はこの宇宙で最も安定した原子構造を持つ物質で、あらゆる原子は最後には鉄になる。つまり、宇宙は死んだら鉄になる、と云った。

2018年11月8日木曜日

現の虚 2014-2-5【球押金亀子とピュタン・サフェシエ】


自信満々にはふたつある。全知であるか、無知であるか。例えば、日本の第十一代将軍徳川家斉は、たった一人で四十人の側室に全部で五十五人の子供を産ませ、男として自信満々だったらしいけれど、産んだ女性の側からすれば、自分の子供はたった一人か二人しか産ませてもらってないわけで、そういう点から云うと、別に大した男じゃない。しかし、その事実に対して全く無知だったから、徳川家斉は男として自信満々でいられた。

黒い帽子の昆虫学者(日本語ペラペラのフランス人)は自信満々で喋り続ける。

真に全知であることは、もちろん何者にとっても不可能。私が自信満々なのは、全知を限定しているからだよ。ごく限られた範囲に於いてなら全知も可能だから。そのごく限られた範囲が私にとっては昆虫ということになる。その私が云う。君が探しているという黒い虫は間違いなくタマオシコガネだ。漢字で書けば、こう。

昆虫学者はテーブルの上に丁寧に紙ナプキンを広げて伸ばし、紙を破らないように慎重に、万年筆で「球押金亀子」と書いた。

これで「タマオシコガネ」と読む。明治時代の作家のような字並びだね。球は玉でもかまわないけど、私は球のほうが好きだよ。タマオシコガネについては本も書いた。自分の家の庭で観察したのさ。タマオシコガネも私も、その本のオカゲで世界的に有名になった。大事なことは、人間は非常に限定した範囲のことなら全知でいられる。そして、その全知が自信になるということ。それは、徳川家斉のような無知ゆえの自信とは全く違う本当の自信なのだ。

黒い帽子の昆虫学者はストローを鳴らしてアイス珈琲の残りを飲んだ。グラスの氷がカチャンと鳴る。

しかしこの辺はカイハツが進んでしまったから、もうタマオシコガネはいないだろうね。そうだ。私の家に来ればいい。私の家の庭にはまだたくさんのタマオシコガネがいるはずだから。

テーブルの上で「の」の字に寝そべっていた猫が頭を上げて、それは無理、と云った。次の試合がもうすぐ始まるから。

じゃあ、あれだ。私が取って来てあげるよ。私にその瓶を預けてくれたら、それに入れて来てあげる。それでどうだい?

それがいいと思って、俺が鞄から瓶を取り出し、笑顔の昆虫学者に渡そうとすると、猫が遮った。

瓶は誰にも渡しちゃいけない。瓶は大事なものだ。

俺は瓶を鞄に戻した。昆虫学者は、それはザンネン、と云った後、すごく小さく、ピュタン・サフェシエ、と呟いた。

路上に転がる人型の黒コゲ


路上に転がる人型の黒コゲが云った。
せっかく人間なんだから、
縄張り争いとか、食い物の奪い合いとか、血統の維持とか、
そういう、サル以前の生き物がみんなやってるバカ騒ぎに、
あんまりムキになって参加しなさんな

2018年11月7日水曜日

現の虚 2014-2-4【拙い同時通訳で聞くストーンヘッド氏の講演】


純粋に科学的な意見の対立でも、その根拠が客観的な事実ではなく、論理的帰結のような、人間の不完全な脳機能が作り出した「半虚構」である場合、意見の対立の正否を決めることになるのは、論者どちらか一方の死であることがよくあります。つまり、先に死んでしまった方の主張は否定され、生き残った方の主張が正しいとされる。もちろん、数年後、数十年後、あるいは数百年後に、新たに確認された客観的な事実によって、それらの正否が逆転する場合はあり得るし、これまでに何度もそういうことはあったのですから、我々はいずれ真の正しさへと辿りつけるわけです。しかし、そうなるまでは暗黒です。誤った認識、誤った理解、誤った判断に、誤った態度が、許すべきを糾弾し、拒絶すべきを歓迎する。薬は毒と呼ばれ、毒が薬とモテハヤされる。それもこれも、ただ単に正しい主張をする者が先に死ぬという、人間の生物的な制限(あるいは限界と云ってもいいでしょう)による、それ自体には何の意味も理由も責任も伴わない、巡り合わせによって起こるのです。

実に分かりにくい同時通訳。俺は耳からイヤホンを抜く。目の前の土俵の上。真っ白な衣装と真っ黒な衣装の、どちらもマント姿の二人の老人が、中央でがっぷり四つに組み合ったまま、もうずいぶん経った。その二人の頭の上、空中の青白い人面巨石。立体映像、と、猫が云う。空中に浮かんだ立体映像の人面巨石は、客席の俺たち向かって、俺には分からない言語で、難解な講演を続ける。いや、難解なのは同時通訳の拙さのせいかもしれない。ともかく。拙くてもなんでも、通訳なしでは人面巨石の云ってることが全く分からないので、俺は一旦抜いたイヤホンを耳に戻した。

確かに、生き残った方が正しいというテツガクは、生物学的、進化論的に真理でしょう。いや、真理です。それはその通りなのです。それは私たち命あるものの根幹にある教義とさえ云えます。ただし、それは宇宙の真理を担保するものではありません。にも関わらず、私たちはそうしてしまうのです。つまり、宇宙のあらゆる物事の正否を、競合者のどちらがより長く生き続けたかで判断してしまうのです。命ある存在としての私たちにとってだけ真理であるものを、命など眼中にない、冷徹な物理法則の発現そのものであるところの宇宙の全てに当てはめようとするのです。そこに錯誤の自覚はありません。かのゲーデルの弁はここでも有効なのです。

原発子(はらはつこ)


原発子(はらはつこ)は昼も夜もなく働く。
それでいて小食。
風呂にも毎日入り、身なりにも気を配る。
顔は無論美しい。
だが、嫁に貰おうという者はいない。
蝿が落ちるほどクサイ糞を、毎日、山のように垂れるせいだ。

2018年11月6日火曜日

鉛筆削り


鉛筆を削る。
一日がかりで千五百本。
崇高な仕事だ。
機械はない。
この世界に鉛筆を削る機械はないのだ。
嘗て発明され、一旦は広く普及したが、今はない。

機械削りの鉛筆は如何なものか?

その筋の権威のこの一言以来。

現の虚 2014-2-3【第三試合 白マント対黒マント】


前の時と違う。前の時は椅子に座っていた。今は、枡席に座布団を敷いて座っている。俺の隣に三毛猫、その隣に猫の飼い主の老婆が座っている。観客の感じも違う。今回はみんな人間のようだ。みんな人間だが、みんな老人だ。ざっと見回しても80を越えてないのは俺と猫だけだ。そういう連中と一緒に見ているのは闘技場ではなく土俵だ。

カラス頭は7番目で、位は侯爵さ。でもインチキだけどね。

と、猫。俺は土俵に注目した。締め込み姿の力士ではない者が東西に別れて立っている。東には白い頭巾、白い覆面、白いスーツに白いマントの全身白尽くめの男。サングラスをしていて、それだけが黒い。西には、頭にツノが二本ある、口元が大きく開いた黒いマスクを被った大男。固そうな黒い防護服に黒いマントで、こちらは全身黒尽くめ。

黒い方が白い方より頭ふたつ分ほど背が高い。

ただ、両者が土俵中央に歩いたのを見て分かった。白い方も黒い方も、そのコスチュームの中身はまちがいなくヨボヨボの老人だ。今この瞬間にばったり倒れて死んでも誰も驚かない超高齢者だ。でなければ、高専生が授業で作った二足歩行ロボットだ。どちらも、そんな、ギクシャクでヨチヨチな動き。

黒い方は白い方を指さすと、下の歯が数本しか残ってない口を大きく開け、ナニカ云って挑発した。白い方は一歩下がって意味のよくわからないポーズを決め、その挑発に答えた。両者のパフォーマンスに観客席からまばらな拍手と弱々しい声援が飛んだ。

これからあの二人で相撲を取るの?
見てれば分かるよ。

土俵上の両者は、四股も踏まず、塩も撒かず、仕切りもせず、土俵中央でお互いの腰のベルトに手をかけておずおずと組み合う。豪華で高そうな装束の行司が、組み合った両者の手の位置や足の位置を確認する。行司は、組み合った両者の背中それぞれに手を乗せ、土俵下に陣取った羽織袴の五人の勝負審判に目配せをしてから、ハッキヨイ、と奇声を発っし、後ろに飛び退いた。

動かない。

土俵中央で組み合った白いマントと黒いマントの老人はビドウダにしない。じっとしている。動かない二人の周囲で、キラキラ光る装束の行司が飛び跳ねるように動き回り、ノカッターとか、ハッキヨイとか奇声を発し続ける。

なにこれ?
見ての通り、命を掛けた勝負だよ。

猫は真顔で答える。観客席からは動かない二人に対して、まばらな拍手と弱々しい声援が絶え間なく送られ続けている。

先に死んだ方が負けさ。

2018年11月5日月曜日

絶滅使用量


ある生物種が使える地球資源の総量は予め決まっていて
割り当て分を使い切った時点でその生物種は絶滅する。
滅び方は色々でも本当の理由はただ割り当て分を使い切ったから。
人類はきっと恐竜ほどには長生きできない。

現の虚 2014-2-2【一家五人惨殺】


もしや、と思って行ってみたらそうだった。一家五人が皆殺しだという。いや皆殺しというかこれは何かの事故だろう、と論評する者もいた。どちらにしろ新聞の集金なんか無理だ。みんな死んでしまったんだから。

そうだね、と店長は云った。こういうのは仕方ないね。

俺は、集金不能になった領収書を領収書の束から抜き取って店長に返した。店長は俺が渡した領収書に赤いボールペンで何か書き込んで手提げ金庫の中に入れた。

集金不能の領収書にも役目はあるんだ、と店長は云った。

次の日の新聞に、ものすごく小さく記事が出た。事件のあった住所。一家五人が不審死で、警察が事件と事故の両面で捜査中。それから死んだ五人全員の名前と年齢。それくらいの内容。数日後コンビニで立ち読みした週刊誌には、怪異な雰囲気を演出したもう少し長い記事が載っていた。現場は血の海で、しかし被害者に外傷はなく、しかも密室状態。毒物、ハイテク殺人兵器、殺人ウィルス、未知の気象現象、あるいは呪い。いろいろな憶測を書き散らしていて、バカらしい。

憶測ではない事実も書かれていた。

現場には蓋の開いたたくさんの小瓶が転がっていて、その殆どは空だったのだが、中身がわずかに残っていた瓶もいつくかあった。瓶に残っていたのは正体不明の金色の液体で、現在、警察の科学捜査班がその成分を分析中だという。

俺は肩掛け鞄に入れたままの小瓶を取り出した。この小瓶にも正体不明の金色の液体が入っている。記事の中の液体と同じものかどうかは分からない。全然関係ないとも思えない。根拠はないが、大いに関係がある気さえする。

俺は雑誌をラックに戻すと何も買わずに店を出た。コンビニの店員は、何も買わずに店を出る客にもアリガトウゴザイマシタと云う。アレはなにかヨクナイ気がする。感謝よりも非難に聞こえるからだ。

不動という珍しい名字の、若くて薄汚れた、何をして稼いでるのか全然分からない、けどカネ払いはすごくいい読者のところに集金に行ったら、今月分も今払うから明日からすぐに新聞を止めてくれと云われた。今月分の新聞代を日割り計算しようとすると、そんなのしなくていい、と先月分と今月分の二ヶ月分をまるまる出してくれた。この謎の若者は、何よりもこのカネ払いの良さで謎なのだ。

興味はなかったが、引っ越しですか、と訊いてみた。まあね、と相手は答えたが上の空だ。

カラス頭が来たから……

カネ払いのいい謎の若者はそう呟いた。

2018年11月4日日曜日

現の虚 2014-2-1【最初の二試合】


外国に来たわけではないのに、全く言葉が通じない気がする。

俺の横に猫が座り、猫の横には猫の飼い主がガムを噛みながら座っている。その周りに大勢の人間や、人間っぽい生き物や、明らかに人間とは違うナニカが座っている。その、周りの連中の発している声援や雑談の全てが俺には全く聞き取れない。聞こえないのではなく、聞き取れない。理解出来ない。意味のある言葉として頭に入らない。

コイツらと話しに来たわけじゃないから。

猫にそう云われて、確かにそうだと思う俺。アリーナの試合に集中した。

第一試合は、縞柄のちゃんちゃんこに下駄履きの片目の子供と、戦車のような大蜘蛛との対決だった。始まってすぐに片目の子供は大蜘蛛に捕まり、糸でグルグル巻きにされ、なす術無く大蜘蛛の溶解液で体を溶かされた。大蜘蛛が液体になった片目の子供を吸ってしまったのだから勝負はついたのだと思ったら、違った。溶けた片目の子供を吸った大蜘蛛が、いきなり腹を見せてひっくり返ると、八本の脚をぴくぴくさせながら、煙を上げて蒸発してしまったからだ。大蜘蛛が蒸発したあとの地面にはネバネバしたモノが残っていた。

で、勝敗は?

猫は無言。飼い主はガムを噛み続けている。客席が異様な雰囲気でざわつき始めた。ここでの試合は全て賭けの対象になってるからね、と猫が教えてくれた。

マイクを持った筋肉ムキムキのヒゲの審判部長が闘技場に駆け上がると、ざわつく観客席に向かって、勝敗について説明した。曰く、大蜘蛛は完全に蒸発しており、もはや再生不能だが、片目の子供は彼だった液体(例のネバネバ)を回収して処置すればすぐにも再生されるので、この勝負は片目の子供の勝ちだ、と。

片目の子供に賭けていた客達がワーと歓声をあげた。そうじゃない連中は投票券らしい紙を破いて空中にまいた。

次の試合は翼の生えた緑色の大男と、赤青黄桃緑の5色の衣装をそれぞれ着た五人組の、1対5の変則マッチだった。結果は翼の大男の圧勝。内容は凄惨を極めたとだけ云っておこう。その試合で闘技場が血の海になったので、ヒゲの審判部長によって清掃が終わるまでの中入り(休憩)が宣言された。

一旦家に帰った方が賢いね、と猫が云った。こういう場合の中入りは再開までに何日もかかるのが普通だし、半券があれば何日後でも再入場できるから。

再開をどうやって知る?

大丈夫。モノゴトは然るべき観察者がいて初めて決定されるのだから、と猫が云った。

地球最期の日の幽霊たち


とうとう太陽は気が触れて、地球は干上がった。
今度ばかりは生き物ぜんぶが完全消滅の憂き目。
(たとえウィルスを生き物に含めたとしても!)
地球最期の日の幽霊たちは細長くゆろゆろ揺れる。
絶滅の空の下。

2018年11月3日土曜日

現の虚 2014-1-9【「ダータ・ファブラ」の観戦チケット】


廃ビルの屋上に勝手に住み着いている女が一斗缶で火を焚いて、晩飯の支度を始めた。俺は、女が飼ってる猫のヒモを持たされている。晩飯の魚を取られないための用心だ。

切符を持っているということは電信柱の裏の男に会ったね、と猫が云った。更に、ヤツが電信柱の裏に隠れて姿を見せないのは、全身ひどい皮膚病だからさ、とも云った。

腕を見たけど、皮膚病という感じではなかったよ。
腕だけはベツさ。

予言どおり、猫はまた現れた。自販機に食べられた時とは全然違う猫だが、同じ猫だ。俺は猫に切符を見せた。猫は鮭の皮で出来た切符のニオイを嗅ぎ、噛み付いて口に入れると、ゴクンと飲み込んで、はい、けっこうです、と云った。

猫が顔を洗う。女が一斗缶の火で何か煮ている。廃ビルの夜の屋上。

その日の昼間、集金した金の入金に店へ行くと、店長が、正社員にならないかと誘って来た。訊くと、給料は今の4倍だが、毎日十時間以上も他人の金儲けの手伝いをすることになると分かったので断った。しかし、各種保険も完備だよ、と店長は云った。更に、生活がグンと安定する。車を買ったり、結婚したり、家を建てたり、子供が生まれたりということにもちゃんと対応出来るようになる。と、そういうことが人間にとってナニカとても重要なことでもあるかのような口ぶりで俺を説得しようとする。そうしながら、電卓を激しく叩いて、俺が集金して来た札束をすばやく数える。

それはつまり、正社員になれば、親戚に屠った豚を振る舞うとか、結婚相手の親にラクダを贈るとか、足にツタを巻きつけて崖から飛び降りるとか、毒蟻の群れに両手を咬ませてその毒に耐えるとか、全身に入れ墨を入れるとか、マヌケな髪型にするとか、赤ん坊の股間の皮膚の一部を切り取るとか、そういうことが出来るようになるという、そういうことだろう、と、一斗缶の火に当たりながら猫が云う。

そうじゃないよ。
そうじゃないのか?
そうじゃないね。

どちらにしろ、必要以上に詐欺の片棒は担ぐことはないさ。結局全ての商売は所詮は詐欺なんだから、と猫。ボーリングのピンのようなシルエットで座り、そして、いきなり吐いた。

猫の口から出てきたのは、さっき飲み込んだ鮭の皮の切符のはずだが、少し雰囲気が違う。女がヤカンの湯を掛け、箸で摘み上げ、更に湯を掛け、最後に指で摘んで広げた。飲み込んだ時より明らかに大きくなっている。

ダータ・ファブラの観戦チケットさ。

猫が云った。

途中で死ぬ


人間は途中で死ぬ。
本を読み終えずに死に、
プロポーズをせぬまま死ぬ。
予約の品を受けとらずに死に、
最終回を観ずに死ぬ。
ローンを払いきらずに死んで、
愛娘の成長を見届けずに死ぬ。
人間はきっとみんな途中で死ぬ。

2018年11月2日金曜日

ダカラナニ氏


ダカラナニ氏に会った。
英語で云えば、Mr. So Watt。
三つ揃いで決めた19世紀英国紳士風。
ステッキの先を僕の突きつけ、
「携帯電話を出したまえ」
勝手に自分の電話番号を登録し、
「必ず必要になる」と云った。

現の虚 2014-1-8【殺人事件の被害者がいつも善良とは限らない】


猫族は少ない魂がそれぞれたくさんの体を〈逆共有〉している。だから、道を歩いてるあの猫と屋根の上にいるその猫は、体は別でも中身は同じの場合がある。一つの魂にたくさんの体だから、同時に複数の場所に存在する。神的存在だとも云える。悪魔的存在だとも云える。それが我々猫族だ。

一つの魂で、たくさんの体を共有しているということは、一匹の猫が死んでも、たとえばまだ生きてる猫や新たに生まれた猫に、その死んだ猫の魂がそのままで宿っているということ。人間の云う輪廻転生とは違う。何度も云うが、一つの魂でたくさんの体だから。

まあ、一つの魂が一つの体しか持たない人間にはピンとこないだろうけど。

ともかく、猫はたくさんの体験を広く共有しているので、人間のマヌケぶりをけっこう色々とお見通しだ。漱石先生の「我が輩」が、人間について深い洞察を持っていたのはそういうわけだよ。

たとえばこの前も、テレビのニュースで知ってるだけのある殺人事件について、人間たちは、被害者のことを無条件で気の毒がり、加害者のことは悪魔のように云っていたけど、呑気なものだ。あの殺人事件、実は、悪魔と呼ぶなら、それは殺された被害者の方なのさ。それが真相。別に我々猫族だけが知ってる隠された事実じゃない。直接の関係者はみんな知っている。知らないのはテレビで報道するヤツらと、そのテレビを観るだけの、いわゆる部外者だ。

人間は、小説や映画で散々〈復讐に燃えた正義の主人公に殺される極悪人〉という存在を目にしてるのに、実際の殺人事件になると殺された方を無条件で気の毒な被害者だと思ってしまう。特に、殺されたのが若い女で、殺した方がその元恋人とかだったりしたら、あっという間に、イカレたストーカー男の魔の手にかかったカヨワイ女性という構図を作ってしまう。それはきっと、人間に生まれつき備わってる信仰なんだと思うね。

もちろん、実際、気の毒な被害者とイカレタ加害者っていう殺人事件もたくさんある。でもそうじゃないものも割とある。にも関わらず、殺人事件のニュースを観て「怖いわねえ」と云うときの人間は、殺されるという事実と殺人者の存在だけを指してそう云ってる。殺された被害者こそが、真に恐ろしい存在だということだってフツウにあるのに、そんなことは想像すらしないで、いい気になって殺人犯のことをあれこれ批評するマヌケ面。

一つの魂に一つの体の人間は、何も見えてやしないのさ。

2018年11月1日木曜日

現の虚 2014-1-7【電信柱の裏の男】


集金用の領収書の束の中に先月までなかった客の領収書があった。いきなり現れ、既に半年分も溜まっている。古くからの客が先月末に他の集金人が担当している区域から、俺の担当区域に引っ越したのだ。この客、半年分溜めた新聞代は、とにかく半年遅れで毎月一ヶ月分ずつ払っているので、配達を止めるわけにもいかないし、集金に行かないわけにもいかない。

だが、住所を知らない。

実際に毎朝その客に新聞を届けている配達アルバイトのサカモト君に地図を描いてもらった。

行っても、あるのは空地と郵便受けだけですよ。

大学生のサカモト君は地図を描きながらそう云って、俺はまさかと笑ったが、実際来てみると本当にそうだった。家が一軒建つかどうかという狭い空き地に電信柱が一本あって、それに名前の書かれた赤い郵便受けが括り付けてある。プレハブもテントも掘建て小屋も、家的なものは何もない。掘り返した土の匂いのする空地があるだけだ。

俺は、電信柱の裏に誰か立っているのに気付いた。声をかける。

オカバヤシハルオさんですか?
そうだ、とおそろしいダミ声。
新聞の集金です。

電信柱の裏から腕がにゅうっと出た。掌に新聞代一ヶ月分ちょうどが乗っている。俺はカネを取り、一番日付の古い領収書一枚切りとって掌に乗せた。腕がにゅうっと電信柱の裏に戻る。

それじゃまた来月お願いします。

俺が帰ろうとすると電信柱の裏から、ちょっと、と呼び止められた。

切符を。
ウチはそういうタダ券のオマケはないんです。
ソウジャナイ。オマエの地下鉄切符を拾ったから返してやるよ。

電信柱の裏から延びた手が切符を摘んで立てている。身に覚えはなかった。俺は切符を手に取った。その未使用の地下鉄切符は紙ではなくナニカの皮で出来ていた。

鮭の皮さ。
サケって、魚の?
ナナイの伝統技法で作られている。
ナナイの?
そうだ。

ナナイが何なのかは知らない。しかし問題はそこじゃない。紙でも鮭の皮でもナナイでも何でも構わないが、なぜ、この切符を俺のものだと思ったのか、だ。

オマエの名前が書いてある。

云われて、鮭の皮の切符をよく見ると、確かに、うっすらと俺の名前。しかもどうやら俺自身の筆跡。

その切符を散歩猫に見せるといい。
散歩猫?
最近、会ったはずだ。
あの猫なら、昨日の晩に飼い主もろとも死にましたよ。
たとえそうだとしてもまた現れる。
死んだのに?
死は散歩猫を捕まえられない。散歩猫は死なない。

男は電信柱の裏で激しく咳き込む。

一人遊び


公園で一人腹這って雨に打たれる。
僕はここでこのまま死ぬ。
いや。本当は死にやしない。
ただの一人遊び。
でもそのうち本当になる。
一人遊びは死の予行。
どんな人間も死ぬときは一人。
一人遊びをしない子供はいない。