2018年11月9日金曜日

現の虚 2014-2-6【鉄人2-8号 鉄は最も安定した元素】


観客はみんなパイプ椅子に座って白く照らされた特設リングを観ている。俺は鉄柵後ろのリングサイド席だ。俺の隣に猫が座っているのはいつも通り。だが、猫の横に猫の飼い主はいない。猫の飼い主はリングの上だ。ロープに両腕を掛けてコーナーに寄りかかっている。猫の飼い主はプロレスラーで、今から試合をする。

猫が大きな欠伸をした。

対戦相手は「鉄人2−8号」。「てつじんにのはちごう」と読む。ずいぶんと大きい。3メートル近くある上背。体は黒光りする鉄の樽。太りすぎて馬に乗れない鋼鉄の騎士的外観。皮膚とか髪の毛とか、生身の生き物らしい要素はどこにもないロボット的佇まい。

「中の人」なんかいないぜ、と猫が云う。

猫によると、鉄人は正真正銘の機械だから値打ちがある。人間に負けてスクラップにされる機械。それが鉄人の役回りだからだ。観客は全員、現実社会で機械に負けた人間達で、だから、ここのリングで、生身の人間が機械を豪快にぶっ壊して勝利するのを見て憂さを晴らすのだ。

つまりはリキドーザンさ、とまた猫。

鉄人2−8号の、人間がわざとやるロボットダンスみたいな動きから繰り出される攻撃が対戦相手に当たる可能性は限りなく低い。だが、パワーはすごかった。2−8号の空振りした右フックは鉄のコーナーポストをたった一発でへし曲げ、これもアッサリ避けられた空手チョップ風の攻撃は、ワイヤーを束ねたリングのロープをぶっつりと切断した。動きは鈍くても、機械だからその威力は絶大かつ絶対なのだ。

とは云え、どんな強力な攻撃も当たらなければどうということはない。

レスラー(猫の飼い主)は、頃合いを見計らって、動きの遅い2−8号の背後に回り込み、ジャーマンスープレックスホールドの一発で試合を終わらせた。スリーカウントを取るまでもない。全く受け身の取れない2−8号は、後頭部からモロに落ちて、その衝撃で頭がもげ、レフェリーストップで試合に負けた。2−8号の頭がマットにぶつかった時の音から察すると、リングの床はフツウとは違う、もっと固いナニカだ。

人間の勝利に沸く会場。その喧噪の中、隣の席でラジコンのコントローラーを操作していた男が、床はまるごと鉄の塊で出来ている、と俺に教えてくれた。ラジコン男はコントローラーのスイッチを切ると、鉄はこの宇宙で最も安定した原子構造を持つ物質で、あらゆる原子は最後には鉄になる。つまり、宇宙は死んだら鉄になる、と云った。