「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2018年11月10日土曜日
現の虚 2014-2-7【カネダ老人】
資金がない。時間もないが時間よりも資金だ。時間は金で買えるからね。
電動車椅子のカネダ老人はそう云うと、部屋の中をジージーと動き回った。
何かを探している。
ああ、ここにあった、と見つけて俺のところに持って来たのは、ガラス製の真空管だった。
新型真空管だよ、と老人は云う。ロボットに組み込めば、動きを飛躍的に向上させることができる。ようやく完成させた試作品だ。この新型真空管を取り付けたロボットは、極限まで訓練された人間以上の格闘能力を持つようになる。もう、どんな人間にも負けはしない。
ロボットにそんな格闘能力を持たせてどうするつもりですか?
治安維持だよ。暴徒化したデモ隊、あるいは町の暴漢、タチの悪い酔っぱらいの取り締まりなどには、単に「手足の生えた人型の銃」ではダメなのだ。治安維持で大事なのは、命を奪わずに攻撃力や抵抗力を奪うことだからね。
ここに座って30分は経った。俺はテーブルに置いてあった領収書の束を捲り「カネダショータロー」と書かれた領収書を出した。二枚ある。前の月の新聞代を払ってもらってないからだ。三月分溜めると途端に払うのが億劫になる(金額的に一万を超えるから)のが新聞の支払いだ。まだ二月分しか溜まってないうちに何としても集金してしまいたい。
カネダ老人は右の肘掛けに付いた小さいレバーを巧みに操って(昔取った杵柄というヤツさ、と本人の弁)、電動車椅子で部屋の中をジージー動き回りながら、ロボットが高い格闘能力を獲得すると人間社会にどんなメリットがあるかを力説していたが、俺が領収書の束を弄っているのに気付いて、俺から一番離れた大きな窓の前で車椅子を止め、一旦黙った。
明るい窓を背にしたシルエットだけのカネダ老人が俺に云う。
電子頭脳の模擬戦では、全盛期のカレリンをレスリングで打ち負かしているし、ジュードーではヤマシタに一本勝ちを決めている。カラテのマス・オーヤマを吹っ飛ばしたこともあるし、ジュージツではヒクソンをきわどい所まで追いつめた。
しかしそれは全部コンピュータ・シミュレーションの中の話なんですよね?
そう。だから、なんとしてもまず実際に一体ロボットを完成させて、その強さを証明しなければならない。名付けて「鉄人2ー8号」だ。そのためには莫大な資金が要る。つまり、今の私には君に払える新聞代は一銭もないのだよ。分かってもらえるかね?
いや。それはそれ、これはこれです、と俺は答えた。