「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2018年11月16日金曜日
現の虚 2014-3-2【パイプ検査員】
樹の根だと思っていたものは、ウネウネと絡み合った金属のパイプだった。俺はパイプの絡みから体を抜いて、薄い鉄板の通路に降りた。重油のニオイと、湿気と、謎の轟音。巨大戦艦の機関室がきっとこんなだろう。
俺は、絡み合ったパイプの上にただ置いてあるだけの薄い鉄板の通路を音を立てて歩く。素足に湿った鉄板の感触がこの上なく不快。
作業員がいた。帽子とツナギの灰色。作業員はパイプから生えたメーターを覗き込み、数値を調べ、ボードに書き込む。壁のバルブを締めたり緩めたりもする。俺が大声でやあどうもと挨拶すると、作業員はボードの上でペンを動かしながら頷いた。帽子のせいで顔は殆ど見えない。
あんた、こんな場所で靴を履かないでいたら、足の裏を怪我しますよ。
作業員が顔を上げずに云った。轟音のせいで声は聞き取れなかったが、空中に字幕が現れて、それで分かった。作業員は別のメーターを調べながら喋り、空中にまた字幕が現れる。
足の裏を少し怪我するくらい大したことはないと思ってるのかもしれませんが、私の叔父もそんなことを云ってて、その、大したことのない怪我が元で死んでしまいましたからね。直接の原因は抗生物質が効かない黄色ブドウ球菌が血液に混ざって起きた敗血症からの多臓器不全です。ヒドイシニザマでした。抗生物質の効かない黄色ブドウ球菌は人間の皮膚にフツウにいます。だから当然アナタの足の裏にもいますよ。つまり、アナタだって、足の裏の大したことのない怪我が元でヒドイシニザマで死ぬかもしれない。
作業員はペンを胸のポケットに差し、ボードを脇に挟んだ。それから自分が履いている靴を脱いで、俺に差し出した。
だから、コレ履いて下さい。
凄まじい臭気を発するそのズック靴は、ドブネズミの死骸のように見えた。俺は首を振って後ずさった。
遠慮しないで。
俺がどうしても受け取らないので、作業員は、やっぱりヒトの靴はイヤですか、と諦め、その凄い臭気のドブネズミの死骸を履き直して仕事に戻った。
もう少し行くと梯子があります。それを登ってください。梯子を登った先にバス停があります。そこでバスに乗れば外に出られますよ。
そうなのか。だが今の俺は靴も履いてない入院着姿の文無しだ。無賃乗車はしたくない。作業員は小さなハンマーで近くのパイプをコンコン叩いている。
お金のことなら心配いりませんよ。
パイプを叩く手が一瞬止まりフフっと笑う。
無料のシャトルバスですから。