2018年11月30日金曜日

現の虚 2014-3-9【外れる右手と人工衛星】


どこからか犬が一匹現れる。俺は倒れている。犬はとぼとぼと少しタメラいながら俺の所まで来る。俺の体に鼻をつけて、あちこち匂いを確かめる。それから俺の顔を舐め、ウオンと小さく吠える。俺が目を覚まさないので犬は少し困る。もう一度、今度は少し大きめにワンと吠える。それでも俺は目覚めない。困った犬は俺の右手を軽く銜えて持ち上げる。すると右手が手首から外れる。犬は外れた俺の右手を銜えてかなり困る。そして考える。だが何も考えつかない。犬は俺の右手を銜えたまま、来たときと同じにとぼとぼと歩き去る。

目を開くと、俺は屋上のベンチに座っていた。相変わらず裸足だが、右手はちゃんとあった。夜空だ。星はあまりない。白い光の点がゆっくりと移動している。人工衛星だろう。俺は煙草に火をつけ、しばらく人工衛星を眺める。どんな星の光よりあの人工衛星の光の方が美しい。星の光に意志はないが、人工衛星は存在そのものが意志だからだ。人間も意志だ。だから人間は意志あるものに惹かれるし、意志のないものに意志を求める……みたいなことを考えながら煙草を吹かす。

さっき飲んだ痛み止めが効いている。

手引書を取り出し、ジッポーで照らして見取り図のページを開く。見取り図の通りだと、この屋上からは梯子で降りられるはずだ。見つけた。等間隔に結び目を作ったロープ。一端が屋上の柵に結びつけられている。

これを梯子と呼ぶ神経に恐れ入る。

俺はロープを垂らすが、上から見てもロープがどこかに届いているようには見えない。そもそも暗くてよく見えない。

まあいい。降りてみる。

ロープの端まで下りたがやっぱりどこにも届いてない。片足を伸ばして探ってみたが宙吊りだ。下を見てもただの真っ黒。暗いから何もないように見えるのか本当に何もないのか。ジッポーで照らしてみたが光が弱すぎる。真っ黒い地面がすぐ近くにある、ということもあり得る。だから飛び降りるのも一つの手だが、もし本当に何もなかったら?

ロープにしがみついたまま俺は途方に暮れる。そして気付いた。少し離れた左手の壁面に大きな窓。届かない距離ではない。きっとこれがルートだ。

早速手を伸ばそうとすると窓がひとりでに少し開いた。俺は手を引っ込める。窓はひとりでにゆっくりと開いていく。誰かが中からこっそり開けている感じ。多分そうなんだろう。だが、窓を開けている者の姿は見えない。

俺は、ロープにしがみついたまままつより他ない。