「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2018年11月1日木曜日
現の虚 2014-1-7【電信柱の裏の男】
集金用の領収書の束の中に先月までなかった客の領収書があった。いきなり現れ、既に半年分も溜まっている。古くからの客が先月末に他の集金人が担当している区域から、俺の担当区域に引っ越したのだ。この客、半年分溜めた新聞代は、とにかく半年遅れで毎月一ヶ月分ずつ払っているので、配達を止めるわけにもいかないし、集金に行かないわけにもいかない。
だが、住所を知らない。
実際に毎朝その客に新聞を届けている配達アルバイトのサカモト君に地図を描いてもらった。
行っても、あるのは空地と郵便受けだけですよ。
大学生のサカモト君は地図を描きながらそう云って、俺はまさかと笑ったが、実際来てみると本当にそうだった。家が一軒建つかどうかという狭い空き地に電信柱が一本あって、それに名前の書かれた赤い郵便受けが括り付けてある。プレハブもテントも掘建て小屋も、家的なものは何もない。掘り返した土の匂いのする空地があるだけだ。
俺は、電信柱の裏に誰か立っているのに気付いた。声をかける。
オカバヤシハルオさんですか?
そうだ、とおそろしいダミ声。
新聞の集金です。
電信柱の裏から腕がにゅうっと出た。掌に新聞代一ヶ月分ちょうどが乗っている。俺はカネを取り、一番日付の古い領収書一枚切りとって掌に乗せた。腕がにゅうっと電信柱の裏に戻る。
それじゃまた来月お願いします。
俺が帰ろうとすると電信柱の裏から、ちょっと、と呼び止められた。
切符を。
ウチはそういうタダ券のオマケはないんです。
ソウジャナイ。オマエの地下鉄切符を拾ったから返してやるよ。
電信柱の裏から延びた手が切符を摘んで立てている。身に覚えはなかった。俺は切符を手に取った。その未使用の地下鉄切符は紙ではなくナニカの皮で出来ていた。
鮭の皮さ。
サケって、魚の?
ナナイの伝統技法で作られている。
ナナイの?
そうだ。
ナナイが何なのかは知らない。しかし問題はそこじゃない。紙でも鮭の皮でもナナイでも何でも構わないが、なぜ、この切符を俺のものだと思ったのか、だ。
オマエの名前が書いてある。
云われて、鮭の皮の切符をよく見ると、確かに、うっすらと俺の名前。しかもどうやら俺自身の筆跡。
その切符を散歩猫に見せるといい。
散歩猫?
最近、会ったはずだ。
あの猫なら、昨日の晩に飼い主もろとも死にましたよ。
たとえそうだとしてもまた現れる。
死んだのに?
死は散歩猫を捕まえられない。散歩猫は死なない。
男は電信柱の裏で激しく咳き込む。