「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2018年11月21日水曜日
6-4:どこの何星人かなど問題ではない
ところで、究極の知性現象というものであれば、それが何銀河の何星人かなどということは問題にならなくなる。それどころか、組成がなんであるかさえ勘定に入れる必要がない。アミノ酸タンパク質であろうと、シリコン(珪素)だろうと、あるいは電磁場そのものであろうと、究極の知性現象が実現できているなら、形態を問う必要はないのさ。
とは言いながらも、形態からの規制と制限が存在するのもまた事実。特にアミノ酸タンパク質によって実現している知性現象は、アミノ酸タンパク質という「器」の要請のために、或るトラブルへと落ち込みやすい。
言い方を変えるなら、同じレベルの知性現象を実現するにしても、アミノ酸タンパク質製はシリコン製よりも、シリコン製は電磁場製よりも、多くの負担、つまりは環境負荷がかかる。というと、大仰に聞こえるけれど、要は、手間が増えるということ。喩えるなら、ろうそくで湯を沸かすのは、薪で湯を沸かすよりタイヘンで、それはまた、石油やガスや原子力で湯を沸かすよりもタイヘンだ、というようなの話だ。
アミノ酸タンパク質製の知性現象は、それを走らせるために、「生命現象」という、実に大規模かつ複雑かつエネルギー消費の激しい「プラント」を運営しなくてはならない。一方、シリコン製知性現象は、それよりは随分マシだとしても、やっぱり、修理やメンテナンスは必要になる。有機物ほどではなくても、珪素その他の部品は、宇宙の組成という観点からすれば、依然として「巨大な」構造物である元素の組み合わせだから、いわゆる「時空間」の影響を受けてしまうのさ。
その点で、電磁場製知性現象は、ダントツに強くて自由で本質的なアリヨウだよ。既に、装置ではなく、現象それ自体になっているからね。この宇宙で知性現象を実現するのにコレを超えるは方法は他にはない。宇宙自体の消滅に対処できるかどうかは未知だけど、恒星や銀河や銀河団レベルの宇宙変動や宇宙災害にはビクともしない。それが電磁場製知性現象さ。
ウン。キミも知っての通り、宇宙とは時空間で、時空間とは電磁波と重力のことだ。とういか、電磁波のkick backが重力なんだから、実際両者は同じものだよね。
この宇宙は、蟻でできた蟻地獄のようのものさ。或る蟻が、その蟻地獄から這い出そうとモガクとき、蟻地獄を形成している他の蟻たちを、蟻地獄の中心へ押しやる。蟻地獄の底がミクロの世界で、外縁がマクロの世界。