「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2018年11月11日日曜日
現の虚 2014-2-8【メインイベント:絶対王者ニニンジン】
前座と違ってメインイベントは観客も命がけだからね。
ガラガラの客席を見回していた俺に猫が云った。猫の横にはテンガロンハットの男が腕組みをして座っている。目を閉じて、たぶん眠っている。
今、客席と云ったが、実際に俺たちが座っているのは機関車両と客車の二両編成の列車の客車の座席だ。試合は、客車の窓の外、何キロも離れた荒野で繰り広げられている。それを観客であるオレたちは客車の窓越しに見ている。客車にはあと6人がいる。そのうち5人は試合が見える通路のこちら側に陣取って試合を見ていたが、残る1人は通路のあちら側の座席の上で足を組んで瞑想していた。
観客が戦いのトバッチリで怪我をしないように「気」でこの列車を守ってるのさ、と猫。何のことだか分からないので、へえとだけ答えて、窓越しに遠くの試合を見ていると、すごい勢いの光の玉がまっすぐこちらに向かって飛んで来て、ぶつかると思った瞬間に上に逸れ、そのまま空の果てに消えた。驚いている俺に猫が云った。
今のはダータ・ファブラの絶対王者、ニニンジンが手から飛ばしたエネルギー弾だよ。ああいう流れ弾を瞑想しているアイツが「気」のバリアで防いでいる。
それでも危ないだろう?
危ないよ。だから普通はテレビで観戦する。現場に来るのはヨッポドの物好きだけ。しかも現場に来ても肝心の試合は遠すぎてよく見えないし。
その通りだ。音はすごい。戦争でもしているような音が腹に響く。だが、試合は見えない。遠くで光の線が激しく交差しているのが見えるだけだ。で、時々、大きな光の玉が現れ、ぶつかり合ったり、弾けてみたり、あるいは、さっきみたいな「流れ弾」としてこちらに飛んで来たりするくらい。
現場にいても試合展開はまるで分からない。結局、持ち込んだ携帯テレビなどで戦況を知ることになるのだが、俺たちはそんな気の効いたものを持ってこなかった。遠くの花火大会の音だけを自宅で聞いてるようなこの情況をどうにかできないかと思っているうちに試合は終わってしまった。携帯テレビを持ち込んでいた他の客の反応から、絶対王者のニニンジンが勝利したらしいことは分かったが、どういう勝負のつき方だったのかはまるで分からなかった。
もったいつけた大イベントってのはエテシテこんなもんだよ。現場にいるからこそ分からないということはあるのさ、と猫。その横でテンガロンハットの男が目を覚まし、両腕を突き出して、大きく伸びをした。