「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2018年11月22日木曜日
現の虚 2014-3-6【マネキン警官】
その部屋には裸のマネキンが乱雑に積み上げられていた。マネキンの山に囲まれた部屋の中央には事務机がひとつあって、そこに警察官の制服を着たマネキンが座っていた。マネキンは警察官のフリをして俺に訊く。
で、靴に名前は書いてましたか?
いや。
そりゃいけませんね。
警察官のフリをしたマネキンの目玉は水性マジックで描かれていて、それが一瞬のうちに消されたり描かれたりして動く。チェコの映画監督がやってるストップモーションの手法と同じ。マネキンは調書に何か書き込んでいるような動きをするが、そんな動きでは何も書けないだろう。書いてるフリをしているだけだ。「書かれた」文字は自然に紙の上に浮き上がって来る仕組み。よく出来てる。
靴に自分の名前を書くオトナなんていないでしょう、と俺は云ってみる。運動靴やナンカは別にして。それとも北欧とかなら、オトナでもやっぱり持ち物全部にいちいち名前を書くのかな、と偏見的なことも云ってみた。
マネキンは、固まった右腕の肩の部分だけを動かして、手に持っていたボールペンをコロンと机の上に転がした。たぶん、ペンを放り投げたという表現だ。マネキンの可動域ではこれが限界なのだ。
アンタね……
警察官のフリをしているマネキンの口に突然煙草が現れ、勝手に火が付き、煙が立ち上る。穴のない鼻から二本の煙が吹き出す。
靴がないことの重大さがまるで分かってないよ。手引書ちゃんと読んだ?
そんな手引書は読んでないし知らない。
だろうね。アンタ、ずいぶん早い段階で落としてるからね。
机の上の封筒が点滅した。
届いてるよ。その中にアンタが落とした手引書が入ってる。
封筒を逆さにすると緑色の手帳が出てきた。開くと学生服を着た俺の写真が貼られたページ。手引書というか生徒手帳だ。
今は見なくていいから。
マネキンはギクシャク動いて手帳をムリヤリ閉じた。それから、呆れたね、と云ってマネキンの可動域を無視した強引さで肩をすくめてバキバキと音を出した。
こんな物をムヤミに開いたらバカになるよ。
警察官のフリをしたマネキンはそう云うと、意味の読み取れない笑顔を作った。それからギクシャク動いて、書類を一枚、机の上に置いた。
この拾得物受領書に名前と住所と書いて。
受領書は乾燥させた鮭の皮で出来ていてとても書きにくかった。なんとかサインし終えて、これでいいかと訊いたら、警察官のフリをしていたマネキンの首が外れて床に落ち、イヤな音で砕けた。