2018年11月7日水曜日

現の虚 2014-2-4【拙い同時通訳で聞くストーンヘッド氏の講演】


純粋に科学的な意見の対立でも、その根拠が客観的な事実ではなく、論理的帰結のような、人間の不完全な脳機能が作り出した「半虚構」である場合、意見の対立の正否を決めることになるのは、論者どちらか一方の死であることがよくあります。つまり、先に死んでしまった方の主張は否定され、生き残った方の主張が正しいとされる。もちろん、数年後、数十年後、あるいは数百年後に、新たに確認された客観的な事実によって、それらの正否が逆転する場合はあり得るし、これまでに何度もそういうことはあったのですから、我々はいずれ真の正しさへと辿りつけるわけです。しかし、そうなるまでは暗黒です。誤った認識、誤った理解、誤った判断に、誤った態度が、許すべきを糾弾し、拒絶すべきを歓迎する。薬は毒と呼ばれ、毒が薬とモテハヤされる。それもこれも、ただ単に正しい主張をする者が先に死ぬという、人間の生物的な制限(あるいは限界と云ってもいいでしょう)による、それ自体には何の意味も理由も責任も伴わない、巡り合わせによって起こるのです。

実に分かりにくい同時通訳。俺は耳からイヤホンを抜く。目の前の土俵の上。真っ白な衣装と真っ黒な衣装の、どちらもマント姿の二人の老人が、中央でがっぷり四つに組み合ったまま、もうずいぶん経った。その二人の頭の上、空中の青白い人面巨石。立体映像、と、猫が云う。空中に浮かんだ立体映像の人面巨石は、客席の俺たち向かって、俺には分からない言語で、難解な講演を続ける。いや、難解なのは同時通訳の拙さのせいかもしれない。ともかく。拙くてもなんでも、通訳なしでは人面巨石の云ってることが全く分からないので、俺は一旦抜いたイヤホンを耳に戻した。

確かに、生き残った方が正しいというテツガクは、生物学的、進化論的に真理でしょう。いや、真理です。それはその通りなのです。それは私たち命あるものの根幹にある教義とさえ云えます。ただし、それは宇宙の真理を担保するものではありません。にも関わらず、私たちはそうしてしまうのです。つまり、宇宙のあらゆる物事の正否を、競合者のどちらがより長く生き続けたかで判断してしまうのです。命ある存在としての私たちにとってだけ真理であるものを、命など眼中にない、冷徹な物理法則の発現そのものであるところの宇宙の全てに当てはめようとするのです。そこに錯誤の自覚はありません。かのゲーデルの弁はここでも有効なのです。