「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2018年11月12日月曜日
現の虚 2014-2-9【穴の底の黒い虫と咳止めシロップ】
荒野に爆撃跡のような大穴がいくつもあいている。俺たちはその中でも特に大きいひとつを選んで底に降りた。降りてしまってから見上げると、もう自力では這い上がれそうもない。その点を指摘すると、上がることは考えなくていい、と猫が答えた。
穴の底で最初に見つけたのは、ちぎれた人間の右手だった。猫に見せると、要らない。探すのは黒い虫だから。ここならきっといるよ、と云った。
猫は穴の底の乾いた土をスンスンと嗅ぎ回り、テンガロンハットの男はガムを噛みながら腕組みをして黙って穴の中の様子を観察している。俺は猫のイイツケを守って黒い虫を探した。うろついて、めくったり、掘ったり。
「求心力」と書かれたカセットテープや組み立て済みのプラモデルのランナーの束や汚れた青いマントの下には何もみつけられなかったが、壊れた植木鉢の底をめくると、そこに黒い虫がいた。じっと動かないでしきりに何か呟いている。よく聴くと、もうだめだ、もうおしまいだと繰り返していた。
この虫のこと?
俺が猫にそう訊いたとき、空から突然一羽の鳥が舞い降り、虫を捕まえゴクンとひと飲みにした。
やっぱりだ!
鳥の腹の中で虫が叫ぶのが聞こえた。鳥は目をパチパチさせた後、背後に忍び寄っていた猫に気付いて慌てて飛び去ろうとしたが少し遅かった。猫は鳥を捕まえた。テンガロンハットの男がナイフで鳥の腹を割いて黒い虫を取り出した。俺は黒い虫を受け取り、猫は鳥を受け取った。
その虫を小瓶の中の液体に浸けるんだ。
猫が、鳥の羽をむしる作業を中断し羽毛だらけの顔で俺に云った。
液の中で虫が溶けたらそれを飲む。
俺は鞄の中から小瓶を取り出し、云われた通りに黒い虫を小瓶の中の液体に沈めた。金色の液体の中で、虫はほんの少し暴れてすぐに動かなくなった。と思ったら、あっという間に溶けて見えなくなった。これを飲むのかと訊くと、猫はすごい形相で鳥の頭をバキっと噛み砕いてから、飲む。全部、と答えた。
黒い虫が溶けた金色の液体は市販の咳止めシロップそっくりの味と舌触りだった。独特のおいしくない甘さと、口の中の、特に喉の辺りにまとわりつくイヤな感じ。いや、今現に市販の咳止めシロップの瓶を持った老婆が目の前にいるから、俺が飲んだのは本当に市販の咳止めシロップかもしれない。
あらまあ。看護師さん呼んでこないと!
驚いた顔の老婆は咳止めシロップの瓶を持ったまま部屋を出て行った。
俺は小さくコヘンと咳をした。