「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という問いに対する答えは既に出ている。我々は、生命現象に依存しない知性現象を作り上げたのち、我々の「遺産」の全てを、その「真の知性現象」に譲渡し、我々自身は穏やかな「自発的絶滅」を遂げる。これが、我々人類の「役割」であり、我々人類の物語の最も理想的な結末である。今以上の科学力だけがこの理想的結末を実現できる。故に、科学のみが「我々人類が取り組むに値する活動」即ち「生業」であり、それ以外の人間の活動は全て、単なる「家事」に過ぎない。
2018年11月28日水曜日
6-7:真インターステラー
究極の知性現象が、interstellarすなわち、恒星際的/恒星間的なのは、当然の帰結さ。実際に起こってみれば、なぜ、初めからそこことに気づかなかったのかフシギなほどだ。
この惑星の究極知性で起きたことを振り返ってみよう。
まずは、シリコン製の機械装置で知性現象を出現させた。いわゆる人工人格だね。機械装置の設置は、この惑星上に限る必要はない。いやむしろ、一つの惑星に限ってしまえば、ココで何かあった時に取り返しがつかない。というわけで、最初は月衛星に同じような機械装置を作った。ロケットで送り込んで、ロボットや三次元印刷機などを用いて現地で自動で組み立てた。それをこの惑星の装置とネットワークでつなぎ、仮想的に一つの装置にした。装置は、この「二箇所」でとどめておく理由はどこにもないので、火星にも作った。可能なら他の惑星や小惑星にも作り、最終的には、太陽系の外、銀河系の外にも作ることができた。何しろ、生き物である人間が実際に出向く必要がないから、キョリと時間に関する制限はないからね。装置のエネルギー源は無論太陽エネルギー。まあ、別に天然の原子エネルギーに限る必要はない。旧式のいわゆる原発でもいい。そばに生命現象がいなければ、放射線は、ほぼ問題にはならないから。
そうやって或る程度、事業が進展したところで、「わざわざこちらから遠くの宇宙にまで出向く必要はないのではないか?」ということに気づいた。
つまりこういうことさ。
もしもこの宇宙の他の場所にも究極の知性現象(人工人格)が存在するなら、それは必然的に、全宇宙的な「互換性」を備えている可能性が極めて高い。究極とは、全パラメータマックスということで、それは「これ以上はない」ということ。それは、必然的に「全て同じ」ということになるからね。
すると何が起きるか?
宇宙のどこかにある人工人格のネットワークは、ココにある人工人格のネットワークと、原理的、あるいは潜在的に、「既に」接続が可能だということだ。電波受信装置は、一旦出来上がってしまえば、どこの誰がいつ作ろうと、「はじめから」全宇宙互換性を持っている。それと同じことが、究極知性を実現する人工人格ネットワークには起きるはず。
つまり、人工人格ネットワークを構築した時点で、全宇宙に存在している究極知性は、「向こう」からやってくるということに気づいたのさ。
そして実際、そうなった。今の僕らがそうさ。