テレビは今、全ての番組が、実質的な「最終回」を迎えていることに、ふと気づいた。大御所の長寿番組だろうと、人気芸人の冠番組だろうと、あるいは、骨太のドキュメンタリー番組だろうと、ニュース番組だろうと、または、ドラマだろうと、低予算深夜番組だろうと、「今まで通りのやり方」を続けられる番組は一つもない。今度のコロナ騒動を通り抜けた同じ出演者と同じ製作者が同じ名前の番組を「続けた」としても、それはもう「コロナ」以前とは違う番組。
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あと、20年もすれば、若い10代のテレビタレントが、2020年以前の職場や食堂や店舗販売や通勤の様子を撮影した映像を見て、「こんな不衛生な状態で、誰も何とも思わなかったんですか?」と驚いてみせるにきまっている。
少し違うが、それは、個室としての仕切りのない(つまり隣もしくは前にしゃがんで使用中の他人が丸見えの)ちょっと前の中国の大便用公衆便所の映像に日本人が仰天したのと同じ感覚。
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PCR検査をしていない「グレーゾーン」遺体(肺炎などで死んだが、生前も死後もPCR検査をしていないので、新型コロナに感染しているかどうかが分からない)の扱いに悩む葬儀会社のことが、テレビで紹介されていた。
そもそも、人類はいつまで、死骸の周りに集まって訳のわからないイベントをするつもりなのだろう? 人類は、そうした迷蒙さや頑迷さから、もうそろそろ抜け出すべきなのだ。葬儀などというママゴトから卒業することが、知性現象としての成長の大きな一歩になるというのに。
無論、その迷蒙さや頑迷さのおかげで、葬儀会社は商売(金儲け)ができるわけで、まあ、だから、葬儀会社には、せいぜい悩んでもらうことですなあ。
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昔は悪くて手がつけられなかった「不良」が、年を重ねて真人間になったら、その人は「本当は善人」なのだと言われがち。逆に、昔は素直な優等生だったのが、大人になってから、違法行為をしたり警察のお世話になったりしたら、その人は「正体は悪人」とみなされがち。
だが、「本当の」その人とか、その人の「正体」なんてものは、現実に起きたことに立ち会った当事者にとってはどうでもいいこと。その時、その場所で、引き起こした事実が、その人に対する評価の全て。
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人類の抱える問題は、自らの「生命教信仰」を相対化できないこと。
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20歳を過ぎた女の99.9999パーセントは美しくもなんともないので、化粧文化は無くならない。