アメリカで外出禁止令の解除を求めるデモが起きたり、日本でも、週末の度に、観光地だの名所だので「観光客」の車が渋滞を起こしたりしている。そういうニュースを見て、とにかく「外に出たい」「用もないのにウロウロしたい」人種が数多くいることに気づかされる。ちょっとオモシロイ、と思う。
コチトラ、今度のコロナ騒動などとは全く無関係に、昔からずっと一種の「引きこもり」なわけで、今度の外出禁止だの自粛だのがあってもなくても、実際掛け値無しで、以前と全く変わらない生活。ゴミ出しは別にして、外履きを履くことは週に一回か二回しかないし、梅でも桜でも海でも山でも、そういう季節物の「催し」にも、とんと関心がないので、全て素通り。やれ桜が満開だ、海開きが延期になっただのとテレビが騒いでいても、オーストラリアの山火事を見てるくらい、遠い世界の話。更に言えば、盆も正月も、ここ数十年、例えば6月や9月と同じに、特別なことは何もしない。つまり、この「自粛生活」があと30年続くと言われても、これまでの30年と何も変わらないので、痛くもかゆくもない。
で、まあここまで極端ではなくても、他の連中も「いざとなれば」、花見だの正月だの催しだの観光だのがなくなっても、どーということはない、まあ、なきゃないで構わないはずだ、と思っていた。
しかし、違った。そうじゃない連中、こんな状態はとても我慢できない連中というのが、世の中にはいるのだ、ということを、今回のコロナ騒動の自粛騒ぎで知ることになった。
世界中がこれだけの人死を出しながら「外出は控えろ(本当は外出はするな)」「人との接触は避けろ」と大騒ぎをしている時に、それでも「出かける」連中が結構いる。その様子はまるで、シャブを求めて繁華街にふらふら出て行くシャブの切れたシャブ中のようで、ちょっと病的なものすら感じる。
考えてみれば(思い出してみれば)、学生時代、何が面白いのか全くわからない文化祭だの運動会だの修学旅行だのを異常に楽しみにし、また、異常な迫力を持ってそれらのイベントに「青春の情熱」を捧げている連中が、わりといた。というか、大半がそうだった。
きっと、動物的な本能が、少し形を変えて現れているのだろう。すなわち、盛りのついた猫が鳴き騒いだり、家猫でも、去勢していなければ、コーフンを抑え切れずに、何日も外出して帰ってこなかったりすることがあるけど、要はアレと同じなのだ。