2020年4月8日水曜日

現金支給とかじゃなく、コロナ騒動中の支払いはすべてツケにして、終息後にそのツケを丸ごと棒引きにすればいい。そうすると、「本当に」損をしたところが出てくるから(ババ抜きと同じ)、そこだけを手当てする。


昔『ごっつええ感じ』であった「放課後電磁波クラブ」(今田東野のWコージ)の「放課後」って何だろうと思ってたけど、ついこの前「放課後児童クラブ」というものがあることを知った。ここから来てるのか?「放課後電磁波クラブ」の「放課後」は?


「舌切り雀」の話で、善良なおじいさんは小さい葛籠(つづら)を選んだおかげで宝を手にしたのだと思っていたけど、この前、吉田羊がEテレでやってた「舌切り雀」(「おはなしのくに」という番組)を観ていてフト思った。おじいさんに用意された葛籠は、小さい方にも大きい方にも宝が入ってたんじゃないか、と。逆に、スズメの舌を切ったおばあさんは、大きい葛籠を選んだからゴミだの毒虫だのをつかまされたのではなく、そもそもどちらの葛籠にもガラクタが入っていのかもしれない。

と、こう書いているうちにまたフト思ってしまったが、スズメの忠告は、おじいさんの場合もおばあさんの場合も、ただ「家に帰り着くまでは決して葛籠を開けないで」ということだった。で、おじいさんは言いつけを守って家で葛籠を開いたら宝が出てきた。一方で、おばあさんは堪えきれなくなって帰り道の途中で葛籠を開けてゴミや毒虫をひっかぶる。つまり、帰る途中で開けるかどうかで(つまり、言いつけをちゃんと守るかどうかで)、葛籠の中身が変わるのかもしれない。

という訳で、宝を手に入れるか、ゴミを掴まされるかの違いが生じる原因の候補は三つ。(1)欲張らずに小さい方を選ぶ。(2)家に帰り着くまで葛籠を開けない。(3)いや、そもそもスズメは、おじいさんには宝だけを、おばあさんにはゴミだけを用意している。(1)と(2)は二つで一つの条件にもなりうる。また、(3)は、おばあさんに対するスズメの復讐心がはっきり現れている点で、(1)(2)とは根本から違う。

因みに、「舌切り雀」の「元々」の話では、おじいさんが連れ帰ってくるのは(そしてのちにおばあさんに舌を切られるのは)スズメ(鳥類)ではなく若い娘(人類)だった、という話をどこかで聞いたか読んだかした。要するに、老年の夫が連れ込んだ若い妾を、老年の妻が、夫が留守の隙に虐めて追い出してしまう話。