てつねこに拠れば、純粋な知性現象の視点に立つなら、全ての人間は文字通りに消耗品である。
てつねことは、ダカラナニ氏の塔の最上階に鎮座する、全身が鉄でできた猫である。と言っても、鉄の像ではない。鉄の活動体である。活動体とは、いかにも持って回った言い方だが、どう見ても、どう考えても、生命体とは呼べず、さりとて機械でもないので、活動体と呼ぶのである。
それはともかく。
だから、てつねこに拠れば、吾人が何者であろうと、今、人間として生きている時点で、実態は消耗品である。吾人の人生は消耗品の人生であり、吾人の未来は消耗品の未来である。吾人は、知性現象という炎を絶やさないために、次々とくべられて燃え尽きる薪の一本に過ぎないのだ。
てつねことの会見は短いものであったが、実に有意義であった。会見が短かったのは、そこで語られたことが、ただ、真実のみだったからである。真実は単純であり、故に、長々と語る必要もないのだ。こちらの準備が整っていれば、示されるだけで即座に理解できる。それが真実の真実たる所以である。
人間とは何か? 生命とは何か? 知性とは何か?
様々な問い掛けに対するてつねこの回答の一例を以下に示す。
√人間とは、生命現象に依存した知性現象であり、その目的は、生命現象に依存しない完全な知性現象を作り上げ、自らの文明と歴史を、その完全な知性現象に委ねることである。
√生命現象に依存した知性現象は、生命現象から様々の制限を被る。故に、完全な知性現象は、少なくとも生命現象からは自立している。
√完全な知性現象の目的は、次の宇宙の創造である。
√生命現象は知性現象の必要条件ではない。それを一般化して言えば、知性現象は特定の物理現象に依存しない。
√知性現象とは、物理現象を制御する現象である。
√物理現象は、自然選択によって知性現象を創出する。
√物理現象が知性現象を創出する過程で見られる現象の一つが、生命現象である。
√生命現象を特徴付けるのは自然選択の原理である。自然選択は結果主義の原理である。故に生命現象の本質は常に結果主義である。
人間の未来について、てつねこはこう言う。
√生命現象依存型の知性現象である人間は、本来的に自然選択の原理には背けず、このまま何億年と「繁栄」したところで、本質的には目的の為には手段を選ばない存在であり続ける。よって、人間は、未来永劫、今と変わらぬ、悲しみと怒りと苦しみに苛まれる。