実写版の『映像研には手を出すな!』(TBS系)の第二話を観た。一話に続いて、悪くない。この感じなら最後までオモシロク見れそうだ(何話まであるのか知らないけど)。問題は撮影が済んでいるかどうか。コロナ騒動の最中だから、撮影しながらの放送だったら途中で止まる。
*
新型コロナに対する人間社会の振る舞いを見ていると、傷を舐め続けて回復を長引かせる猫を思い出す。どうやら人間社会にも「エリザベスカラー」は要るらしい。
*
学校生活が好きな連中が学校の先生になるので、学校生活が嫌いな子供にとって、学校はいつまで経ってもゾッとする時空間。
*
人間として存在するのも、水たまりの細菌として存在するのも、全く同じだけの価値があるとするのが生命現象の立場。水たまりの細菌なら最初から生まれない方がマシとするのが知性現象の立場。
*
人間に認められたって高が知れてる。
*
結婚することが「アタリマエ」なのは、大小便は便所でするのが「アタリマエ」なのと同じ系列の「アタリマエ」。
*
生きることに飽きた、というのは、食ったり出したりすることがめんどうになったということ。かと言って、それらを怠ると、飢えや病いの苦しみに苛まれることになる。だから、すっかり飽きてしまったことを「死ぬまで」やらされるハメになる。
*
子連れ出勤、フレックスタイム、リモートワーク(テレワーク)。つまりはどれも、これまでグズグズやってきた「働き方改革」。
*
[わかりやすい「精神を病んでいる人」]の言動の軽薄さが面倒臭い。
*
「重度の認知症になったら安楽死」は、人間にとっては「当然」のこと。人間の本質は生命現象ではなく、知性現象なのだから。
*
生命現象とは、物理現象から知性現象が創出される「過程」の現象。知性現象が知性現象を創出するのに、生命現象は必須ではない。
*
老猫介護は、介護相手に理解がないという点で、徘徊老人の介護と何も変わらない。
*
荷物を持ってきた宅配業者に玄関先で消毒スプレーを吹き付ける主婦とかがいるらしい。利用客から新型コロナの感染者が出た飲食店に、他の客からすごい剣幕の電話が入るらしい(即ち、感染者と同じ空間で飯なんか食わせやがって、どうしてくれるんだ!という理屈)。
こういうバカだけを殺してくれる新型が発生してくれないかなあ。でもこの手のバカは、生命現象的にバカなのではなく、知性現象としての怠慢ゆえのバカだから、ウイルスにはどうしようもない。