人間はどれだけのGに耐えられるかを身を以て検証したジョン・ポール・スタップ(デンディ/ボーリング著『自分の体で実験したい』)について読んだあとに思ったが、自動車が今あるような形なのは、あれは、単純に人間が前方なりを目で見て運転しなければらならないからであって、衝突事故などを考慮するなら、あんな形はどうしようもないはずなのだ。
人間に代わってAIとか人工知能とかが自動で車を運転する(これぞ真の「自動車」!)ようになれば(というか、そうなるのがモノの道理なのだから、人類が間抜けでなければ必ずそうなる)、車が今のような形である必要は何もない。むしろ、衝突事故などを想定し、積極的に形を変えていくべきなのは自明の理。
で、まあ、一番手っ取り早いというか、簡単に思いつくのが、ドーナツ型というか、円盤UFO型。すなわち、ドーナツの真ん中の「穴」に相当するところに人間が乗り込み、周りはぐるっと緩衝材的なもので防御されている形。「運転のために中から外を見る」必要もないので、フロントガラス的なものも要らない(車外の景色が見たければ、カメラで捉えた映像を、車の内装に設置したスクリーンに映し出せば済む)。だから、人間が乗り込んでいる空間の周りは、文字通りすべて、或る種のゴムのような「硬くて柔らかい素材」で覆うことができる。
いっそのこと球体でもいいかもしれない。そうすると、ひっくり返ったりした時に「頭上」を、同様の「緩衝材」で守ることができる。でもまあ、円盤(UFO)型が現実的だろう。
円盤型のメリットは他にもあって、たくさんの自動車が「渋滞」しても、お互い「ぶつかりながら」隙間を移動できたりすること。パチンコ玉がパチンコ台からジャラジャラでてくるのは、当たり前だけど、パチンコ玉が球体だからで、もしもあれが立方体なら、結構な割合で引っかかって止まってしまうだろう。
球体を二次元に落とし込んだら円形になる。地上を這いずり回る自動車は二次元的な動きしかできないのだから、円盤型の自動車は、実質、二次元のパチンコ玉と考えていい。つまり、円形の自動車は、まるで群衆の中をかき分けて進む人間のように、自動車群の中を「かき分けて」進むこともできる。これはスバラシイ。
いずれにせよ、別々の脳のせいでお互いに全く情報の共有ができない複数の人間が、今はまだ、平気な顔で、それぞれに1トン前後の塊を高速で動かしている未開社会。