今回のコロナ騒動を機に、映画館だの劇場の、バカバカしいほど狭苦しい客席が大々的に改善されることを期待する。ということは少し前にも書いた気がする。繰り返しアタマに思い浮かぶのは、やっぱり、日頃から(コロナ騒動のずっと以前から)、癪に障ってしょうがないことだったからだろう。
金を払った側が、四方八方から赤の他人の吐く息だの体臭だのに晒され、なおかつ、殆ど身動きできない状態で概ね二時間近くを過ごさなければならない状態に置かれるというのは、これをサービス業の一つとして客観的に眺めたら、どう見ても「客をなめてる」ということにしかならないだろう。
習慣は恐ろしい。一回の興業で可能な限り多くの客を入れたい(よく言えば「できるだけ多くのお客様に見てもらいたい」)興業側の思惑と、その興業を観たいがために多少の不便や不愉快は我慢する客側の思惑が一致して、「集まって出し物を見る」形態が、今あるような、鮨詰め状態で、赤の他人の体臭や、自身の膨張した膀胱に耐えながら、肩や背や腰を痛め続けるというものであることが「アタリマエ/ショーガナイヨ」になって久しい。
だが、このバカバカしい観劇形態は、興業側の慣習や、観客側の思い込みや、商売のあり方に的を絞って、攻撃したり批判したりマヌケぶりを指摘しても、どうも、これから先も変わる見込みはなさそうだったのだが、ここに来て今回のコロナ騒動。
なるほど、感染症か、と思った。人間は生き物であり、生き物は感染症のための「環境」に過ぎないのだから、今回のように、治療薬や予防薬のまだない感染症が現れ、それを人間が恐れ避けようとするなら、その一番の方法は「お互いができるだけ近づかない」しかない(今、地球の感染症は火星には広がらない。離れているし、何より、行き来する生き物がいないから)。新型感染症はこれからも現れるはずだし、そのうちのいくつかは、既存の予防薬も治療薬も効かないだろうから、そうなると、今回のようなパンデミックを防ぐには、「普段から」人間同士が離れて生活することが肝心。つまり、新型が出たぞ、となってから「離れる」のではなく、そもそも「平時」から、ウィルス感染しない程度の距離を保った生活様式にしておくということ。そして、そうなれば当然、劇場などの客席も、ウィルス感染しない間隔を取ったものが(今の文明社会で誰も道端で大小便をしないのと同じ類の)「衛生上の常識」となる。