2020年5月18日月曜日

博多大吉華丸が司会の「奇病」を紹介する番組を見た(…の続き)。


面白かった症例のもう一つは、「思い込み」で「食べ物が敵」になっている若い女たちの話。これに用いられた治療法は、要するに京極夏彦の「京極堂」の「憑物落し」。


「食べ物が敵」の女たちは、二人紹介されていて、一人は果物や野菜が食べられない(食べられないどころか、治療に使うためにスーパーで果物や野菜を買っているだけで、具合が悪くなって泣き大したり過呼吸になったりする)カナダ人の27、8歳。もう一人は、ポテチ(味の濃い)以外のものが殆ど食べられれないイギリス人の27、8歳。


アレルギーなどで生理学的生物学的に「食べると命に関わる」というのではなく、精神的に無理というタイプ。つまり、普通の人間でも、人肉はとても食べることはできないだろうが、それと同じ系統の「どうしても食べられない」。


思い込みが激しいのは、合理的思考がそれほど得意ではないことの裏返しなので、その知的レベルに合わせて、逆の思い込みを作り上げてしまえば、「憑き物」は取れる。[信仰心が強いほど悪魔にも魅入られやすい]という構造と同じ。


結局、最後に現れて1時間で彼女たちを「治療」したイギリス人心理学者(こいつが京極堂の役割を果たす)と、それ以前に「適切」な助言をしていた地元の普通の医者(「とにかくなんでも食べる努力をしてください」)や普通の栄養士(「栄養の観点からいろいろと食べたほうがいいですよ」)との違いは、「患者自身」に対する洞察力の差。


「食べ物が敵」の彼女たちは、自力で合理性の道を進むことができないので、どうしても、目指すゴールにたどり着くことができない。普通の医師や普通の栄養士がやったことは、「何でも食べられる」という目的地までの道を示し、あとは自分で行ってください、と言っただけ。一方、最後に出てきた心理学者がやったことは、拾ったタクシーに泥酔者を放り込んで、自宅に帰らせたようなもの。


件の心理学(心理療法士?)は、「食べ物が敵」と見做しているのは、彼女たち自身ではなく、彼女の中にいる「門番」という別人格だと思い込ませることで、彼女たち自身は本来的に何でも食べられるし食べたい人間なんだと思い込ませたわけだが、ここには何の合理性もない。あるのは、ただひたすらの「方便」。それは、理解力の低い人々が、理解することを強いられずに、実質的利益が得られるようにする工夫。