2020年6月30日火曜日

西部劇のカウボーイごっこがやめられない連中


2020年6月30日 火曜日/晴/風があり過ごしやすい→昼からやや暑い


『TP3』Part 18 WHAT IS YOUR NAME?:メモ


「本物の」Dianeは、『ティコムーン』の女性キャラに似ている。赤毛のボブ。


CooperとDianeが「境界線(430マイルの430も「Part 1」でFiremanがCooperに覚えておくように言ったコトバ)を超える時に乗っている古い車は、もしかしたら『Fire Walk with Me』のChet Desmondの(フロントガラスに、口紅でLet's Rockと書いてあった)自動車か?


モーテルで一夜明けた後の置き手紙。CooperはRichard、DianeはLindaになっている。元の「バージョン」では、Richardは、CooperがAudreyに産ませた子供の名前。LindaはDianeのゆるいアナグラム。ちなみに、このRichardとLindaは「Part 1」でFiremanがCooperに覚えておくように言う名前。しかし、当のCooperは自分をRichardとは思ってないので、後で、Tremond夫人に対して、Dale Cooperと名乗っている。


「Part 18」の副題は、一見すると、Cooperが、Odessaに転生したLaura(Carrie Page)に発したセリフだと勘違いするが、そちらは「What's your name?」と短縮形になっている。短縮なしの「What is your name?」というセリフは、CooperがLaura (Carrie)を連れてTwin PeaksのSarahの家を訪ねた時、応対に出たTremond夫人に言う。



アメリカが銃社会を抜け出せない本当の理由は、まだ大勢の[西部劇のカウボーイごっこがやめられない連中]がいるからだ。明治に入った日本は、おそらく文明国としてみっともないと思ったのだろう、武士という身分そのものを廃止し、[武士ごっこがやめられない連中]を一掃した。それでも、武士ごっこを続けたい連中は、軍人か警官にした。日本の警官はしばらくは腰からサーベルをぶら下げていたし、軍人は最初サーベル、のちに日本刀を腰からぶら下げるようになった。



「オデッサの大虐殺」:二日間で10万人の市民がルーマニア軍によって虐殺された。いくつかの火薬庫に鮨詰めにされて焼き殺されたのだ。

2020年6月29日月曜日

蛍は飛びながら光を放つのは相当な体力を使うので…


2020年6月29日 月曜日/曇り時々雨/やや蒸し暑い


蛍。実は飛びながら光を放つのは相当な体力を使うので、体力のない個体は飛行がフラつく。


日本では蛍の幼虫は川の中(水中)というイメージだが、世界標準では、蛍の幼虫は乾いた陸にいる。


(『ダーウィンが来た』)



メスはオスという存在自体にアレコレ文句を言うが、そもそも全てのオスはメスが生んだものだ。



『未来少年コナン』第9話「サルベージ船」のメモ:ラオ博士は「パッチさん」と呼ばれて(パッチと名乗って?)、サルベージ船の技術者(というか潜水夫)として働いている。沈没した昔の大型客船から「宝物(と言っても腕時計とか万年筆とかいう、もはや満足に製造できない、かつての日用品)」を引き上げる仕事。


ラナは、パッチさんの顔を見ても、それが自分が探し求めるおじいさん(ラオ博士)だとは気づかない。後ろ姿を見たときに「あ、そうかも」と思うが、慌てて泣きながら否定している。つまり、パッチさんのフランケンシュタインみたいな風貌(左目がなくて、左の頭に継ぎが当たっている)は、ラナの中のラオ博士のソレとは似ても似つかないものなのだろう。



本当に[アタマのいいやつ/才能のあるヤツ]は殆どいない。その分野でプロだとか専門家だとか自称したり認められたりして、人並み以上にメシを食えている連中も、多くは、カテゴリー的に「並の日本人よりも英語が達者なイギリス人」と同じ。子供の頃から野球に打ち込んできた人間が、子供の頃からピアノに打ち込んできた人間より、圧倒的に野球がうまくても、何の才能の証明にもならないのと同じ。



英語メモ:「スポーツ/sport」は「disport (di〔離れて〕+sport〔運ぶ〕)のdiが消失した形で、「仕事を離れた所に行く」ことから生まれた。

(「語源図鑑」p204)



「苦しい時の神頼み」という諺がよく示しているのは、神の「正体」や「出自」。神は、人間の都合で人間が生み出したもの以外のナニモノでもない。



『TP3』でFiremanがMr.Cにやったこと(セーラの家にワープするはずだったのを、保安官事務所に行き先を変えた)は、『DUNE』のGuild Navigator(宇宙の離れた場所をワームホールで繋ぐでっかい芋虫)のやっていることと同じだと気づいた。最初に『TP3』であの場面を見た時から妙な既視感があった。ようやくその理由が分かった。

2020年6月28日日曜日

カール・ゴッチは、実はベルギー人で…


2020年6月28日 日曜日/曇り/過ごしやすい


「昔の人は凄かった」は、実は上から目線。現代人が、「昔の人は偉かったですね」とか「凄かったですね」と言うとき、そこには「カッコつきの前文」がある。すなわち「(今と比べて全然遅れた科学知識と技術力しかなかったのに)」とか「(便利な道具や機械に頼ることなく、人力で地道にコツコツやり遂げて)」とかの譲歩文や条件文がある。しかし、それでいうと、現代人だって、未来人から見たら「凄かった」し「偉かった」ということになる。その場合の「カッコ付きの前文」は、「(100年もすれば老いさらばえて死ぬしかないことを知っているのに、勉強だの就職だの子育てだと、労を惜しまず健気に生きて)」的なモノになる。



アカ(エスキモーのばあちゃん)にとって、動物図鑑はレストランのメニューなのだ。

(山崎努『柔らかい犀の角』メモ)



坊主に代表される世界の職業宗教者たちの正体はコスプレイヤー。



水木サンの貸本の処女作は、別の人が途中まで描いた『赤電話』。自作第一号の『ロケットマン』はそのあと。

(水木しげるの貸本名作選1「怪奇」のあとがきより)



カール・ゴッチは、実はベルギー人で、だから「ジャーマン・スープレックス」は本当は「ベルジアン・スープレックス」なのだ、ということ、YouTubeで観た昔の「タモリ倶楽部(カール・ゴッチ追悼企画の回)」で知った。あと、同じ番組で、タモリが前田日明の私設応援団の会長をやっていたというのも知った。



人間の13~19歳あたりは天然の薬物中毒患者。ドラッグ関係をわざわざ摂取しなくても、脳内の構造や分泌物のバランスが変調をきたしているので、誰でもひとりでに「ヤク中」状態になっている。動物で言えば、まあ「サカってる」状態で「フツウ」ではない。盗んだバイクで走り回ったり、学校の窓ガラスを割ったり、夜の街で徒党を組んで歩いたり、外国を貧乏旅行したり、高いところに登ったりするのはそのため。「天然のヤク中」になってるんだから、しょうがないといえばしょうがないが、当事者にそのことを教えてやるのは重要。つまり、無軌道な10代のワカモノに対して、「一人前の口をきくな」とか「お前も大人になればわかるようになる」と言って諌めるのではなく、ちょうど泥酔者に運転を思いとどまらせるように、「ここ何年かは天然の薬物中毒状態なのだから気をつけろ」と注意を促すのだ。



2020年6月27日土曜日

ナントカいう落語家がパペット落語というのをやっている


2020年6月27日 土曜日/曇り時々晴れ/風少し


ナントカいう落語家がパペット落語というのをやっている。前に『頭山』をそれでやっているのを『日本の話芸』で観た。まあ、サホドのことはない代物だった。今日また、そのナントカいう落語家が、『日本の話芸』で、今度は『立体西遊記』というのをやっていた。サホドのことはないだろうけど、まあ、見てやるかと思って見たら、意外に頑張っていた。好き嫌いは別にして、あそこまでテッテイしてやり通すと、確かに一つの芸として成立していた。前回の『頭山』よりも好かった(『頭山』がマズかったと言っているわけではない)。


あと、このナントカいう落語家は、出始めの頃のダウンタウンが大阪でキャーキャー言われてた頃に、同じ二丁目劇場に出ていたとマクラで言っていた。自分たち(落語家)が舞台に上がると、ダウンタウンにキャーキャー言っていた客たち(主に10代)は、トイレに行ったり、客席で本を読み始めたりした、とも言っていた。そこで、(というわけでもないのだろうが)、落語のキャラを実際の人形に割り振って、一種の落語人形劇をやったら、これがウケ(主に子供に)、コレダ!となり、今日まで30年やり続けているという。今までに40カ国ほどで演じきたとも言っていた。想像の目で見る落語のキャラクターと違って、人形は実際に姿が見えるので、言葉がわからなくても「通じやすい」のだろう。


しかし、今回の『西遊記」はなかなかの体力勝負。ダウンタウンと同期くらいだと、体力的には、もうキツいだろうな。



『What is David working on today?』で、Lynchが、iPhone用の木製スタンドを製作していた。あと、変な照明と、変な鋳型も。



昼頃に郵便局からドラッグストアに向かって歩いていたら、『あめつち』というおにぎり屋(?)の前が人だかりだった。あと、そのすぐ北側の十字路の空きスペースに、サンドイッチを売っている謎のキッチンカーが停まっていて、おっさんが袋を受け取っていた。札幌の感染者の実態は、「昼カラ」ユーザー(老人)だけじゃないだろう、と思った。



人間にとって自身の身体は、気象や天候と同じで、対症的なやり方でしか制御できない(雨が降れば傘をさし、熱帯夜にはエアコンのスイッチを入れるわけだが、そもそも雨を降らせないようにしたり、日照量を制御して気温を抑えることはできない)。


何の根拠もないが、星雲レベルで見たときに、「存在しない」は確かめようがないので、まあ、だれも「それは違う」とは言えない。「黒い白鳥」だよ。しかし、合理的に考えるなら、植民地主義的軍事国家が、恒星間軍事侵攻が可能なレベルの科学力を獲得できるとは思えないので、本当のことを言えば、たとえば、『スターウォーズ』的な銀河レベルの悪の帝国は、存在しないと思っている。

2020年6月26日金曜日

Lynchの「シットコム」『RABBITS』シリーズは…


2020年6月26日 金曜日/曇り/風なし


Lynchの「シットコム」『RABBITS』シリーズは、多分、それぞれのウサギの発するセリフの時系列がバラバラになってるんだろう。



"イップス (yips) は、精神的な原因などによりスポーツの動作に支障をきたし、突然自分の思い通りのプレー(動き)や意識が出来なくなる症状のことである。 本来はゴルフの分野で用いられ始めた言葉だが、現在ではスポーツ全般で使われるようになっている。"(Wikipediaより)



予約した食パンを買いに夕方外に出ると、少し前より(すなわちコロナ騒ぎが最高潮だった頃より)も、人が歩いていて、鬱陶しかった。行ったパン屋(2ヶ月以上は臨時休業していた)は、店員がパンを取る方式になっていて、カウンターにも、今やおなじみ、透明ビニールシートが垂れ下がっていた。



殺傷能力、殺害衝動、更にその「実績」に於いて、人類は史上最凶の殺戮生物だろう。



前にも書いたが、一般に思われているのとは逆で、「平和ボケ」とは、[あまりにも長く戦争を体験しないせいで、戦争の恐ろしさ・無情さ・無慈悲さ・バカバカしさ・制御の難しさを「忘れて」しまい、戦争を問題解決の有効な手段だと思い始めてしまう状態]のことだ。


もしも「平和ボケ」を一般に思われているような、「他国が攻め込んで来ることに対する危機感の欠如」という意味で使うのなら、「平和ボケ」は大いに結構な状態で、人類が進むべき道だ。


今の日本で、強盗や人殺しや人攫いにビクビクしながら、町内を歩いたり、国内を旅行したりしている人はまずない。あるいは、武田信玄と上杉謙信は、お互いの存在に危機感を持っていたかもしれないが、中国やロシアからの侵攻については全く無警戒だったはずだ。ちょうど、今のアメリカ政府や日本政府が、中国政府やロシア政府の動向には目を光らせているが、おそらく多分きっといるアンドロメダ星雲の植民地主義軍事国家の動向については何も心配していないし、だから何の手も打っていないのと同じだ*


脅威の対象の「臨界線」を外へ外へと押し出して来たのが、人類の歴史だ。それは世界中どこでも同じ。或る個人にとって「村が世界」の時は、隣村が警戒すべき脅威だった。国家ができると、脅威の臨界線が隣村から隣国に移動した。他国の侵攻を警戒する国民は、精神的な成熟度としては、実質、隣村からの襲撃を警戒する村民と同じ。

2020年6月25日木曜日

『コサキン・天海のマネもの』を楽しく観た


2020年6月25日 木曜日/曇り/肌寒い


『コサキン・天海のマネもの』を楽しく観た。が、一番心が震えたのは、最後のスタッフロールの時に流れた曲を聞いた時。即ち、UWFのテーマ曲である。(あと、最後の最後の関根さんの「ピットブル」も好かった)。


あと、日本のかつての長寿王である泉重千代さんが長寿の秘訣を訊かれて、「116歳の時にタバコをやめたことです」と答えたということを、この『コサキン・天海のマネもの』の誰かのモノマネで知った。



フクロウは音を頼りに狩りをするので、夜通し雨が降っていると夜の間に狩りができず、昼間にずれ込んでしまう。一方、目で見て狩りをするチョウゲンボウも、雨で草がなぎ倒されてネズミの姿が見えないので狩りができない。そこで、昼間に音でネズミを仕留めるフクロウの上前を、チョウゲンボウがハネる、という事態が起こった。


イタリアのその牧草地は、できる限りほったらかしにされている。だから、季節に応じて色々な草が生える。自然状態なので、季節ごとに草の栄養状態が変化する。例えば、春先に栄養が必要な牛(パルメジャーノ・レッジャーノというチーズを作るための乳牛)には、ちゃんと栄養が豊富な草になっている。無論、無農薬。しかし、だから、ネズミや色々な虫も来る。その虫たちを食べる鳥たちも来る。酪農家たちは、彼ら鳥たちを、「害獣・害虫」の調整係(全滅させるのではなくバランスを取る)とみなして、彼らと共存している。


(『ダーウィンが来た』鳥たちと共存するイタリアチーズの名産地)



ここ最近は、人類の歴史に「早送りボタン」があればいいのにと思っている。「つまらないCM」や「間抜けなコメント」を飛ばしたいのだ。



漱石の『それから』に出てくる謎の言葉「ラツブレイ」にしばらく悩んだ。代助が、父兄に対する義理で出席しているパーティーで、英国人の奥さんが言う。辞書にもネットにも見つからず「????」となったが、誰かが耳元でそっと囁いた。小さい「ツ」。なるほど。「ラッブレイ」すなわち「lovely」。スッとした。



√行く手に荊の藪が現れる。中から白い手がヌッと出て、「止まれ」と掌を広げる。白い手は指をパチンと鳴らし、向かって右を指差す。見ると、二足歩行の金色の毛むくじゃらが騒ぎならが駆けてくる。「森の人」だ。「森の人」は引きずって来た大きな葛籠を開ける。真鍮製の潜水服。白い手が「着ろ」と指図する。

2020年6月24日水曜日


2020年6月24日 水曜日/薄曇り/蒸し暑い


今更だが、『Street Fighter II』のブランカのモデルは仮面ライダーアマゾンではないか?



今更だが、『大食い王決定戦』の決勝で流れる曲は、マサ斎藤の入場曲。あと、安生(長州力の名言「切れてない」のきっかけを作ったレスラー)の入場曲は『James Brown is Dead』という曲。曲中何度も「James Brown is Dead」のラップが入る。しかし、なぜ?



『コロンボ/死者のメッセージ:Try and Catch Me』


今回の気づき:アビゲイル(犯人)が、スプリンクラーの近くの地面でエドモンド(被害者)の車の鍵と見つけたと言ったあとで、コロンボは[何もないスプリンクラーの近くの地面の写真]を撮ったのではないか、と思った。最初の現場検証で、何の関係もなさそうなそんな場所の写真を都合よく撮っているなんてことがあるのか、と思ったからだ。


その場合、コロンボは、犯人の極東への出帆を阻止するために証拠を捏造したことになる。と言っても、それを問い詰めているわけではない。


今回、もう一つ気づいたのは、犯人の異常な頭の良さ。犯人は、被害者を金庫に閉じ込めた後、警報機のスイッチを入れかけて、思い留まる。もしも事故を装うなら、「では、警報機のスイッチは誰が入れたのか?」ということになるからだ。それは『黄金のバックル』の犯人がやらかしたミスだ(二人の男が夜中に撃ち合って両方が死んだのに、なぜか部屋の照明が消されていた)。


ところが、「知らせ」を受けて、犯人が「現場」に帰ってくると、金庫の警報機のスイッチが入ってる。コロンボもそこに引っかかっているし、当の犯人も「理由がわからない」と言う。そして、視聴者である我々も面食らう。


ところが、その後で、犯人自身がコロンボに次のように証言する。警報機のスイッチを入れ忘れていたのを出先で思い出したので、電話をして、家政婦にスイッチを入れてもらったのだ、と。そしてこう続ける。金庫にこっそり入っていた被害者が、誰かが近づいてくるのに気づいて、とっさに金庫の扉を閉めてしまい、それで出られなくなったのではないか、と。


つまり、犯人が自分で警報機のスイッチを入れなかったのは、「誰が警報機のスイッチを入れたのか?」と疑われないようにするためではなく、「事故」のきっかけになる「偽の状況」を作るためだったのだ。


2020年6月23日火曜日


2020年6月23日 火曜日/曇り/寒くも暑くもない


『Twin Peaks season 3 : part 17 THE PAST DICTATES THE FUTURE』


ジェリーを保護したワイオミング州の警察からベンに身元確認の電話がかかる。その会話の中で警察が、「双眼鏡が人を殺した」とジェリーが言っていると、ベンに伝える。つまり、先週か先々週にここに書いた、[「悪い双眼鏡め」というジェリーのセリフは、リチャード(ジェリーはそれがリチャードとは知らないが)が人体消失で消えたのは、ジェリーが双眼鏡で覗いていたせいだと思い込んだからだ]という、私の「気づき」は、実は、気づきでもなんでもなく、単に、この回で見たことを意識の上ではすっかり忘れていて、それをさも自力で気づいたかのように思い込んだだけのことだった、ということ。人間の「発見」や「気づき」は、実は、この「観たり聞いたり読んだりしたことを忘れているだけ」であることが多い。



『ROOM to DREAM』で『Elephant Man』の撮影過程を知って、Anthony Hopkinsがすっかり嫌いになった。逆に、John Heartは株を上げた。



『由利麟太郎』の第二回を観た。前半のサイコサスペンス的な演出はタノシメたが、オハナシ全体は、やっぱり横溝正史原作ならではの荒唐無稽で浅薄なシロモノ。いや、それはカマワナイ。「横溝正史原作とはソウイウモノだ」と思って観てるから。気に入ったのは、というか、癖になるのは、吉川晃司(由利麟太郎)が歌うエンディング曲『焚き火』。最初、 Iggy Pop(晩年)が歌ってるのかと思った。だ~ん、だだだだ~ん、だん、だん、だ~ん♪ この曲を聴くために、残り3話も観る。



[トランプの集会の大量の空席は、反トランプ陣営の若者たちがネットで大量に「偽予約」したのが理由]というのは間違いだ、とトランプ陣営が発表したらしい。なぜなら、会場への入場は、事前チケット制ではなく、先着順だから。



ケイサツに「詳しい話は署で伺いましょう」と言われたら、ヤクザに「細かい話はウチの事務所でしよう」と言われたのと同じことだと認識しておいたほうがいい。その場合、不用意に「ニンイドーコーキョヒ」の動きをすると、相手は「コームシッコーボーガイ」という必殺技を出してくることがあるので注意。この必殺技は、出されたら防げない。

2020年6月22日月曜日

『未来少年コナン』の第9回「逃亡」を観た。


2020年6月22日 月曜日/曇り/肌寒い


『未来少年コナン』の第9回「逃亡」を観た。有名な、磁石式の手錠のせいでコナンが海底から上がれなくなる場面。このとき、コナンが手錠を破壊できたのは、それが電磁石式だったからだろう(リモコンで磁気を制御できる)。「組み立てられた装置」だったので、隙間から海水などが入り込んで、装置が機能不全を起こして磁力が弱まり、その結果、コナンは手錠を破壊し、海底から脱出できたのだ。無論、コナンほどの馬鹿力がなければ、破壊できる代物ではないが。



アメリカで、トランプ陣営が大統領選の集会を再開した。ネットで100万人規模の申し込みがあったので、集会の主催者側は、収容人数1万9000人の会場でもまだ足りないと思って、会場の外に野外会場を増設した。しかし、蓋を開けてみると全然人が集まらず(7000人足らず)、野外会場は空っぽ、屋内会場も結構な空席。これは、集会に行くつもりがない反トランプ陣営の若者たちが、大量に参加申し込みをしたため。つまりは一種の選挙妨害。しかしまあ、ガラガラの会場で演説するトランプは、画的には面白かった。



√周囲の人間はどんどん死ぬが当人は一向に死なない。それが死神。顔面包帯ぐるぐる巻きで素顔は誰も見たことがない。√死の観念は生の観念と表裏一体。生きている存在にのみ宿り、それ自体は死なないのが死の観念。それが死神。√死神が警官隊の銃撃に倒れる。死神が「死んだ」のだ。警官が、顔に巻かれた包帯をとってみると、それは、誰もが知る有名人であった。しかし、彼は死神の正体ではない。死神は、生者とともにある死の観念それ自体だからだ。√生者が存在し続ける限り、死神は現れ続ける。生者は、死神の「宿主」にすぎない。



『エレファントマン』を撮った時、ドイツでインビューを受けた。インタビューを受けている間に描いたエレファントマンの絵をインタビュアーにプレゼントしたら、横で見ていたドイツ人の知り合いから、僕にも描いてくれと頼まれた。いいよ、と引き受けた。しかしそれっきりになった。何年も経った後、友達伝いに、例のドイツ人がまだ絵を欲しがっているのを知り、描いてプレゼントした。その後そのドイツ人は、歩いているところをバスにはねられて死んだ。死ぬ前にエレファントマンの絵を渡すことができて本当に良かった、という『ROOM TO DREAM』の一節がツボにハマった。

2020年6月21日日曜日


2020年6月21日 日曜日/晴/涼しい


伊藤若冲の絵は自閉症的。対する北斎の絵には画家の体験が入っている。別の言い方をすると、若冲の絵にはストーリーがないが、北斎の絵はストーリーの一場面。(『日曜美術館』)



『ガンダム』が太平洋戦争をなぞらえているのは、誰でも知っていることで、だから、大戦初期に連邦艦隊を圧倒した「新兵器」ザクが、旧日本軍の零戦(ゼロファイター)をなぞらえているのも、まあ、わざわざ指摘するまでもない(大戦中期以降、防御力の低さゆえに「やられ役」に転落する点も全く零戦のまま)。で、当時アメリカ軍は、零戦を「ジーク」と呼んでいた。ザクの「語源」は、一般には「ザコ」とされているわけだが、実はこの「ジーク」からの来たのかもしれない(まあ、「ザコ」の方だろうけど)。



よく、確率の問題で、必ずもらえる1000円と、ジャンケンに勝ったらもらえる2000円は、どちらを選んでも同じみたいな話があるけど、そもそも確率100パーセントは(確率0パーセントと並んで)、他の確率とはベツモノなのではないか、といつも思う。つまり、確率100パーセントと確率0パーセントは、そもそも「確率」の「埒外」ではないのか、と、いつも思うのだ。言い換えると、「必ず起きることと絶対に起きなこと」は、「起きるかもしれないし起きないかもしれないこと」とは、根本から違う事象なのではないのか、という話。


数学者の話だと、小数点以下に無限の9が並ぶ「99.999...」は実質「1」とみなしていいし、小数点以下に無限の0が並びその後に1がある「0.000...01」は、実質「0」とみなしていいことになっているが、「いや、やっぱり違うだろう!」と言いたくなる。というのは、確率100パーセントと確率0パーセントは、そもそもが「数値」ではなく「定義」だからだ。「必ず起きる/絶対に起きない」は、「起きるかもしれないし起きないかもしれない」に含まれる「濃度」の違いではなく、「起きるかもしれないし起きないかもしれないには含まれないもの」という定義だからだ。


この考え方が、数学的には頓珍漢で、科学では使い物にならないシロモノなのはきっとそうなんだろうが、私は数学者でも科学者でもないので、これからも、じゃんけんで勝たなければもらえない2000円ではなく、必ずもらえる1000円を選び続ける。これこそが生命の勝利の方程式だからだ。

2020年6月20日土曜日


2020年6月20日 土曜日/曇り/涼しい/風少し


第3話で早くも天一坊(永山絢斗)が死ぬことになるとは思いもしなかった(処刑)。あと、赤川大膳(佐野史郎)も(こちらは「仲間」に斬り殺される)。洲走りの熊五郎が恩人である「お嬢様」を助けるつもりで渡した50両。そのお金で、「お嬢様」の夫は晴れて、天一坊に仕官できたのだが、天一坊捕縛のドサクサで赤川大膳に刺し殺されてしまう。人の世の不幸は、いつも「良かれと思って…」なのだ。(『雲霧仁左衛門4』)


今調べたら、「天一坊事件」というのは池波正太郎の創作ではなく、実際にあったことらしい。赤川大膳という人物もいた。無論、「雲霧」の「天一坊」と筋は違う。因みに、この事件は、江戸時代に神田伯山の講談で有名になった。



宇宙環境、太陽系環境、地球環境、身体環境などのあらゆる条件を積み上げた上で、ほんのひとしずく「採取」できるのが、生命現象依存型の知性(この地球で言えば人類)。だが、こんな代物は「実用」には向かない。すなわち、地球ローカルの生命圏内であーだこーだとやっている分には構わないが、宇宙規模で「運営」するのは全く現実的ではない。人力船で太平洋を横断するのが現実的ではないように、「人力の知性」で宇宙を統べるのも現実的ではないのだ。



…「利己的な遺伝子」の観点から言えば、いかなる種類のガラクタDNAも自分自身にとっては「役に立って」いるといえよう。それが、生き残っていて、自分の複製を残してさえいれば、そう言ってよいのだ。こうした考えにしたがって、生物個体の生存には関係がないが、自分自身は生存し続けているDNAを、「利己的DNA」というキャッチフレーズで呼ぶことがある。しかし残念ながら、これは多少誤解されやすい言葉なのである。なぜなら、もともと私が用いた意味で「利己的」という言葉を用いるなら、生物個体の生存のために役立つDNAも利己的なのだから。だから、後者を呼び分けて「超利己的DNA」という人もいる。(Richard Dawkins『虹の解体』p138)



レビー小体認知症は霊能者の息の根を止める。



人間社会の憂鬱な問題の多くは、野球ファンが贔屓の野球チームの成績が悪いのを苦にして憂鬱になってるのと、そう違わない。



戦争を準備したり始めたり肯定したりするということは、自分たちよりも戦争が強い相手の言い成りになることを受け入れるということ。

2020年6月19日金曜日


2020年6月19日 金曜日/曇/涼しい


「たまの伝説 730」という猫缶。缶に、100グラムあたり84キロカロリーの表示がある。しかし、この缶詰の内容量は70グラム。こういう「親切を装った不親切」にイライラする。今与えた餌が何カロリーなのかを知りたい飼い主は、その缶詰を、例えば全部与えたら何カロリーになるのかを知りたいのだ。半分与えたら何カロリーになるのかを知りたいのだ。


84を100で割って、70なり35なりを掛ければいい? その通り。しかし、最初から1缶あたりのカロリー量を表示してくれている方がもっといい。というか、この猫缶の100グラムあたりのカロリー量などどうでもいい情報。


人間用なら、ファミレスのメニューでも、カップラーメンでも、それを全て平らげたら何カロリーになるかが表示してあるはずだ。「この料理は、100グラムあたり50キロカロリーです。そしてこの一皿は550グラムです」と、小学生の算数の問題みたいなものを書く代わりに、「この料理は275キロカロリーです」と最初から書くべきなのだ。


パッケージデザインをするときに、100グラムあたりのカロリー数が分かっていて、商品の内容量も分かってるのなら(いや、分かっているからパッケージデザインの一部として表示されているのだ)、その商品一つあたりのカロリーをパッケージの表示に加えることなど、何も難しいことではないはずだ。件の「730缶」のような表記にして、一体、誰が得をするのだろう?



ひとり事前収録なのに、ノブがまた勝った(『ゴチになります』)。あと、途中から観たので、99(ナインティナイン)の二人だけが、他の出演者とは離れた場所(といっても、おそらく同じ建物内)からのリモート参加だった理由が分からない。料理を全て食べ終わったあとに、合流しているので、あの場所が「三密」が避けられないという訳でもないようだし。人数かな? つまり、「一つの場所で食事ができる人数は最大四人まで」とかいうガイドラインでもあるのかな?



小池栄子は、不必要に乳がでかい気がするけど、面白いよね。あと、堤幸彦の女優の好みは「河童顔」(中谷美紀、戸田恵梨香など)。



モノクロームの記録映像のせいで、1940年あたりより前の世界はモノクロームな印象があるように、ドローン映像が当たり前になった今の世界の印象はやっぱり鳥瞰図。人間の世界認識は手にした科学技術次第。

2020年6月18日木曜日


2020年6月18日 木曜日/曇り時々雨/肌寒い


現代の医学なら「Elephant Man」は治療できるのだろうか? 無理な気がする。あと、John Merrickが観劇したのは「長靴を履いた猫」?


 今調べたら、生まれた時は普通の子供で、学校にも通ったらしい。思春期辺りから症状が進行した模様。



芸能人が俳句だの生け花だのをやって、その道の「先生」が出来上がった作品に順位をつけるハマちゃんの番組がある(ちゃんと観たことは殆どないが)。で、さっきチャンネルを切り替えた時にたまたまそれが映って、野性爆弾のくっきーの俳句が「添削」されていた。「蝉は土 腰掛け黒汁 腹ちぎれ」という俳句。くっきーが座ってる場所を見るとどうやら最下位に評価されたらしい。だが、俳句の「先生」が添削したあとの俳句よりも、くっきーオリジナルの「黒汁(珈琲のこと)」俳句の方が、「俳句」としてはともかく、一個の表現物として断然スバラシイのは明らかで、そこに「表現」というものの本質を垣間見た気がした。


漱石が『草枕』の中で主人公に「お茶」すなわち「茶道」について語らせているのを思い出す。すなわち、「流儀」のあるお茶というのは、風流の分からない連中が、機械的に動作だけを真似て、風流ぶってるだけなんだ、というアレ。


自閉症者は、他人の感情が理解できないのがその特徴だが、高い知能を持つ自閉症者すなわちアスペルガー症候群の者やサイコパスなどは、人間の感情というものを、自身の体験として理解するのではなく、他人の反応から合理的に理解する。極端なことを言えば、可愛がっていた猫が死んでしまったときに彼らが泣くのは、悲しいからではなく、「こういう状況では、人は泣くものだ」と合理的に理解しているからだ。


「流儀」でお茶の「風流」を再現するのは、この「こういう状況では、人は泣くものだ」と同じ手法。自分の内側に理由があるのではなく、外側から規則として制御されているうちにソレッポクなる。しかし、やってる当人の中身は大抵はカラッポで、なぜそんなことをするのかの「意味」は分かってない。やれと言われてるからやってるだけ。


気をつけて欲しいのは、ここで「自閉症者」に喩えているのは、くっきーの方ではないということ。表現者としてみた場合、「自閉症者」なのは、「先生」や「特待生」の方。彼らは、「俳句」という「曲芸」が巧くやれるように仕込まれた虎や熊と同じ。

2020年6月17日水曜日


2020年6月17日 水曜日/昼まで晴、のち曇/涼しい


久しぶりに『Elephant Man』を観たら、リンチが監修した『Elephant Man』のリストア版の発売が決定したというニュースが届いた。このシンクロニシティ。またしても「ブラックロッジ通信」かとヨロコンダ。が、ちょっと待て。そう言えば、実際の「Elephant Man」について検索して調べたのだ。単なるGoogleの仕業。だがそこでまた思った。


迂闊なままでいると、Googleのせいで「世界では常に自分が関心を持っていることが起こりがちだ」と思ってしまうことになる。つまり、本当は、「世界中に数多ある出来事についてのニュースの中で、アナタが関心を持っているであろう出来事に関するニュースだけを、Googleが「つまみ出して」だけなのに、アナタは、アナタが関心を持っている出来事が、世界中が知るべき価値を持つものとして、言い換えるなら、一般性を持って、もっと言い換えるなら、NHKの19時のニュースで報道される価値を持つものとして起きている、と思い込んでしまう。


どうもうまく言えないが、要するに「雨男理論」がここでも機能しがちということ。


しかし、Googleの伝えてくることは、近所のスーパーの店長の工夫を報道する地元ニュースのそれと変わりない。違いは、その範囲が、地元どころではなく、アナタ個人に限定されていること。


もう一つ気づいたのは、人間はこの手の「意味ある偶然」にとても[弱い=騙されやすい]ということ。宗教的な言い方をすれば、それは「啓示」であったり「前兆」であったりするわけだし、俗信で言えばさっきの「雨男」であったりするわけだが、共通しているのは、「意味ある偶然」の背後に、人間には窺い知れない「ナニモノかの計らい」が存在しているという前提(思い込み)。


ところが、ユーザーの関心に沿った情報を分析して提供してくるGoogleに関しては、実際「ナニモノカの計らい」が存在しているわけで、それはつまり、手品のネタを初めからバラしているようなものだから、まあ、それで人間たちのアタマの中が妙なことにはならないと皆安心しているわけだが、実際には、やっぱり、人間のアタマの中は妙なことになりがちだから困る。


つまり、誰もが人工だと分かっている「意味ある偶然」であっても、人間は、例えば、狂信者のような世界像を簡単に作り上げてしまうのだ。

2020年6月16日火曜日


2020年6月16日 火曜日/曇/涼しい


『Twin Peaks season 3 : Part 16 NO KNOCK, NO DORE-BELL』

Mr.Cが「三人が座標を渡し、そのうちの二つが一致した(因みにその一致した二つの座標でリチャードは人体消失現象で死ぬ)」と言うが、一人が誰かがわからない。二人は分かっている。レイとジェフリーズだ。ダイアンも座標を送るが、それは、リチャードの人体消失のあと、Mr.Cがダイアンに「:-) ALL.」というメッセージを送りつけてからのこと。


リチャードの人体消失を遠くから「目撃」していた叔父のジェリーが、「悪い双眼鏡め!」と連呼しながら、自分の持っていた(リチャードの人体消失を覗いていた)双眼鏡を地面に何度も叩きつける、その行動の意味について今回気づいた。ジェリーは、自分の双眼鏡が、人体消失を引き起こしたと思っているのだ。ちょうどライフルで狙撃するように、遠くからその人(ジェリーはおそらくそれがリチャードだとは気づいていない。なにしろ、ジェリーは双眼鏡の逆側のレンズに目を当てていたので、とても誰だかは判別できない)を殺してしまったと思っているのだ。


自動小銃を乱射して、殺し屋夫婦を殺す会計士の名前はZawaski。


この回を観ると『TP3』は『マルホランドドライブ』のダイアン(ベティ)の魂を救う物語なのだとわかる。


100パーセント目覚めたクーパーがミッチェム兄弟を評して言うセリフは、「I am witness to the fact that you both have hearts of gold.」(私は、君達二人共が黄金の心の持ち主であるという事実[の目撃者である/を目の当たりにした])



クーパーが昏睡から目覚めたこの回で、オードリーも(ロードハウスに来たことで)目覚める(あるいは、totally locked-in syndrome=完全閉じ込め症候群の症状=無の真っ只中に放り出される)



『由利麟太郎』の第一回を観た。いかにも横溝正史らしい、血縁関係を軸にした荒唐無稽なお話だった。あと、物語の中では、母親の愛だのなんだのとチョロイ説明をしていた犯人の振る舞いが、全て「利己的遺伝子」の理屈で説明できてしまうところが面白かった。他人から見ると「不可解」な[人間の振る舞い]も、遺伝子目線でみると、当然の成り行きだと簡単に理解できる。

2020年6月15日月曜日


2020年6月15日 月曜日/曇/涼しい/やや風あり/



「ニコチン酸」はビタミンの一種で、深入りコーヒーに多く含まれている。体内で「NAD」という物質に変化して、細胞にできた傷を修復する。高齢者は若者に比べて「NAD」が少ないため、細胞の傷を修復する能力が低い。これが「老化」の原因。因みに、ニコチン酸はタバコのニコチンとは全く別の物質。


以上、『あさいち』情報。



毎週録画している『未来少年コナン』は、記録時にナニカシラの不具合があって、再生中にエラー(重症の場合は、強制的な再生終了にまで至る)が出ることもあるハードディスクへの録画は避けて、わざわざブルーレイディスクに直接録画している。昨日、その第7話の録画を見たら、なんと2箇所でエラーが出た。一つ目の方のエラーに至っては、再生が完全に止まった(音声は続けて出ている)。これはどうやら、ハードディスクの問題ではないようだ。



19時半過ぎにチャンネルを変えたら、『昆虫すごいぜ!』の再放送をしていた。7時限目キリギリスだ。カマキリ先生は全て観ているはずなのに、全く見覚えがない。録画しているブルーレイディスクのリスト(手書き)を確かめてみると、そこにも「キリギリス」の文字はない。これは、単に、既に観た内容をすっかり忘れているのではなく、実際に本放送を見逃している可能性がある。そこでネットで調べてみると、「キリギリス」の本放送は、「コスタリカSP」(2019.08.12)と「お正月SP」(2020.01.01)の間(2019.10.14)。やはり、そもそも見逃している。



コロナの新規患者の発生の仕方を見ていると、北海道全体が日本の縮尺版のように思える。その場合、札幌が東京に相当する。



「私、見えるんです」と言う連中は、「あなたに見えるものだけが存在するとは限らない」とも口走りがち。



人間が肉眼で見えるものだけが存在するわけではないことは、別に、この手の連中に指摘されるまでもなく、分かりきっていること。そもそも「見える」とは、人間という生物個体の「解釈」でしかないのだから。解釈とはつまり、例えば、壁のシミを見て、「美しさ」や「不気味さ」や「物語」を見出すようなことだ。


「私、見えるんです」の連中が、一定以上の知能を持つ人間にバカにされるのは、[彼らの主張]自体が、[彼らの主張の否定]になっていることに、彼らがまるで気づけていないからだ。

2020年6月14日日曜日


2020年6月14日 日曜日/晴/涼しい


昨日の夜中までと今日の昼から夕方まで、ずっと、週刊文春に載っていた数独をやって、他は何もしていない。10時間近くかかって、ようやく解いた。



リー・オスワルドは、JFKの狙撃された80分後に逮捕され、さらにその二日後に、「マフィア関係の男」に警察署内を護送中に射殺された。つまり、たった三日間。



コロナのせいで撮影ができず、放送が休止になった『麒麟が来る』(観てない/何度も言うが、戦国武将には共感しない)の代わりに、今週からこれまでの戦国大河ドラマの名場面集が放送されることになった。その第一回は、若き渡辺謙の『独眼竜伊達政宗』。一番印象に残ったのは、政宗が、実の母(岩下志麻)に、毒殺(トリカブト入りのヤマドリの煮物を振舞われる)されそうになる場面。と言っても、デキゴト(大河ドラマのデキゴトは基本フィクションだから)や演技の話ではない。流れ落ちる涙のせいで、岩下志麻の真っ白に塗った顔の厚化粧がものすごく強調されて、わ~、と思ってしまったのだ。陶器のお面にしか見えなかった。昨日見た「名場面」では、それが一番印象に残った。



https://nazology.net/archives/62129


上のリンク先は「男性が女性より大きくなる理由が判明した。ダーウィンの説は間違っていた?」というタイトルの記事。


読めばわかるけど、まあ、「進化論」というものが理解できてない「専門家」って多いよねえ。進化論の「説明」の極意は、この事例の場合だと、「どういう理由で[女性よりも成長のピークが遅い男性個体]というものが数(割合)を増やして来たのか」という問いに対し、「それはつまり[成長のピークが遅い男=ガタイのいい男]を女が選んで来たから」つまりは「性淘汰」のせいだ、言えること。


男女の体格差は、エストロゲンの発現時期の違いが「原因」だという「説明」は、胃がんはがん細胞が原因だと言うのと同じで、説明の次元が一段「浅い」。例えば、もし、胃がんの存在を進化的に説明するなら、その問いかけは、「なぜ自然淘汰は胃がんを排除しきれないのか?」というものでなければならない。そしてその答えは、「胃がんの発症は生殖活動にほぼ影響せず、つまり、胃がんの因子を持っている個体も割合普通に子孫を残せるところまでは生きることができるからだ」ということになる。(胃がんは淘汰をすり抜ける)。